7時50分から1時間ほどかけてホテルで朝食。Ameliaは中華、私はアメリカン。質が良い。しかも和食、中華、アメリカン、サラダの4コースの中から選んだ上に、その場でステーキ、鶏南蛮、パンケーキ、フレンチトースト、果物とアイスクリームの中からいくつでも何度でも追加できる。私たちはパンケーキとフレンチトーストを1皿ずつと、果物とアイスクリームを2皿頼んだ。量が少なくて助かった。若い頃だとステーキも頼んだだろうが。

このホテルは、確かに値段は高めだが、部屋はもちろん廊下やロビーなどもゆったりと広く、サービスも良く、朝食も満足の行くものなので、総合的に考えると決して高くはない。だからと言っていつもこのレベルの宿に泊まろうとは思わないが。

9時半ごろチェックアウトして西都原古墳群へ。40分で着いた。ガイダンスセンターで案内図をもらい、歩いて見学に向かう。センター付近の広場は満開のコスモス畑が広がり、幾組もの幼稚園児や保育園児たちが遊びに来ている。心地良い秋晴れの下で子供たちも嬉しそうにコスモスを眺めたり走り回ったりしていた。

古墳群の見学を始めたが、センターでもらった案内図があまりにも役立たず。道にある案内標識には「第三古墳群」などと記されていて、案内図には「第111号墳」という表記の仕方しかないのだ。西都原考古博物館が見えたので、先ずそちらへ行ってみる。立派な建物で内部も現代的な造り。しかし順路が示されていないために迷路のような展示会場で、時代が行ったり来たりし、戸惑うことが多い。さらに説明文が、非常に専門的になっているかと思うと極度に情緒的な表現が多用されていたりする。古墳群の案内図と言い、博物館の展示と言い、あまりにも独りよがりが目につく。センターに戻る途中でようやく西都原の特徴である地下式横穴墓を見つけ、見学できた。もちろん古墳の内部に入れはしないが。さらに柵で囲まれて出入口も閉じられたこんもりとした森があったので、道路を渡って入口に近づいてみると宮内庁の名で立ち入り禁止の掲示。ここが西都原で最大の「男狭穂塚」「女狭穂塚」だった。

のんびり散歩するには絶好の場所で、春は桜、秋は秋桜で楽しませてくれるのだろう。ところが今日はジェット戦闘機の爆音が始終轟きわたり、のどかな空気を破壊し続けていた。あとでニュースを聞くと、日米合同訓練が近くの新田原基地で行われていたそうだ。しかも訓練に参加している米軍関係者は、県や市が基地内への滞在を要請したにもかかわらず新型コロナ感染対策のためにと宮崎市内のホテルに滞在し続けているそうだ。軍というものが誰の命や健康を最優先するかがこんなところにも現れている。

センターに戻り見学は打ち切って、昼食のために高鍋町移動する。 宮崎名物の鶏南蛮の定食と宮崎牛のカレー。普通の食堂の味。

1時間ほど走って美々津へ。ここは重要伝統的建造物群保存地区に指定されている、幕末から明治・大正期にかけて廻船業を中心に賑わった港町。歩くだけだと10分もあれば一巡できるような小さな町で、廻船問屋だった大きな家のある一角、商家が並んでいたらしい通りなどが昔の面影を残している。しかし若い人や子供の姿は見えず、たまに老人が歩いているだけで、観光客の姿もほとんどない。小さな漁船が幾艘か舫われている港に車を停め、Ameliaは遠隔授業を受ける。初めての屋外での実践だったが、携帯のテザリングを使って何の問題もなくできた。

16時半に高千穂に向かって走り始める。海沿いを走り、延岡から内陸に入る。山間の道になるが、カーブは急ではないので時間はあまりかからない。途中の道の駅に寄って宮崎土産をいくつか買う。「地域共通クーポン電子クーポン」を使える店が少ないので、期限の今日のうちに使い切れて幸いだった。

高千穂は予想外に都会だった。今夜の宿は昔ながらの旅館。古ぼけてはいないが。部屋でちょっと休んでから夕食。 夕食も昔ながらの旅館の典型。食後に大浴場で入浴。ボイラーでの沸かし湯で、私が入ろうとしているところに宿の人がやって来て湯がぬるくなっているからと湯を注ぎ足してくれる。風呂場も昔ながらの旅館そのもの。

明日も高千穂に泊まるが、ここに連泊しなくてよかった。今夜は少し冷える。

/images/2020/11/20201105_144548_001-scaled-700x394.jpg/images/2020/11/20201105_144548_001-scaled-150x150.jpgAndrés国内旅行7時50分から1時間ほどかけてホテルで朝食。Ameliaは中華、私はアメリカン。質が良い。しかも和食、中華、アメリカン、サラダの4コースの中から選んだ上に、その場でステーキ、鶏南蛮、パンケーキ、フレンチトースト、果物とアイスクリームの中からいくつでも何度でも追加できる。私たちはパンケーキとフレンチトーストを1皿ずつと、果物とアイスクリームを2皿頼んだ。量が少なくて助かった。若い頃だとステーキも頼んだだろうが。 このホテルは、確かに値段は高めだが、部屋はもちろん廊下やロビーなどもゆったりと広く、サービスも良く、朝食も満足の行くものなので、総合的に考えると決して高くはない。だからと言っていつもこのレベルの宿に泊まろうとは思わないが。 9時半ごろチェックアウトして西都原古墳群へ。40分で着いた。ガイダンスセンターで案内図をもらい、歩いて見学に向かう。センター付近の広場は満開のコスモス畑が広がり、幾組もの幼稚園児や保育園児たちが遊びに来ている。心地良い秋晴れの下で子供たちも嬉しそうにコスモスを眺めたり走り回ったりしていた。 古墳群の見学を始めたが、センターでもらった案内図があまりにも役立たず。道にある案内標識には「第三古墳群」などと記されていて、案内図には「第111号墳」という表記の仕方しかないのだ。西都原考古博物館が見えたので、先ずそちらへ行ってみる。立派な建物で内部も現代的な造り。しかし順路が示されていないために迷路のような展示会場で、時代が行ったり来たりし、戸惑うことが多い。さらに説明文が、非常に専門的になっているかと思うと極度に情緒的な表現が多用されていたりする。古墳群の案内図と言い、博物館の展示と言い、あまりにも独りよがりが目につく。センターに戻る途中でようやく西都原の特徴である地下式横穴墓を見つけ、見学できた。もちろん古墳の内部に入れはしないが。さらに柵で囲まれて出入口も閉じられたこんもりとした森があったので、道路を渡って入口に近づいてみると宮内庁の名で立ち入り禁止の掲示。ここが西都原で最大の「男狭穂塚」「女狭穂塚」だった。 のんびり散歩するには絶好の場所で、春は桜、秋は秋桜で楽しませてくれるのだろう。ところが今日はジェット戦闘機の爆音が始終轟きわたり、のどかな空気を破壊し続けていた。あとでニュースを聞くと、日米合同訓練が近くの新田原基地で行われていたそうだ。しかも訓練に参加している米軍関係者は、県や市が基地内への滞在を要請したにもかかわらず新型コロナ感染対策のためにと宮崎市内のホテルに滞在し続けているそうだ。軍というものが誰の命や健康を最優先するかがこんなところにも現れている。 センターに戻り見学は打ち切って、昼食のために高鍋町移動する。 宮崎名物の鶏南蛮の定食と宮崎牛のカレー。普通の食堂の味。 1時間ほど走って美々津へ。ここは重要伝統的建造物群保存地区に指定されている、幕末から明治・大正期にかけて廻船業を中心に賑わった港町。歩くだけだと10分もあれば一巡できるような小さな町で、廻船問屋だった大きな家のある一角、商家が並んでいたらしい通りなどが昔の面影を残している。しかし若い人や子供の姿は見えず、たまに老人が歩いているだけで、観光客の姿もほとんどない。小さな漁船が幾艘か舫われている港に車を停め、Ameliaは遠隔授業を受ける。初めての屋外での実践だったが、携帯のテザリングを使って何の問題もなくできた。 16時半に高千穂に向かって走り始める。海沿いを走り、延岡から内陸に入る。山間の道になるが、カーブは急ではないので時間はあまりかからない。途中の道の駅に寄って宮崎土産をいくつか買う。「地域共通クーポン電子クーポン」を使える店が少ないので、期限の今日のうちに使い切れて幸いだった。 高千穂は予想外に都会だった。今夜の宿は昔ながらの旅館。古ぼけてはいないが。部屋でちょっと休んでから夕食。 夕食も昔ながらの旅館の典型。食後に大浴場で入浴。ボイラーでの沸かし湯で、私が入ろうとしているところに宿の人がやって来て湯がぬるくなっているからと湯を注ぎ足してくれる。風呂場も昔ながらの旅館そのもの。 明日も高千穂に泊まるが、ここに連泊しなくてよかった。今夜は少し冷える。退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)