盛岡での活動後、帰路に福島市の親戚宅に寄ったが、その途中で太平洋岸の津波被災地を通ってきた。東北道を仙台で離れて常磐道方向に進み、宮城県山元町IMGP3633から国道6号線を走る。左にそれて常磐線の坂元駅方向に入ってみた。

坂元駅前の商店は跡かたもなくなっている。

 

 

 

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2階はほとんど無傷に見え、テレビアンテナは傾いてもいないのに1階部分はえぐり取られてしまっている。

 

 

 

さらに相馬港にも行ってみた。IMGP3645

壁は津波の高さの部分がなくなり、鉄骨も折れ曲がり、街灯は倒されている。

 

 

 

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瓦礫は集められて、散乱状態は見られなくなっているが、山積みになったものはどう片づけられるのだろうか。

 

 

 

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荷捌き場は復旧工事が進んでいた。(左は未着工部、右は着工部)

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防波堤の上には、まだ漁船が2艘乗り上げたままになっている。

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潟湖のの松川浦にも沈没した漁船や津波にさらわれたらしいバスが残っている。IMGP3668

どこからか押し流されてきたのだろう「おみやげ屋」。

 

 

 

 

映像では繰り返し目にしてきた光景だったが、直接触れてみるとあらためて津波のすさまじさに言葉を失ってしまった。元の街並みを知らない私たちが半年以上経過してでさえ立ちすくんでしまう光景。地元の人々は「茫然」といった表現もはるかに届かないほどの空虚を抱え込まされたのではないだろうか。

por Andrés

Andres y Amelia日記・コラム・つぶやき盛岡での活動後、帰路に福島市の親戚宅に寄ったが、その途中で太平洋岸の津波被災地を通ってきた。東北道を仙台で離れて常磐道方向に進み、宮城県山元町から国道6号線を走る。左にそれて常磐線の坂元駅方向に入ってみた。 坂元駅前の商店は跡かたもなくなっている。       2階はほとんど無傷に見え、テレビアンテナは傾いてもいないのに1階部分はえぐり取られてしまっている。       さらに相馬港にも行ってみた。 壁は津波の高さの部分がなくなり、鉄骨も折れ曲がり、街灯は倒されている。       瓦礫は集められて、散乱状態は見られなくなっているが、山積みになったものはどう片づけられるのだろうか。        ...退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)