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大震災から10年、そしてコロナ禍で約1年。

無常観は、おそらく平安時代の都を繰り返し襲った疫病、飢饉、戦乱によるところが大きいのだろうが、10年前、津波の風景を目の当たりにしてやはり私も無常観にとらわれたものだった。

続いて起こったフクシマの原発事故、そして1年前から続くコロナ禍で、日本政府やそれを支えている多くの日本人に対して私が抱かざるを得なくなったのは「隔絶感」とでも言うべきものだ。原発について言えば、事故以前に振りまかれていた「安全神話」は、原発がことごとく東京や大阪などの大都市から遠く離れた地方に配置されていること一つを見ただけでも「神話」でしかないことは明らかだった。にもかかわらずそうした日本政府の原発政策を支持し、事故後も基本的には容認してきた多数の日本国民については、もちろん批判するしかないが、一方ではその基底にある「自分の利益が侵されているわけではない」という姿勢は理解できないわけではなかった。しかしコロナ禍で繰り返し示された日本政府の非科学性に対しては「自分の利益が侵されるわけではない」ということで容認しているとは思えない。おそらくそこにあるのは「自分は大丈夫だろう」という根拠なき楽観と、誰がやっても大差ないだろうからあえて政権を替えることもないという悲観との共存だろう。現実にはフクシマ後に原発全廃を決めたドイツや、コロナ対策で大きな成果を上げている「台湾」など、合理的政策を進めているところはいくつもあるのだが。

大震災は、中でも原発事故は日本が大きく変わる契機となりえたはずだ。少なくとも真昼間から煌々と照らしていたコンビニや駅構内の照明をいくらか落として電力消費を減らすぐらいのことはできたはずだ。しかしほんの数カ月ですっかり過剰な明るさが戻ってしまった。

コロナ禍で「新しい生活様式」が唱えられたが、それはたかだかマスクをして外出すると言った程度のことにしかなっていない。

第二次世界大戦の敗戦で、10年前の津波の被災地をはるかに上回る空襲による破壊を目にしても、日本は変われなかった。

コロナによる死亡者数9,000人弱、大震災による死者行方不明者数22,000人余、これらをはるかに上回る15年戦争での日本人戦没者数310万人を経験しても基本的には日本は変われなかった。

結局、日本国民の多くは論理的思考ができないということなのかもしれないし、だとすればそうした人々に対しての批判は無効でしかないだろう。当然のことながら全てにおいて論理的であるわけではないが、それでも出来得る限り論理的であろうとしている者にとって、論理性に価値を置かない人々とはコミュニケーションは成立しようもなく、「隔絶感」だけが続くことになっている。

Andrés政治・経済・国際日記・コラム・つぶやき大震災から10年、そしてコロナ禍で約1年。 無常観は、おそらく平安時代の都を繰り返し襲った疫病、飢饉、戦乱によるところが大きいのだろうが、10年前、津波の風景を目の当たりにしてやはり私も無常観にとらわれたものだった。 続いて起こったフクシマの原発事故、そして1年前から続くコロナ禍で、日本政府やそれを支えている多くの日本人に対して私が抱かざるを得なくなったのは「隔絶感」とでも言うべきものだ。原発について言えば、事故以前に振りまかれていた「安全神話」は、原発がことごとく東京や大阪などの大都市から遠く離れた地方に配置されていること一つを見ただけでも「神話」でしかないことは明らかだった。にもかかわらずそうした日本政府の原発政策を支持し、事故後も基本的には容認してきた多数の日本国民については、もちろん批判するしかないが、一方ではその基底にある「自分の利益が侵されているわけではない」という姿勢は理解できないわけではなかった。しかしコロナ禍で繰り返し示された日本政府の非科学性に対しては「自分の利益が侵されるわけではない」ということで容認しているとは思えない。おそらくそこにあるのは「自分は大丈夫だろう」という根拠なき楽観と、誰がやっても大差ないだろうからあえて政権を替えることもないという悲観との共存だろう。現実にはフクシマ後に原発全廃を決めたドイツや、コロナ対策で大きな成果を上げている「台湾」など、合理的政策を進めているところはいくつもあるのだが。 大震災は、中でも原発事故は日本が大きく変わる契機となりえたはずだ。少なくとも真昼間から煌々と照らしていたコンビニや駅構内の照明をいくらか落として電力消費を減らすぐらいのことはできたはずだ。しかしほんの数カ月ですっかり過剰な明るさが戻ってしまった。 コロナ禍で「新しい生活様式」が唱えられたが、それはたかだかマスクをして外出すると言った程度のことにしかなっていない。 第二次世界大戦の敗戦で、10年前の津波の被災地をはるかに上回る空襲による破壊を目にしても、日本は変われなかった。 コロナによる死亡者数9,000人弱、大震災による死者行方不明者数22,000人余、これらをはるかに上回る15年戦争での日本人戦没者数310万人を経験しても基本的には日本は変われなかった。 結局、日本国民の多くは論理的思考ができないということなのかもしれないし、だとすればそうした人々に対しての批判は無効でしかないだろう。当然のことながら全てにおいて論理的であるわけではないが、それでも出来得る限り論理的であろうとしている者にとって、論理性に価値を置かない人々とはコミュニケーションは成立しようもなく、「隔絶感」だけが続くことになっている。退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)