このところ毎日、ガザのニュース、イスラエルの行為を反吐の出る思いで見、感情に流されずに書くことができなくなっていたが、ようやくイスラエルによるジェノサイドは「中断」されることとなった。過去の行動からすると、イスラエルがこれからも断続的に殺戮を繰り返すことは確実だろう。そしてマスメディアは中立を装いながら、”停戦”下でも爆音を轟かせてガザの人々に恐怖をまき散らす低空飛行を繰り返し、時には、あるいはしばしば爆撃を行うイスラエル軍の行動は報じないだろう。

 イスラエルはなぜ国際法、国連決議、人権等々を徹底的に蹂躙してジェノサイドを行いうるのかを考えてみたい。

 アメリカ合衆国の公然たる支持・支援と先進諸国の暗黙の支持が理由の一つではあるだろう。過去のユダヤ人迫害に対する後ろめたさが欧米諸国の政策を規定しているのかもしれない。しかし、そうであるならば欧米諸国はパレスチナ人には後ろめたさを感じないのだろうか。

 ユダヤ資本の力もまた理由と考えられる。アメリカ合衆国大統領たちの政策、上下院での決議を見ればそれを否定することはできない。

 アラブに取り囲まれてあるイスラエルの恐怖心。そうした心理的背景も考えられなくはない。

 ユダヤ教の選民思想や排外主義がパレスチナ人を排除し、壁で隔離し、最終的には抹殺しようとする。それもいくらかは当たっているのかもしれない。ナチスのゲルマン至上主義がユダヤ人やロマに対するホロコーストを生み出したように。

 長い差別の果てにホロコーストを経験することになったユダヤ人には、自衛のためならどのような行為も許されるという独断。ガザでの破壊・殺戮を戦果として誇り、多数の子供の死にも全く痛みを感じていないオルメルトやリブニの表情を見ると、その自省の完璧な欠如を感じざるを得ない。

 しかし何よりも根本にあるのは国家の暴力性だろう。国家の暴力性が極端なまでに露呈されたのが今回のガザでのジェノサイドなのだ。戦後世界で国家の暴力性の露出は国際法、国連、国際世論、人権意識、民主主義などによってある程度抑止され、ソ連をはじめとした「社会主義国」がより国家の暴力性を露呈させていたがゆえに、対抗的に「資本主義国」はその本質を隠ぺいする必要があった。だがソ連崩壊後はそうした必要性はなくなり、特にアメリカ合衆国は「対テロ」を唯一の口実に最大のテロ国家として、また最大のテロ支援国家としてその暴力的本質を全世界で顕在化させている。それに触発されるかのように各国は暴力への自制を排する方向に進み、イスラエルは平然と暴力を全面開花させるに至ったのだ。

 ハマスもまた、イスラエルへの抵抗組織としてパレスチナ人たちの支持を集め、選挙で勝利した「正統な政府を形成する権利のある」ものだとは言え、暴力的抑圧的本質を帯びたものであることに変わりはない。

 ガザの人々の生活に、イスラエルとの闘いに、ガザの再建に、当面はハマスを必要とするパレスチナ人にはこのような議論は害はあっても利のないものと思われるだろう。しかしここから考えなければ、イスラエルによる虐殺の次にハマスによる抑圧という道は断ち切れないだろう。同時に今のこの虐殺を止めるために何ができるかを考えなければならないのは当然としても。

Por Andres

Andres y Amelia日記・コラム・つぶやき このところ毎日、ガザのニュース、イスラエルの行為を反吐の出る思いで見、感情に流されずに書くことができなくなっていたが、ようやくイスラエルによるジェノサイドは「中断」されることとなった。過去の行動からすると、イスラエルがこれからも断続的に殺戮を繰り返すことは確実だろう。そしてマスメディアは中立を装いながら、”停戦”下でも爆音を轟かせてガザの人々に恐怖をまき散らす低空飛行を繰り返し、時には、あるいはしばしば爆撃を行うイスラエル軍の行動は報じないだろう。  イスラエルはなぜ国際法、国連決議、人権等々を徹底的に蹂躙してジェノサイドを行いうるのかを考えてみたい。  アメリカ合衆国の公然たる支持・支援と先進諸国の暗黙の支持が理由の一つではあるだろう。過去のユダヤ人迫害に対する後ろめたさが欧米諸国の政策を規定しているのかもしれない。しかし、そうであるならば欧米諸国はパレスチナ人には後ろめたさを感じないのだろうか。  ユダヤ資本の力もまた理由と考えられる。アメリカ合衆国大統領たちの政策、上下院での決議を見ればそれを否定することはできない。  アラブに取り囲まれてあるイスラエルの恐怖心。そうした心理的背景も考えられなくはない。  ユダヤ教の選民思想や排外主義がパレスチナ人を排除し、壁で隔離し、最終的には抹殺しようとする。それもいくらかは当たっているのかもしれない。ナチスのゲルマン至上主義がユダヤ人やロマに対するホロコーストを生み出したように。  長い差別の果てにホロコーストを経験することになったユダヤ人には、自衛のためならどのような行為も許されるという独断。ガザでの破壊・殺戮を戦果として誇り、多数の子供の死にも全く痛みを感じていないオルメルトやリブニの表情を見ると、その自省の完璧な欠如を感じざるを得ない。  しかし何よりも根本にあるのは国家の暴力性だろう。国家の暴力性が極端なまでに露呈されたのが今回のガザでのジェノサイドなのだ。戦後世界で国家の暴力性の露出は国際法、国連、国際世論、人権意識、民主主義などによってある程度抑止され、ソ連をはじめとした「社会主義国」がより国家の暴力性を露呈させていたがゆえに、対抗的に「資本主義国」はその本質を隠ぺいする必要があった。だがソ連崩壊後はそうした必要性はなくなり、特にアメリカ合衆国は「対テロ」を唯一の口実に最大のテロ国家として、また最大のテロ支援国家としてその暴力的本質を全世界で顕在化させている。それに触発されるかのように各国は暴力への自制を排する方向に進み、イスラエルは平然と暴力を全面開花させるに至ったのだ。  ハマスもまた、イスラエルへの抵抗組織としてパレスチナ人たちの支持を集め、選挙で勝利した「正統な政府を形成する権利のある」ものだとは言え、暴力的抑圧的本質を帯びたものであることに変わりはない。  ガザの人々の生活に、イスラエルとの闘いに、ガザの再建に、当面はハマスを必要とするパレスチナ人にはこのような議論は害はあっても利のないものと思われるだろう。しかしここから考えなければ、イスラエルによる虐殺の次にハマスによる抑圧という道は断ち切れないだろう。同時に今のこの虐殺を止めるために何ができるかを考えなければならないのは当然としても。 Por Andres退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)