Caminoを歩き終えて半年が過ぎた。ようやく少し距離を置いて見ることができるようになったように思う。帰国後1カ月ほどは、普段は全くと言っていいほど夢を見ない私が、毎晩のようにCaminoの夢を見た。そのほとんどは、街でも人でも教会でもなく、荒涼とした丘を越えて続くCaminoの風景だった。また歩きたいかと問われれば、僅かな躊躇いはあるものの、歩きたいと答えるだろう。それどころか秋には再びCaminoに立とうと考え始めている。
 
なぜ巡礼だったのか、Caminoだったのか。
 
El Camino de Santiago(サンティアゴ巡礼路)。キリスト教三大聖地の一つであるサンティアゴ・デ・コンポステーラへの路。
巡礼は自宅からはじまる。そうは言っても遠い極東の地に住む私たちが自宅から徒歩でというのは不可能だ。ヨーロッパに住む人々も、スペイン人でさえ自宅からSantiago de Compostelaに向けて歩きはじめる者はほとんどいない。ましてや「巡礼証明書」は最後の100kmを歩けば与えられるのだから。では、100kmではなくサン・ジャン・ピエ・ド・ポルからピレネーを越えて800kmの道程を歩き通そうと考えたのは何故か。それ以前にキリスト者でもない人間がCaminoに立とうという理由は何だったのか。四国遍路でもなく伊勢参りでもなく、遠いスペインのCamino de Santiagoを歩こうと思うようになったのはどうしてなのか。
 
Caminoを歩こうと思ったのは、10年ほど前のことだった。Caminoの存在を知ったのはそれよりもさらに数年あるいは十数年前だった。いつだかは明確でないが、少なくともパウロ・コエーリョの「星の巡礼」や黛まどかの「星の旅人」を読んだのが2003年だったので、そのころにはCaminoに関心を持つようになっていたのは間違いない。ただしそれとCaminoを歩こうと考えることとは別だ。
Caminoを歩くことになった背景には、宗教とスペインへの関心、もう少し狭めて言えばスペインのカトリックへの関心があった。宗教への関心は様々に方向を変えながら私の中に持続してきたものだ。ある時は党派性との関わりで、つまりスターリニズムに代表されるような党派や思想を絶対化するのはなぜなのかを考える中で。オウム真理教の動向に関連して、人が一見怪しげな教義や教祖に盲目的とも思える服従を示すことになる経緯を考える中で。そしてまた、権力によって最も被害を受ける人々が最もその権力を支持するという不合理としか考えられない事態が生じる理由を考える中で。
 
四国ではなくCaminoを歩いた理由は簡単に列記できる。スペインへの興味や親近感。思考から生活様式にまで染み込んだ西欧文明の影響。仏教や神道よりキリスト教に親しんできた来歴。
 
だが、巡礼路を歩く理由は何だったのか。
 
欧米で「あなたの宗教は?」と訊ねられた時、以前は「仏教と答えておきなさい。無信仰などと言うと怪しまれますよ」と助言されたものだ。しかし現在ではスペイン人でも「無信仰」とか「無神論者」だとか答える人も珍しくない。都会、地方を問わず、どこの教会も日曜ミサでさえ集まるのは少数の高齢者だけというのが実情。結婚式はさすがに教会でという人が多いとは言うものの、市役所だけで済ませてしまう人も少なくない。キリスト教会も日本の「葬式仏教」と変わりない状況になっているようなのだ。ところがCaminoは年を追うごとに隆盛を極めるようになっている。巡礼者数は1991年には7,000人ほどだったのが、2000年は55,000人、2005年は94,000人、2010年は270,000人(この年は聖年なので特殊)、2015年は260,000人。これはキリスト教ではなくスピリチュアリズムへの関心の高まりゆえなのか。教会という組織や既存のキリスト教の教義にではなく、イエスの教え、あるいは宗教自体への傾斜は強まっていることの証なのか。
 
もちろん私自身が信仰を求めたのではない。神を求める心の動きのようなものがこれまで全くなかっというわけではないが、結局は信仰に入ることなくここまでやってきた。それには様々な幸運も影響していただろう。どうもがいても出口が見つからなくなった時、人が神にすがろうとする。どんなに考え抜いても判断の筋道をつけられない時、神に身をゆだねようとする。そこまで追いつめられることのなかった幸運。
一方で、イエスや親鸞には魅かれるところがある。開祖としてではなく、あくまでも一人の魅力的な人間として。だから、聖書を読んでイエスの言行に打たれることはあっても、そこから信仰へ進むことはあり得なかった。
 
こんな私が巡礼路を歩こうとしたのはなぜか。
神に出会った人に出会いたい、人が神に出会うところに立ってみたい。信仰から遠い私でも神に出会うことがあるのかを試したい。こんな理由を並べることは不遜だろう。Caminoで神のことを考えたことはあったが、神に語りかけることはなかったし神からの語りかけに耳を澄まそうとしたこともなかった。当然、神に出会うわけはない。また、人が神に出会うところなど、他者が知りうるものでもない。
ただ、荒涼と続く丘の連なりを前に歩きながら語りかけ耳を澄まし続ければ、神が応えてくれることもあるだろうことを感じ取れたことは確かだ。
por Andrés
/images/2016/05/IMGP2731-644x483.jpg/images/2016/05/IMGP2731-150x150.jpgAndrésフランス人の道 Camino FrancésCamino,Francés,Santiago,サンティアゴ,フランス人の道,巡礼Caminoを歩き終えて半年が過ぎた。ようやく少し距離を置いて見ることができるようになったように思う。帰国後1カ月ほどは、普段は全くと言っていいほど夢を見ない私が、毎晩のようにCaminoの夢を見た。そのほとんどは、街でも人でも教会でもなく、荒涼とした丘を越えて続くCaminoの風景だった。また歩きたいかと問われれば、僅かな躊躇いはあるものの、歩きたいと答えるだろう。それどころか秋には再びCaminoに立とうと考え始めている。 なぜ巡礼だったのか、Caminoだったのか。 El Camino de Santiago(サンティアゴ巡礼路)。キリスト教三大聖地の一つであるサンティアゴ・デ・コンポステーラへの路。巡礼は自宅からはじまる。そうは言っても遠い極東の地に住む私たちが自宅から徒歩でというのは不可能だ。ヨーロッパに住む人々も、スペイン人でさえ自宅からSantiago de Compostelaに向けて歩きはじめる者はほとんどいない。ましてや「巡礼証明書」は最後の100kmを歩けば与えられるのだから。では、100kmではなくサン・ジャン・ピエ・ド・ポルからピレネーを越えて800kmの道程を歩き通そうと考えたのは何故か。それ以前にキリスト者でもない人間がCaminoに立とうという理由は何だったのか。四国遍路でもなく伊勢参りでもなく、遠いスペインのCamino de Santiagoを歩こうと思うようになったのはどうしてなのか。 Caminoを歩こうと思ったのは、10年ほど前のことだった。Caminoの存在を知ったのはそれよりもさらに数年あるいは十数年前だった。いつだかは明確でないが、少なくともパウロ・コエーリョの「星の巡礼」や黛まどかの「星の旅人」を読んだのが2003年だったので、そのころにはCaminoに関心を持つようになっていたのは間違いない。ただしそれとCaminoを歩こうと考えることとは別だ。Caminoを歩くことになった背景には、宗教とスペインへの関心、もう少し狭めて言えばスペインのカトリックへの関心があった。宗教への関心は様々に方向を変えながら私の中に持続してきたものだ。ある時は党派性との関わりで、つまりスターリニズムに代表されるような党派や思想を絶対化するのはなぜなのかを考える中で。オウム真理教の動向に関連して、人が一見怪しげな教義や教祖に盲目的とも思える服従を示すことになる経緯を考える中で。そしてまた、権力によって最も被害を受ける人々が最もその権力を支持するという不合理としか考えられない事態が生じる理由を考える中で。 四国ではなくCaminoを歩いた理由は簡単に列記できる。スペインへの興味や親近感。思考から生活様式にまで染み込んだ西欧文明の影響。仏教や神道よりキリスト教に親しんできた来歴。 だが、巡礼路を歩く理由は何だったのか。 欧米で「あなたの宗教は?」と訊ねられた時、以前は「仏教と答えておきなさい。無信仰などと言うと怪しまれますよ」と助言されたものだ。しかし現在ではスペイン人でも「無信仰」とか「無神論者」だとか答える人も珍しくない。都会、地方を問わず、どこの教会も日曜ミサでさえ集まるのは少数の高齢者だけというのが実情。結婚式はさすがに教会でという人が多いとは言うものの、市役所だけで済ませてしまう人も少なくない。キリスト教会も日本の「葬式仏教」と変わりない状況になっているようなのだ。ところがCaminoは年を追うごとに隆盛を極めるようになっている。巡礼者数は1991年には7,000人ほどだったのが、2000年は55,000人、2005年は94,000人、2010年は270,000人(この年は聖年なので特殊)、2015年は260,000人。これはキリスト教ではなくスピリチュアリズムへの関心の高まりゆえなのか。教会という組織や既存のキリスト教の教義にではなく、イエスの教え、あるいは宗教自体への傾斜は強まっていることの証なのか。 もちろん私自身が信仰を求めたのではない。神を求める心の動きのようなものがこれまで全くなかっというわけではないが、結局は信仰に入ることなくここまでやってきた。それには様々な幸運も影響していただろう。どうもがいても出口が見つからなくなった時、人が神にすがろうとする。どんなに考え抜いても判断の筋道をつけられない時、神に身をゆだねようとする。そこまで追いつめられることのなかった幸運。一方で、イエスや親鸞には魅かれるところがある。開祖としてではなく、あくまでも一人の魅力的な人間として。だから、聖書を読んでイエスの言行に打たれることはあっても、そこから信仰へ進むことはあり得なかった。 こんな私が巡礼路を歩こうとしたのはなぜか。神に出会った人に出会いたい、人が神に出会うところに立ってみたい。信仰から遠い私でも神に出会うことがあるのかを試したい。こんな理由を並べることは不遜だろう。Caminoで神のことを考えたことはあったが、神に語りかけることはなかったし神からの語りかけに耳を澄まそうとしたこともなかった。当然、神に出会うわけはない。また、人が神に出会うところなど、他者が知りうるものでもない。ただ、荒涼と続く丘の連なりを前に歩きながら語りかけ耳を澄まし続ければ、神が応えてくれることもあるだろうことを感じ取れたことは確かだ。por Andrés退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)