旧東海道 14日目
金谷宿~日坂宿~掛川宿
7時前に自宅を出て、JR、小田急、JRと乗り継ぎ、金谷駅に着いたのは11時35分。駅の脇のガードをくぐって東海道を歩きはじめると、すぐに金谷坂の石畳の上りが始まる。舗装道路に変わっていたものを、20年ほど前に町民の参加で430mを復元したものだそうだ。
坂の途中に「すべらず地蔵尊」がある。急坂を努力して上り、すべらず地蔵尊に至る。受験生目当てかと思えるような配置だ。
上った先には地理の教科書通りに牧の原台地の茶畑が広がっている。
更に進むと、今度は菊川坂の石畳。こちらは江戸時代のものなので、石が丸くなり一部は草に覆われている。
間の宿菊川の「さんぽ茶屋」で昼食。山間の集落で、ここは公民館の一部を使って日曜日の10時から14時だけ営業している食堂。うどんとそば程度しかないが、私たちには救いの神だった。
うどんやそばは美味しくなかったが、この「お茶ゼリー」は良い味だった。
「小夜の中山峠」にある茶店「扇屋」で「子育て飴」を買って、舐めながら峠を下って行った。歯にくっつきやすいので、ゆっくり舐めていたら食べ終えるのに30分もかかってしまった。
「小夜の中山」は多くの和歌や俳句に詠まれているので、峠道沿いに5つの句碑と11の歌碑が建てられている。
左は阿佛尼の「くもかかるさやの中山越えぬとは都に告げよ有明の月」、右は芭蕉の「命なりわづかの笠の下涼み」。
カマキリや蛇に出迎えられるほど、今日は汗ばむ陽気だった。
最後の「二の曲り」の急坂は、階段にしてもおかしくないほどで、東海道の三大難所の一つとされるのも頷けた。
日坂宿本陣跡に着いたのは14時50分。
復元された旅籠「川坂屋」は内部を見学でき、ボランティアの方が説明してくれる。
掛川宿に向けて進む。薄暗くなってきたところで、常夜灯に明かりが点った。
掛川宿の入口「七曲り」は、数えてみたら8つの曲り角があった。敵の侵入を防ぐ「桝形」を更に複雑強固にしたものなのだろうが、現在の地図を見ると、無駄に遠回りしているようにしか見えない。私たちも地図上に示された旧東海道の線を間違いではないかと疑った。
掛川宿本陣跡に着いたのは17時25分。
ホテルのフロントで掛川名産の食事を尋ねてみたが、「葛ぐらいしかないですね」とのこと。適当に夕食を済ませ、葛餅を買ってホテルの部屋でデザートにした。
煎茶葛餅と吟上葛餅。煎茶の方には抹茶と白蜜、吟上にはきな粉と黒蜜をかけて食べる。特記するほどではないが、美味しかった。
掛川の街では和菓子屋が目立ち、しかも他の店が7時前には閉まってしまうのに、そlの後も営業しているところが多い。茶処なのと関係があるのだろうか。
金谷駅から掛川宿まで14.75km。26,500歩。
この日の総歩数27,537。
por Andres
https://dosperegrinos.net/2010/11/07/%e6%97%a7%e6%9d%b1%e6%b5%b7%e9%81%93-14%e6%97%a5%e7%9b%ae/東海道中金谷宿~日坂宿~掛川宿 7時前に自宅を出て、JR、小田急、JRと乗り継ぎ、金谷駅に着いたのは11時35分。駅の脇のガードをくぐって東海道を歩きはじめると、すぐに金谷坂の石畳の上りが始まる。舗装道路に変わっていたものを、20年ほど前に町民の参加で430mを復元したものだそうだ。 坂の途中に「すべらず地蔵尊」がある。急坂を努力して上り、すべらず地蔵尊に至る。受験生目当てかと思えるような配置だ。 上った先には地理の教科書通りに牧の原台地の茶畑が広がっている。 更に進むと、今度は菊川坂の石畳。こちらは江戸時代のものなので、石が丸くなり一部は草に覆われている。 間の宿菊川の「さんぽ茶屋」で昼食。山間の集落で、ここは公民館の一部を使って日曜日の10時から14時だけ営業している食堂。うどんとそば程度しかないが、私たちには救いの神だった。 うどんやそばは美味しくなかったが、この「お茶ゼリー」は良い味だった。 ...Andres y Amelia SubscriberDos Peregrinos
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