舛添要一氏の東京都知事選挙「選挙公報」に掲載された「公約」(?)を読んでみると、そのあまりの空疎さにあらためて驚く。

そのまま書き写してみると、

1 史上最高のオリンピック・パラリンピックで東京の魅力を世界へ発信

世界中から集める、世界に挑み、世界に魅せる東京

2 大災害にも打ち勝つ都市

東京の技術力と経験で世界一安心・安全で快適な街に

3 安心、希望、安定の社会保障

いのちを育み、いのちを見守る思いやりと温もりあふれる福祉

4 中小企業の育成で世界をリードする産業・人材都市

東京発、日本経済の復活、そして世界に貢献

5 世界に通用する人材の育成と骨太の教育改革

日本人・首都東京の誇りを持ち、世界で活躍できる人材育成

ここにはほぼ何も語られていないと言っていい。たとえば「1 史上最高のオリンピック」。参加国数が史上最高なのか、参加者数が史上最高なのか、最高に豪華、最高に経費をかけるのか、最高にコンパクト、最高に質素、現有施設を最大限に使用した最高に無駄の少ない、最高に省資源なのか。全く逆の結論が出るような文になっている。

彼は同じ「広報」の冒頭に「決断力」と記してもいる。しかし上例では、オリンピックについて「史上最高」という言葉以外には何も決断していないことが明らかだ。あるいは「史上最高」の内容を決断しているが、同時にそれを明確にしないと決断したのだろうか。

しかし、そもそも舛添氏の「選挙公報」の空疎さを指摘しても無意味だろう。自民党を「歴史的使命が終わった」と自ら定義しながら、その自民党の支持を受ける人間。原発輸出を推進し、原発再稼働を図ろうとしている自民党の支持を受けながら、「私も脱原発」と言う人物。「集団的自衛権の行使は憲法上許されない」から「集団的自衛権の行使も憲法上許される」へと正反対の解釈が可能だと考える自民党。このような人物や党の表明する言葉が限りなく軽く空疎で、まったく信の置けないものであることは明白だ。つまり「選挙公報」であろうが街頭演説であろうが記者会見であろうが、舛添氏や自民党の発する言葉は検討すべき対象ではないということだ。

では何をもって判断すべきかは自明だろう。安倍政権の現に遂行している政治しかない。国政と都政は別と、特に自民党が主張する声が聞こえる。確かに都政と国政は別に考えなければならない部分も多い。しかし少なくとも舛添氏や自民党は都知事選に関して私たちの判断に資するようなものを何も提示しないのだから、自民党政治の現状から判断するしかないのだ。

都民は、景気回復や賃上げといった「金」、しかもそれが私たちの生活に及ぶかどうかも定かでないものに釣られて、原発事故を忘れ、特定秘密保護法を忘れ、沖縄県民や名護市民の意思を無視した辺野古建設強行を忘れ、「ナチスを見習って」「デモはテロ」としたい彼らの本心に目をつむり、舛添氏を選んでしまうのだろうか。

por Andrés

Andres y Amelia政治・経済・国際舛添要一氏の東京都知事選挙「選挙公報」に掲載された「公約」(?)を読んでみると、そのあまりの空疎さにあらためて驚く。 そのまま書き写してみると、 1 史上最高のオリンピック・パラリンピックで東京の魅力を世界へ発信 世界中から集める、世界に挑み、世界に魅せる東京 2 大災害にも打ち勝つ都市 東京の技術力と経験で世界一安心・安全で快適な街に 3 安心、希望、安定の社会保障 いのちを育み、いのちを見守る思いやりと温もりあふれる福祉 4 中小企業の育成で世界をリードする産業・人材都市 東京発、日本経済の復活、そして世界に貢献 5 世界に通用する人材の育成と骨太の教育改革 日本人・首都東京の誇りを持ち、世界で活躍できる人材育成 ここにはほぼ何も語られていないと言っていい。たとえば「1 史上最高のオリンピック」。参加国数が史上最高なのか、参加者数が史上最高なのか、最高に豪華、最高に経費をかけるのか、最高にコンパクト、最高に質素、現有施設を最大限に使用した最高に無駄の少ない、最高に省資源なのか。全く逆の結論が出るような文になっている。 彼は同じ「広報」の冒頭に「決断力」と記してもいる。しかし上例では、オリンピックについて「史上最高」という言葉以外には何も決断していないことが明らかだ。あるいは「史上最高」の内容を決断しているが、同時にそれを明確にしないと決断したのだろうか。 しかし、そもそも舛添氏の「選挙公報」の空疎さを指摘しても無意味だろう。自民党を「歴史的使命が終わった」と自ら定義しながら、その自民党の支持を受ける人間。原発輸出を推進し、原発再稼働を図ろうとしている自民党の支持を受けながら、「私も脱原発」と言う人物。「集団的自衛権の行使は憲法上許されない」から「集団的自衛権の行使も憲法上許される」へと正反対の解釈が可能だと考える自民党。このような人物や党の表明する言葉が限りなく軽く空疎で、まったく信の置けないものであることは明白だ。つまり「選挙公報」であろうが街頭演説であろうが記者会見であろうが、舛添氏や自民党の発する言葉は検討すべき対象ではないということだ。 では何をもって判断すべきかは自明だろう。安倍政権の現に遂行している政治しかない。国政と都政は別と、特に自民党が主張する声が聞こえる。確かに都政と国政は別に考えなければならない部分も多い。しかし少なくとも舛添氏や自民党は都知事選に関して私たちの判断に資するようなものを何も提示しないのだから、自民党政治の現状から判断するしかないのだ。 都民は、景気回復や賃上げといった「金」、しかもそれが私たちの生活に及ぶかどうかも定かでないものに釣られて、原発事故を忘れ、特定秘密保護法を忘れ、沖縄県民や名護市民の意思を無視した辺野古建設強行を忘れ、「ナチスを見習って」「デモはテロ」としたい彼らの本心に目をつむり、舛添氏を選んでしまうのだろうか。...退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)