郡山から電車で本宮に移動し、9時から歩きはじめる。本宮の駅舎は小さいが、町は意外に栄えているようで小さな商店も残っている。P6021155.jpg

立派な土蔵が、震災の被害があったのか屋根だけは真新しい。

 P6021160.jpg今日も何か所か応急仮設住宅を見かける。ここは小学校の廃校跡地に建てられたもの。

P6021171.jpg そして今日もまた除染中の現場を頻繁に通りかかる。

二本松の駅を過ぎると「亀谷まつり坂」という真っ直ぐに延びる急な上り坂。P6021167.jpg途中に「幸田露伴」のペンネームゆかりの地の石碑。旅費が不足してここで露を伴として野宿したことを思い出し、発奮の意味を込めてペンネームを「露伴」としたそうだ。

P6021170.jpg峠を越すと「家具の街竹田坂」という下り坂。確かに何軒も家具屋が並んでいる。ここは箪笥づくりが主だったとのことだが、現在は衰退してきているように見える。

P6021186.jpg 安達駅に近づいたところに高村智恵子の生家と記念館。生家は豊かな造り酒屋だったが、智恵子が四十数歳の時に没落し、それが彼女の分裂症発病のきっかけになったとのこと。記念館には若いころの油絵と発病後の紙絵が展示されている。油絵はあまり感心しないが、紙絵には才能が感じられた。

P6021188.jpg このあたりを「智恵子純愛通り」と名付けているが、これは興醒め。

P6021193.jpg 小高い丘に差し掛かったところにあった「鹿の鳴石」。石の周囲を左に3回廻ると鹿の鳴き声がきかれる、とある。Ameliaがやってみるが、声は聞こえなかった。そもそも私たちは鹿の鳴き声を知らないのだが。

P6021195.jpg 今日の街道歩きはここで終了。ここから更に1.7kmほど歩いて松川駅まで行き、電車で福島に出て宿泊。

午後には曇って日差しが弱まったので、気候的には昨日より楽だったが、代わりに上り下りの多い道程で疲れは減らなかった。

松川駅までというのは予定通りだったが、20kmというのは近道での距離だったので、実際に歩いたのは少し長くなってしまった。IMGP1262-1266

夕食はホテル近くの居酒屋でメイプルサーモンの刺身、福島名物の三点盛り(烏賊ニンジン、ニシン、サケ)、福島餃子など。おいしかった。

今日の歩行距離 23.0km  39,500歩

por Andrés

Andrés奥州道中郡山から電車で本宮に移動し、9時から歩きはじめる。本宮の駅舎は小さいが、町は意外に栄えているようで小さな商店も残っている。立派な土蔵が、震災の被害があったのか屋根だけは真新しい。 今日も何か所か応急仮設住宅を見かける。ここは小学校の廃校跡地に建てられたもの。 そして今日もまた除染中の現場を頻繁に通りかかる。二本松の駅を過ぎると「亀谷まつり坂」という真っ直ぐに延びる急な上り坂。途中に「幸田露伴」のペンネームゆかりの地の石碑。旅費が不足してここで露を伴として野宿したことを思い出し、発奮の意味を込めてペンネームを「露伴」としたそうだ。峠を越すと「家具の街竹田坂」という下り坂。確かに何軒も家具屋が並んでいる。ここは箪笥づくりが主だったとのことだが、現在は衰退してきているように見える。 安達駅に近づいたところに高村智恵子の生家と記念館。生家は豊かな造り酒屋だったが、智恵子が四十数歳の時に没落し、それが彼女の分裂症発病のきっかけになったとのこと。記念館には若いころの油絵と発病後の紙絵が展示されている。油絵はあまり感心しないが、紙絵には才能が感じられた。 このあたりを「智恵子純愛通り」と名付けているが、これは興醒め。 小高い丘に差し掛かったところにあった「鹿の鳴石」。石の周囲を左に3回廻ると鹿の鳴き声がきかれる、とある。Ameliaがやってみるが、声は聞こえなかった。そもそも私たちは鹿の鳴き声を知らないのだが。 今日の街道歩きはここで終了。ここから更に1.7kmほど歩いて松川駅まで行き、電車で福島に出て宿泊。午後には曇って日差しが弱まったので、気候的には昨日より楽だったが、代わりに上り下りの多い道程で疲れは減らなかった。松川駅までというのは予定通りだったが、20kmというのは近道での距離だったので、実際に歩いたのは少し長くなってしまった。夕食はホテル近くの居酒屋でメイプルサーモンの刺身、福島名物の三点盛り(烏賊ニンジン、ニシン、サケ)、福島餃子など。おいしかった。今日の歩行距離 23.0km  39,500歩por Andrés退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)