先日、「百田に関しては、その発言についても、人物についても、あらためて批判する価値もない」と記した。しかし、沖縄の2紙をつぶさなければ、との発言以外にもいくつもの暴言妄言が報じられてきたので、その中の一つについてあえて触れておく。

百田にも言論の自由があることは言うまでもない。だから彼が「勉強会」で何を言っても基本的には自由だ。同時に百田や「勉強会」参加者たちの発言を批判する自由が全ての人に保障されなければならない。デマで他者を誹謗中傷することが言論の自由に含まれるとは思わないが。

普天間は田んぼの中だったのが基地は儲かるというので周辺に住みついた、というような発言。即座に沖縄の様々な人々から反駁されている。もちろん百田のこの発言は何の根拠もないデマに過ぎない。百田は意識的にデマを飛ばそうと思っていたのだろうか。

彼が意識的にこのデマをでっち上げたのだとしたら、あまりにも程度が低すぎる。これが全くのでたらめでしかないことは、ちょっと調べれば分かることだし、沖縄の一枚の航空写真を目にするだけでも想像できること。こんな最低レベルのデマが通用すると思われるほど、あの「勉強会」に出席していた自民党議員たちは百田からバカにされていたのだろうか。

意識せずにこのデマを口にしたとすれば、百田の知的レベルは相当低いと言える。そんなレベルの人間を「勉強会」の講師として呼んだのだから、主催者や出席者はそれ以下のレベルなのだろう。また彼と対談して盛り上がり、NHKの経営委員に抜擢した安倍も少なくとも同レベルなのだろう。

その後、百田は「冗談だった」などと言っている。確かにあれはタガのはずれた酔っ払いが居酒屋で管を巻いて言った程度のものだ。酒の上でとか冗談でなどという言い訳で責任を回避できると思っていること自体が人間的レベルの低さを露呈しているが、「勉強会」で酔っ払いの戯言を連発するような人物を講師としてありがたがっている議員の姿などは滑稽としか言いようがない。だが、こんな国会議員が寄り集まっているのが現在の政権党というのは、滑稽では済まされない。悲惨だ。

por Andrés

Andrés政治・経済・国際先日、「百田に関しては、その発言についても、人物についても、あらためて批判する価値もない」と記した。しかし、沖縄の2紙をつぶさなければ、との発言以外にもいくつもの暴言妄言が報じられてきたので、その中の一つについてあえて触れておく。百田にも言論の自由があることは言うまでもない。だから彼が「勉強会」で何を言っても基本的には自由だ。同時に百田や「勉強会」参加者たちの発言を批判する自由が全ての人に保障されなければならない。デマで他者を誹謗中傷することが言論の自由に含まれるとは思わないが。普天間は田んぼの中だったのが基地は儲かるというので周辺に住みついた、というような発言。即座に沖縄の様々な人々から反駁されている。もちろん百田のこの発言は何の根拠もないデマに過ぎない。百田は意識的にデマを飛ばそうと思っていたのだろうか。彼が意識的にこのデマをでっち上げたのだとしたら、あまりにも程度が低すぎる。これが全くのでたらめでしかないことは、ちょっと調べれば分かることだし、沖縄の一枚の航空写真を目にするだけでも想像できること。こんな最低レベルのデマが通用すると思われるほど、あの「勉強会」に出席していた自民党議員たちは百田からバカにされていたのだろうか。意識せずにこのデマを口にしたとすれば、百田の知的レベルは相当低いと言える。そんなレベルの人間を「勉強会」の講師として呼んだのだから、主催者や出席者はそれ以下のレベルなのだろう。また彼と対談して盛り上がり、NHKの経営委員に抜擢した安倍も少なくとも同レベルなのだろう。その後、百田は「冗談だった」などと言っている。確かにあれはタガのはずれた酔っ払いが居酒屋で管を巻いて言った程度のものだ。酒の上でとか冗談でなどという言い訳で責任を回避できると思っていること自体が人間的レベルの低さを露呈しているが、「勉強会」で酔っ払いの戯言を連発するような人物を講師としてありがたがっている議員の姿などは滑稽としか言いようがない。だが、こんな国会議員が寄り集まっているのが現在の政権党というのは、滑稽では済まされない。悲惨だ。por Andrés退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)