高野山では宿坊に泊まりました。本覚院というところです。


手入れの行き届いた庭に面してたくさんの部屋が並び、300人近い収容人員という大きな宿坊ですが、当日の同宿者は私たちを含めて6人でした。

6時ごろに到着し、7時から「阿字観」という坐禅に似た瞑想法の30分ほどの講習があるということで、夕食はその後ということにしてもらいました。この夜は住職が葬儀で京都まで出かけているということで、金剛峯寺からお坊さんが来ての代理での講習。普段、こうした講習をやっていないためか、熱心に「阿字観」のやり方や意義を説明してくれ、終わったのは8時半。予定の3倍もの長さでしたが、そんなに長くは感じられずすがすがしい気持ちになって部屋に戻ることができました。

夕食は部屋で、修業中のお坊さんが運んでくれた精進料理。



てんぷらが冷めてしまっていたのは仕方ないにしても、塩味がちょっと強く、少々がっかり。

翌朝は6時から「朝のお勤め」に参加。30分ほど、本堂で読経を聞き、住職のお話をうかがいました。住職は90歳をこえる方で、非常に元気なのですが、話しているうちにだんだん声が小さくなり聞き取れないところが多かったので、特に感想はなし。雨の降る寒い朝でしたが、本堂の中には電気カーペットが敷かれストーブも点けてくれましたので、快適でした。

宿坊に泊まるのは初めてでしたが、「お勤め」等は自由参加ですし、食事の用意・片付けから布団の上げ下ろしまでやってくれ、部屋にはテレビもあって、夕食時に頼めばお酒も出してくれます。普通の旅館と変わりありません。宿坊によって、また宗派によって違いがあるのでしょうが、一度は泊まってみるのも面白い経験です。
por Andres

Andres y Amelia国内旅行高野山では宿坊に泊まりました。本覚院というところです。 手入れの行き届いた庭に面してたくさんの部屋が並び、300人近い収容人員という大きな宿坊ですが、当日の同宿者は私たちを含めて6人でした。 6時ごろに到着し、7時から「阿字観」という坐禅に似た瞑想法の30分ほどの講習があるということで、夕食はその後ということにしてもらいました。この夜は住職が葬儀で京都まで出かけているということで、金剛峯寺からお坊さんが来ての代理での講習。普段、こうした講習をやっていないためか、熱心に「阿字観」のやり方や意義を説明してくれ、終わったのは8時半。予定の3倍もの長さでしたが、そんなに長くは感じられずすがすがしい気持ちになって部屋に戻ることができました。 夕食は部屋で、修業中のお坊さんが運んでくれた精進料理。てんぷらが冷めてしまっていたのは仕方ないにしても、塩味がちょっと強く、少々がっかり。 翌朝は6時から「朝のお勤め」に参加。30分ほど、本堂で読経を聞き、住職のお話をうかがいました。住職は90歳をこえる方で、非常に元気なのですが、話しているうちにだんだん声が小さくなり聞き取れないところが多かったので、特に感想はなし。雨の降る寒い朝でしたが、本堂の中には電気カーペットが敷かれストーブも点けてくれましたので、快適でした。 宿坊に泊まるのは初めてでしたが、「お勤め」等は自由参加ですし、食事の用意・片付けから布団の上げ下ろしまでやってくれ、部屋にはテレビもあって、夕食時に頼めばお酒も出してくれます。普通の旅館と変わりありません。宿坊によって、また宗派によって違いがあるのでしょうが、一度は泊まってみるのも面白い経験です。por Andres退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)