法政大学沖縄文化研究所総合講座「沖縄を考える」
「普天間、辺野古と『日本』の安全保障一東アジアの政治変動の文脈から考える一」

成蹊大学法学部遠藤誠治

2015年4月24日 法政大学市ヶ谷キャンパス

法政大沖縄講座「普天間、辺野古と『日本』の安全保障」20150424a法政大沖縄講座「普天間、辺野古と『日本』の安全保障」20150424b

講演内容は、当日配布された上記レジュメを参照。(クリックで拡大)

このところ「安保法制」等をめぐる論議が盛んに報道されているが、すっかり政府自民党のペースに乗せられているようだ。与党案では「歯止め」が効くのか、「定義があいまいではないか」等々。だがこうした「安保法制」の個々の文言を考察の対象とすることそのものが無意味だ。安倍政権・自民党は憲法解釈を180度変更することも可能としたのだから、「歯止め」「定義」など彼らにとっては好きなように変えられるものでしかない。人によって解釈を変えることができるだけでなく、安倍自身でも昨日と今日で解釈を変えられるというような状況の中で、彼らが提示するものを議論することにどんな価値があるのか。

それよりも重要なのは、「安全保障」とはそもそも何かを問うことだ。「日本の安全」といった時の「日本」は何を指しているのか。「日本政府」、「日本国」、「日本国民」・・・。多くの人は、そして政府も「これらは個々に分けられるものではないが、あえて一つ選ぶとすれば日本国民だ」と答えるだろう。しかし一見もっともらしいこの答えが問題なのだ。

「日本国民」とは誰か。日本国籍を持った者か、日本に居住する者かなどということではない。1億3千万のなかの誰を指すのかだ。ここでも「全員に決まっているじゃないか」との答えが返ってくるだろう。だが、第二次大戦時の沖縄戦で日本軍も日本政府も沖縄の人々を守りはしなかった。負け戦だったので日本軍は沖縄の人々を「守れなかった」のではない。沖縄戦は「本土決戦を遅らせる」ことが目的で、「沖縄の人々を守る」ためではなかったのだ。では沖縄の人々は「日本国民」ではないのか。安倍政権・自民党ならいずれそんなことも言い出しかねないが。

現状で考えてみよう。政府・自民党の想定するさまざまな「事態」。自衛隊が「日本の安全」のために海外に出て行く。当然、自衛隊員にも死者が出る。自衛隊員も「日本国民」だが、彼らの安全はどうなっているのか。「自衛隊員の最小限の犠牲はやむを得ない」と、自称現実主義者は言うのだろう。戦場が日本国内になった時には、きっと彼らはこう言う。「民間人の犠牲もやむを得ない」と。沖縄戦でもそうであったように。そして彼らは自分が犠牲になることは想定していない。

沖縄を通して「安全保障」を考えた。

por Andrés

Andrés政治・経済・国際法政大学沖縄文化研究所総合講座「沖縄を考える」「普天間、辺野古と『日本』の安全保障一東アジアの政治変動の文脈から考える一」 成蹊大学法学部遠藤誠治 2015年4月24日 法政大学市ヶ谷キャンパス 講演内容は、当日配布された上記レジュメを参照。(クリックで拡大) このところ「安保法制」等をめぐる論議が盛んに報道されているが、すっかり政府自民党のペースに乗せられているようだ。与党案では「歯止め」が効くのか、「定義があいまいではないか」等々。だがこうした「安保法制」の個々の文言を考察の対象とすることそのものが無意味だ。安倍政権・自民党は憲法解釈を180度変更することも可能としたのだから、「歯止め」「定義」など彼らにとっては好きなように変えられるものでしかない。人によって解釈を変えることができるだけでなく、安倍自身でも昨日と今日で解釈を変えられるというような状況の中で、彼らが提示するものを議論することにどんな価値があるのか。 それよりも重要なのは、「安全保障」とはそもそも何かを問うことだ。「日本の安全」といった時の「日本」は何を指しているのか。「日本政府」、「日本国」、「日本国民」・・・。多くの人は、そして政府も「これらは個々に分けられるものではないが、あえて一つ選ぶとすれば日本国民だ」と答えるだろう。しかし一見もっともらしいこの答えが問題なのだ。 「日本国民」とは誰か。日本国籍を持った者か、日本に居住する者かなどということではない。1億3千万のなかの誰を指すのかだ。ここでも「全員に決まっているじゃないか」との答えが返ってくるだろう。だが、第二次大戦時の沖縄戦で日本軍も日本政府も沖縄の人々を守りはしなかった。負け戦だったので日本軍は沖縄の人々を「守れなかった」のではない。沖縄戦は「本土決戦を遅らせる」ことが目的で、「沖縄の人々を守る」ためではなかったのだ。では沖縄の人々は「日本国民」ではないのか。安倍政権・自民党ならいずれそんなことも言い出しかねないが。 現状で考えてみよう。政府・自民党の想定するさまざまな「事態」。自衛隊が「日本の安全」のために海外に出て行く。当然、自衛隊員にも死者が出る。自衛隊員も「日本国民」だが、彼らの安全はどうなっているのか。「自衛隊員の最小限の犠牲はやむを得ない」と、自称現実主義者は言うのだろう。戦場が日本国内になった時には、きっと彼らはこう言う。「民間人の犠牲もやむを得ない」と。沖縄戦でもそうであったように。そして彼らは自分が犠牲になることは想定していない。 沖縄を通して「安全保障」を考えた。 por Andrés退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)