天皇の戦争責任、あるいは天皇と日本人の関係を正面から扱った作品。留学先の米国の学校でのディベートという形で真正面からこの問題に向き合う一方、天皇の喩としてヘラジカ、大君、母を登場させ、主人公とこれらとの関係で日本人と天皇の繋がりを捉えている。そのため薄っぺらで頭でっかちなものではなく、関係の不明瞭さも含んだ多面性と重層性を表現した作品になっている。昨年、各紙誌の書評欄で最も高い評価を得たのも納得できる。

どう負けるかは自分たちで定義したいのです。それをしなかったことこそが、私たちの本当の負けでした。もちろん、私の同胞が犯した過ちはあります。けれど、それと、他人の罪は別のことです。自分たちの過ちを見たくないあまりに、他人の過ちにまで目をつぶってしまったことこそ、私たちの負けだったと、今は思います。自分たちの過ちを認めつつ、他人の罪を問うのは、エネルギーの要ることです。でも、これからでも、しなければならないのです。

これが作者の出した結論で、ここから私たちはあらためて出発しなければならないのだろう。戦争責任の追及を東京裁判に任せて自らは責任を問うことを放棄し、一方で東京裁判は戦勝国による一方的なものとすることで戦犯を免罪しようとしてきた日本人。一億総懺悔という言葉で責任を一億分の一に均等に薄め、真の責任の所在を曖昧にし、同時に東京大空襲などの非戦闘員への爆撃や広島・長崎への原爆投下によるジェノサイドに見られる米国の明らかな戦争犯罪も不問に付してきた日本。「英霊」と呼ぶことで彼らを犬死にさせた責任を消し去り、自己の特殊利益を「国益」と言い換える人々。

今、こうした者たちが一層大手を振って跋扈している。

Andres y Amelia書籍・雑誌天皇の戦争責任、あるいは天皇と日本人の関係を正面から扱った作品。留学先の米国の学校でのディベートという形で真正面からこの問題に向き合う一方、天皇の喩としてヘラジカ、大君、母を登場させ、主人公とこれらとの関係で日本人と天皇の繋がりを捉えている。そのため薄っぺらで頭でっかちなものではなく、関係の不明瞭さも含んだ多面性と重層性を表現した作品になっている。昨年、各紙誌の書評欄で最も高い評価を得たのも納得できる。 どう負けるかは自分たちで定義したいのです。それをしなかったことこそが、私たちの本当の負けでした。もちろん、私の同胞が犯した過ちはあります。けれど、それと、他人の罪は別のことです。自分たちの過ちを見たくないあまりに、他人の過ちにまで目をつぶってしまったことこそ、私たちの負けだったと、今は思います。自分たちの過ちを認めつつ、他人の罪を問うのは、エネルギーの要ることです。でも、これからでも、しなければならないのです。 これが作者の出した結論で、ここから私たちはあらためて出発しなければならないのだろう。戦争責任の追及を東京裁判に任せて自らは責任を問うことを放棄し、一方で東京裁判は戦勝国による一方的なものとすることで戦犯を免罪しようとしてきた日本人。一億総懺悔という言葉で責任を一億分の一に均等に薄め、真の責任の所在を曖昧にし、同時に東京大空襲などの非戦闘員への爆撃や広島・長崎への原爆投下によるジェノサイドに見られる米国の明らかな戦争犯罪も不問に付してきた日本。「英霊」と呼ぶことで彼らを犬死にさせた責任を消し去り、自己の特殊利益を「国益」と言い換える人々。 今、こうした者たちが一層大手を振って跋扈している。退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)