9時過ぎにAtochaからRenfeでEl Escorialへ。途中駅で安全点検のためにしばらく停車し、遅れが出る。珍しく車内放送でその旨が伝えられる。車窓から鹿が沢山見られる。1頭で行動しているもの、2・3頭で草を食べているもの、十数頭で群れているもの。あれは野生だろうか、それとも飼育されているのだろうか。
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エル・エスコリアルの松並木
El Escorialに着いて、1㎞ほど公園の中の直線の松並木を抜けて修道院へ。ずっと上り坂。
修道院内の見学は、見学路に沿って行くしかない。最初に特別展El Calvario。15世紀の板に描かれたキリスト磔刑図。傷みが激しかったものを修復して展示してある。修復の模様をビデオで流していたが、板の隙間を埋め、ゆがみを直し、劣化した絵の具を取り除き、欠落した部分を塗りと様々な手を加えた結果、展示されているのは真新しい絵。描かれた当時は確かにこんなものだったのかもしれないが、あまりに新しく見えると疑いの目を向けてしまう。
美術館になっている部分、宮殿だった部分、パンテオン(王室の墓所)の順で見る。パンテオンには歴代国王が眠っているが、満杯になっている。ファン・カルロスが死んだらどこに入れるのだろうか。
教会堂は今日は何かの行事があるということで入れない。ちょっとしたどさくさに紛れて少しだけ入ったが、大きなものだった。
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エル・エスコリアルの花嫁
出て来てみると結婚式をやるらしく、父親に付き添われた花嫁が教会堂に向かってゆっくり進み、ほかの着飾った参列者も数十人が教会堂に向かっていった。上流階級らしい人たちだったが何者だったのだろうか。
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エル・エスコリアル図書館
最後に図書館。見事なフレスコ画の天井、寄木細工でつくられた書架。本はほとんどが背表紙を奥、小口を手前にして書架に収められている。書架には番号が振られ、本の小口にも番号が記入されているので、目録で本を探せば番号で位置が簡単にわかる仕組みのようだ。図書館の窓から外を見ると、結婚式を終えたらしい人々が歩いていた。
帰りはバスで。Moncroaに着き、地下鉄でSol乗り換えAnton Martínへ。宿が近いが、そのままプラドへ行くことにする。今日は18時から入場無料。18時半に着いてみると、先日と同じくらいの長さの行列。しかし列の進み方は早く、10分もしないうちに入場できた。裏の新館の方の入場口も使っているので早かったようだ。今日もスペイン絵画を中心に見る。ロマネスクを観た後ではルネサンスもつまらなく感じるのはなぜなのだろう。特にキリスト磔刑図などであそこまでリアルに描くのは信仰のためなのだろうが、ではロマネスクの絵では信仰は強められなかったのだろうか。
最後はゴヤ。「黒い絵」のシリーズを観た後に遺作の「ミルク売り娘」を見るといつも思う。人間の醜さを見つめ続け描き続けたゴヤが、最後に行き着いた「ミルク売り娘」の清澄。醜さにまみれ続けたゴヤの中に残っていた清澄の表れなのか、ゴヤの懺悔の形なのか、醜さを直視し続けることに耐えられなくなったゴヤの弱さの露呈なのか。いずれにしても見る側にも救いであることに違いはない。
por Andrés
Andrésスペイン旅行9時過ぎにAtochaからRenfeでEl Escorialへ。途中駅で安全点検のためにしばらく停車し、遅れが出る。珍しく車内放送でその旨が伝えられる。車窓から鹿が沢山見られる。1頭で行動しているもの、2・3頭で草を食べているもの、十数頭で群れているもの。あれは野生だろうか、それとも飼育されているのだろうか。El Escorialに着いて、1㎞ほど公園の中の直線の松並木を抜けて修道院へ。ずっと上り坂。修道院内の見学は、見学路に沿って行くしかない。最初に特別展El Calvario。15世紀の板に描かれたキリスト磔刑図。傷みが激しかったものを修復して展示してある。修復の模様をビデオで流していたが、板の隙間を埋め、ゆがみを直し、劣化した絵の具を取り除き、欠落した部分を塗りと様々な手を加えた結果、展示されているのは真新しい絵。描かれた当時は確かにこんなものだったのかもしれないが、あまりに新しく見えると疑いの目を向けてしまう。美術館になっている部分、宮殿だった部分、パンテオン(王室の墓所)の順で見る。パンテオンには歴代国王が眠っているが、満杯になっている。ファン・カルロスが死んだらどこに入れるのだろうか。教会堂は今日は何かの行事があるということで入れない。ちょっとしたどさくさに紛れて少しだけ入ったが、大きなものだった。出て来てみると結婚式をやるらしく、父親に付き添われた花嫁が教会堂に向かってゆっくり進み、ほかの着飾った参列者も数十人が教会堂に向かっていった。上流階級らしい人たちだったが何者だったのだろうか。最後に図書館。見事なフレスコ画の天井、寄木細工でつくられた書架。本はほとんどが背表紙を奥、小口を手前にして書架に収められている。書架には番号が振られ、本の小口にも番号が記入されているので、目録で本を探せば番号で位置が簡単にわかる仕組みのようだ。図書館の窓から外を見ると、結婚式を終えたらしい人々が歩いていた。帰りはバスで。Moncroaに着き、地下鉄でSol乗り換えAnton Martínへ。宿が近いが、そのままプラドへ行くことにする。今日は18時から入場無料。18時半に着いてみると、先日と同じくらいの長さの行列。しかし列の進み方は早く、10分もしないうちに入場できた。裏の新館の方の入場口も使っているので早かったようだ。今日もスペイン絵画を中心に見る。ロマネスクを観た後ではルネサンスもつまらなく感じるのはなぜなのだろう。特にキリスト磔刑図などであそこまでリアルに描くのは信仰のためなのだろうが、ではロマネスクの絵では信仰は強められなかったのだろうか。最後はゴヤ。「黒い絵」のシリーズを観た後に遺作の「ミルク売り娘」を見るといつも思う。人間の醜さを見つめ続け描き続けたゴヤが、最後に行き着いた「ミルク売り娘」の清澄。醜さにまみれ続けたゴヤの中に残っていた清澄の表れなのか、ゴヤの懺悔の形なのか、醜さを直視し続けることに耐えられなくなったゴヤの弱さの露呈なのか。いずれにしても見る側にも救いであることに違いはない。por Andrés退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)