9:15 昨日はあれから中心街に歩いて行った.途中の市場の隣にあったカフェでチューロとチョコラーテの朝食.やっと希望のものを食べられた.市場の側にあるせいかオバサンの客が多い.カフェを出ようとしたところで雨が降り出す.数分待って小降りになったところで出発する.前の晩,最初に休んだ公園の側を通り,海岸に出る.公園には観覧車などが置かれ,やはり祭りでもあるのだろうか.

海岸に面した「ガラスの街」に出る.道路を隔てた海岸側にツーリスモの事務所があるが,開くのは9時でそれまで10分程あるので,突堤に歩いて行き写真を撮る.9時にツーリスモに行く.一戸建のきれいな事務所.ラ・コルーニャの地図に,サモーラの案内まで手に入る.

14:40 「ガラスの街」は海岸通りに面したビルの壁面が白い窓枠とガラス窓で覆われているもので,離れて見るときれいだ.近くで見てみるとビルの壁から50cm~1mぐらいせり出した木造のベランダのようなもの.

そこから歩いて港の端にあるサン・アントン城へ行く.開くのは10時なので,それまでの20分程を門の前で待つ.キャンピングカーが停まっている.城門の上に犬がいる.開館の10分程前に係の男と女が相次いで出勤.開門と同時に入り,見て回る.小じんまりした港の入口を固めた要塞.内部には石器等が展示してあるが,大したことはない.

城を出てまた中心街に戻り,宿を探す.前夜訪ねたところに何ヶ所か行くが,全て満員で断られる.宿に荷物を置いてからヘラクレスの塔に行くつもりだったが,このままではまた野宿になってしまう可能性があるので,ラ・コルーニャからは退散することにして,駅へ向かう.タクシーに乗ろうかとも思ったが,歩くことにする.

12時半頃駅に着き,チェケトレンに記入してもらい,カフェでリモナーダを飲む.列車は13時定刻に出発.同席のスペイン人がタバコをすすめてくれる.すぐに眠くて仕様がなくなり,眠り込む.途中,同席の二人は降りてしまったらしいが,全く気付かない.隣の箱の女がタバコをもらいに来たのをぼんやりと憶えているだけ.14時30分にコンポステーラ着.

駅を出ると宿の客引き.12~13才の少年が寄って来て1000ペセタで父親は英語を話すと言うが,駅の近くだと言うので断る.他の男が来てしつこく誘う.中心街は満員だと言うので,この男について行くことにする.駅から坂を登って5分程のところ.割に清潔そうな所なので,ここに決める.荷物を置き,すぐに昼食をとりに出る.宿から10分弱のところでレストランを見つけ入る.定食を頼むと鱈のステーキがまず出て来る.程よい味付けでなかなか美味い.次は骨つきステーキ.二人で6枚も出て来て,2枚ずつ食べるのがやっと.デザートのメロンも大きなのが2切れ.やっとまともな食事にありつけた.

食後,歩いて宿に戻る.途中,本屋に寄り少し見てみる.「1981」という昨年一年間の様々な事件の写真集のようなものを見つける.マドリーかバルセローナの本屋で探して,あったら買おう.宿に帰ってすぐに寝る.

目が覚めたのは夜の11時半.起きてシャワーを浴びる.ところが湯が出ず,水のシャワーで我慢する.配偶者は洗濯.シャワーから出てラジオを聞いていたら急に寒気がして来て,慌ててベッドに入りそのまままた寝込んでしまう.配偶者はその後も洗濯,片付け,日記記入をやって2時半頃まで起きていたらしいが,全く知らない.

今朝は一度7時半頃目が覚めたが,また眠り込み,起床は8時45分.洗顔を済ませ9時45分に宿を出てカテドラルに向かう.一旦カテドラル前の広場に出て,また少し引き返し,カフェで朝食.コーヒーとドーナツ.カテドラルに入る.さすがに大きいが,例によって祭壇はキンキラキン.

ちょうどミサが始まる.聖職者の他に一般人のような人もマイクに向かって何か言う.やがて堂内の中心の天井から壷のようなものがロープで降ろされ,外から棒で下げられた壷が運び込まれて,それをロープに下げる.そしてこれを堂内の十字の横の方向に振り始める.壷の中では香が焚かれ,ロープの別の端を握った男達が引いたり緩めたりすることでこの振り子はほとんど天井に届かんばかりの水平近くなるまで高く振られる.下にいると落ちて来た時に恐ろしいほどだ.これによって煙がまき散らされ,身体を清めると言うのだろう.とにかくすごい人出.しかもカテドラルの見物と言うよりミサへ参加しに来ている.

中に中学生位の団体がそろいのスカーフをして立て札のようなものを持って来ている.ミサで声を合わせてお祈りをしたり聖歌を歌ったりしている.祭壇の裏に入ってキリスト像に触るためにも多数の列で,とても並ぶ気になれない.ミサの最後の聖パンをもらうための列も数百人になる.一通りミサが終わり聖職者が退場しても,また十五分位で次のミサが始まる.こうして続けざまにミサを上げているのだろう.さすがに有名な巡礼地である.

カテドラルの外回りを一周しながらMUSEOを見て回る.古い石の壁面や柱の破片,タピスリー等が展示してある.

その中に妊婦のマリア像もある.

一巡したところで昼になったので裏町に行き,レストランで昼食.父・母・娘の三人でやっている店.私は定食,配偶者はスープとエビ.ガリシア風スープは野菜と里芋と豆で,なかなかあっさりして美味い.配偶者のエビは塩焼き,私に出たエビは茹でたもので種類が違う.その後,私には小さなステーキ.肉が非常に柔らかい.デザートはフラン.

レストランを出て旧王立病院,現在はオスタル・レイエス・カトリコスと言う5つ星のホテルになっている所に行く.入口から入ろうとするとドア・マンに断られる.脇に回ったところにカフェがあるので覗いてみると誰も客がいないので暫く外で待ち,誰か入って行かないかと見ている.やがて中年の夫婦が入って行き,出て来そうもないので私たちも入ることにする.中はきれいに磨かれた木の床.壁にはいくつもの絵がかかり,なかなか立派.ここでコーヒーを飲み,日記を書く.一時間半も粘ってしまった.これから今度は反対側の出口から出て,あわよくば王立病院の中を見学しようと思っている.

19:40 王立病院(ホテル)内は見学できるところがほとんどなく,絵の展覧会をやっているところだけを少し見て,先程入るのを断られた正面入口から外に出る.トラベラーズ・チェックを替えなければならないので,大学へ向かいながら銀行を探す.一つ銀行が見つかったので見ると,13時までとなっている.ここではじめて今日が土曜日だったことに気付く.これでは明日も換金できない.そこでホテルで替えてもらうことにしてまた王立病院に戻る.入口から入ろうとすると先のドアマンがおり,換金するのだと言うともう一人のドアマンはフロントの方を指差すのに,このドアマンはやっていないと断る.仕様がなく出て,ブルーガイドに載っている別のホテルに行くことにする.行く途中にあった別のホテルに念のために行ってみると,「ここではやってないからコンポステーラ・ホテルに行け」と言う.これがブルーガイドに載っているホテルなので,そこへ行く.行ってみるとここにもドアマンがおり,これは英語で応対してくれるが,「今日はお金がない.ホテル・レイエス・カトリコスでやっている」と言ってくれる.しかしレイエス・カトリコスは先程断られたばかりなので行く気がせず,駅に行ってみることにする.駅までは歩いて10分位.しかし駅にはCAMBIOはない.ついでなので一度宿に戻り,ミサを録音するためにテープレコーダーを持ち,再びカテドラル前に戻る.ホテル・レイエス・カトリコスに行き,ドアマンを今度は無視してすぐにフロントに行く.トラベラーズ・チェックはだめだが現金の交換はすると言うので,手持ちのフランを換える.大きな札が500Fあったので,これをペセタに換える.7500Pts.になる.

カテドラルの中に入るが,祭壇の灯も消され,もう今日はミサをやらない様子.先程買った入場券でまだ一ヶ所だけ見ていなかった宝物庫を見学し,大学へ行く.ここは正面が閉まっており,脇に開いているドアがあったので入ってみると,そこは礼拝堂.ちょっとだけ見学し,出てから途中で絵葉書を買い,夕暮れにカテドラルを見ると美しいと言うエラドゥーラ公園へ行ってみる.しかし7時半ではまだまだ陽が高い.近くのカフェに行き,私はこの日記を書き,配偶者は家族・友人などに絵葉書を書く.目の前を相変わらず沢山の観光客らしい人々がぞろぞろと歩き,エラードの屋台からはラジオの音楽が大きな音を流し,その先のここから十数メートル離れたところでは老夫婦がアコーデオンを奏してお金を集めている.ここは日影だが,風が少し吹いてちょっと肌寒さを感じるほど.真昼に日向を歩くといくらか暑さを感じられるが,とにかくガリシアは涼しいところである.ガリシアだからなのか,それとも今年のスペインは冷夏なのか.この後,アンダルシア方面へ行けば分かることではあるが.この涼しさにも関らず目の前のエラード屋は繁盛していて,ほとんど絶え間なく客が来てはアイスクリームを買って行っている.

24:00 カフェを出て旧市街を少しぶらぶらし,宿に近い新市街の方へ行ってボカディージョ屋で夕食代わりの軽い食事をする.私はボカディージョ・アンチョビとビール,配偶者はボカディージョ・イカリングとリモナーダ.そこを出て再びエラドゥーラ公園に行く.先程とは反対側を回って行くとちょうど日没.カテドラルの眺めは昼と変わりない.公園の中心の丘から音楽が聞こえるのでなにかと思って行ってみると,天井に網を張って電気を通しアンテナから電気をとって走り回る車で,他の車にぶつかって遊ぶものをやっている.客は少なく,不良っぽい子供達が4台ほどを乗り回しているだけ.やがて時間切れで車が止まると,弟が姉に向かってもっと金をくれと言って跪いたりしている.

丘を下りてカテドラルの見えるベンチに座って暗くなるのを待つ.寒い.西の空が赤くなって少しずつ暗くなるが,カテドラルの照明はなかなかつかない.前回のバルセローナのカテドラルの夜景のようなものを期待して三脚にカメラを据えて待つ.10時半頃やっと暗くなって街の街灯や建物の窓にも灯がともるが,カテドラルの照明はつかない.10時40分まで待ってもついにつかないので,あきらめて宿に帰ることにする.昼間とは街の様子が違いどういう訳か道に迷ってしまい,宿に着くのに50分程もかかってしまう.まっすぐくれば15分もかからずに帰れるのに,方向感覚が狂ってしまった.さて眠るとしよう.

/images/2021/04/d1e31d3e63608508f7616f96f1e10734.jpg/images/2021/04/d1e31d3e63608508f7616f96f1e10734.jpgAndrésスペイン旅行スペイン旅行9:15 昨日はあれから中心街に歩いて行った.途中の市場の隣にあったカフェでチューロとチョコラーテの朝食.やっと希望のものを食べられた.市場の側にあるせいかオバサンの客が多い.カフェを出ようとしたところで雨が降り出す.数分待って小降りになったところで出発する.前の晩,最初に休んだ公園の側を通り,海岸に出る.公園には観覧車などが置かれ,やはり祭りでもあるのだろうか. 海岸に面した「ガラスの街」に出る.道路を隔てた海岸側にツーリスモの事務所があるが,開くのは9時でそれまで10分程あるので,突堤に歩いて行き写真を撮る.9時にツーリスモに行く.一戸建のきれいな事務所.ラ・コルーニャの地図に,サモーラの案内まで手に入る. 14:40 「ガラスの街」は海岸通りに面したビルの壁面が白い窓枠とガラス窓で覆われているもので,離れて見るときれいだ.近くで見てみるとビルの壁から50cm~1mぐらいせり出した木造のベランダのようなもの. そこから歩いて港の端にあるサン・アントン城へ行く.開くのは10時なので,それまでの20分程を門の前で待つ.キャンピングカーが停まっている.城門の上に犬がいる.開館の10分程前に係の男と女が相次いで出勤.開門と同時に入り,見て回る.小じんまりした港の入口を固めた要塞.内部には石器等が展示してあるが,大したことはない. 城を出てまた中心街に戻り,宿を探す.前夜訪ねたところに何ヶ所か行くが,全て満員で断られる.宿に荷物を置いてからヘラクレスの塔に行くつもりだったが,このままではまた野宿になってしまう可能性があるので,ラ・コルーニャからは退散することにして,駅へ向かう.タクシーに乗ろうかとも思ったが,歩くことにする. 12時半頃駅に着き,チェケトレンに記入してもらい,カフェでリモナーダを飲む.列車は13時定刻に出発.同席のスペイン人がタバコをすすめてくれる.すぐに眠くて仕様がなくなり,眠り込む.途中,同席の二人は降りてしまったらしいが,全く気付かない.隣の箱の女がタバコをもらいに来たのをぼんやりと憶えているだけ.14時30分にコンポステーラ着. 駅を出ると宿の客引き.12~13才の少年が寄って来て1000ペセタで父親は英語を話すと言うが,駅の近くだと言うので断る.他の男が来てしつこく誘う.中心街は満員だと言うので,この男について行くことにする.駅から坂を登って5分程のところ.割に清潔そうな所なので,ここに決める.荷物を置き,すぐに昼食をとりに出る.宿から10分弱のところでレストランを見つけ入る.定食を頼むと鱈のステーキがまず出て来る.程よい味付けでなかなか美味い.次は骨つきステーキ.二人で6枚も出て来て,2枚ずつ食べるのがやっと.デザートのメロンも大きなのが2切れ.やっとまともな食事にありつけた. 食後,歩いて宿に戻る.途中,本屋に寄り少し見てみる.「1981」という昨年一年間の様々な事件の写真集のようなものを見つける.マドリーかバルセローナの本屋で探して,あったら買おう.宿に帰ってすぐに寝る. 目が覚めたのは夜の11時半.起きてシャワーを浴びる.ところが湯が出ず,水のシャワーで我慢する.配偶者は洗濯.シャワーから出てラジオを聞いていたら急に寒気がして来て,慌ててベッドに入りそのまままた寝込んでしまう.配偶者はその後も洗濯,片付け,日記記入をやって2時半頃まで起きていたらしいが,全く知らない. 今朝は一度7時半頃目が覚めたが,また眠り込み,起床は8時45分.洗顔を済ませ9時45分に宿を出てカテドラルに向かう.一旦カテドラル前の広場に出て,また少し引き返し,カフェで朝食.コーヒーとドーナツ.カテドラルに入る.さすがに大きいが,例によって祭壇はキンキラキン. ちょうどミサが始まる.聖職者の他に一般人のような人もマイクに向かって何か言う.やがて堂内の中心の天井から壷のようなものがロープで降ろされ,外から棒で下げられた壷が運び込まれて,それをロープに下げる.そしてこれを堂内の十字の横の方向に振り始める.壷の中では香が焚かれ,ロープの別の端を握った男達が引いたり緩めたりすることでこの振り子はほとんど天井に届かんばかりの水平近くなるまで高く振られる.下にいると落ちて来た時に恐ろしいほどだ.これによって煙がまき散らされ,身体を清めると言うのだろう.とにかくすごい人出.しかもカテドラルの見物と言うよりミサへ参加しに来ている. 中に中学生位の団体がそろいのスカーフをして立て札のようなものを持って来ている.ミサで声を合わせてお祈りをしたり聖歌を歌ったりしている.祭壇の裏に入ってキリスト像に触るためにも多数の列で,とても並ぶ気になれない.ミサの最後の聖パンをもらうための列も数百人になる.一通りミサが終わり聖職者が退場しても,また十五分位で次のミサが始まる.こうして続けざまにミサを上げているのだろう.さすがに有名な巡礼地である. カテドラルの外回りを一周しながらMUSEOを見て回る.古い石の壁面や柱の破片,タピスリー等が展示してある. その中に妊婦のマリア像もある. 一巡したところで昼になったので裏町に行き,レストランで昼食.父・母・娘の三人でやっている店.私は定食,配偶者はスープとエビ.ガリシア風スープは野菜と里芋と豆で,なかなかあっさりして美味い.配偶者のエビは塩焼き,私に出たエビは茹でたもので種類が違う.その後,私には小さなステーキ.肉が非常に柔らかい.デザートはフラン. レストランを出て旧王立病院,現在はオスタル・レイエス・カトリコスと言う5つ星のホテルになっている所に行く.入口から入ろうとするとドア・マンに断られる.脇に回ったところにカフェがあるので覗いてみると誰も客がいないので暫く外で待ち,誰か入って行かないかと見ている.やがて中年の夫婦が入って行き,出て来そうもないので私たちも入ることにする.中はきれいに磨かれた木の床.壁にはいくつもの絵がかかり,なかなか立派.ここでコーヒーを飲み,日記を書く.一時間半も粘ってしまった.これから今度は反対側の出口から出て,あわよくば王立病院の中を見学しようと思っている. 19:40 王立病院(ホテル)内は見学できるところがほとんどなく,絵の展覧会をやっているところだけを少し見て,先程入るのを断られた正面入口から外に出る.トラベラーズ・チェックを替えなければならないので,大学へ向かいながら銀行を探す.一つ銀行が見つかったので見ると,13時までとなっている.ここではじめて今日が土曜日だったことに気付く.これでは明日も換金できない.そこでホテルで替えてもらうことにしてまた王立病院に戻る.入口から入ろうとすると先のドアマンがおり,換金するのだと言うともう一人のドアマンはフロントの方を指差すのに,このドアマンはやっていないと断る.仕様がなく出て,ブルーガイドに載っている別のホテルに行くことにする.行く途中にあった別のホテルに念のために行ってみると,「ここではやってないからコンポステーラ・ホテルに行け」と言う.これがブルーガイドに載っているホテルなので,そこへ行く.行ってみるとここにもドアマンがおり,これは英語で応対してくれるが,「今日はお金がない.ホテル・レイエス・カトリコスでやっている」と言ってくれる.しかしレイエス・カトリコスは先程断られたばかりなので行く気がせず,駅に行ってみることにする.駅までは歩いて10分位.しかし駅にはCAMBIOはない.ついでなので一度宿に戻り,ミサを録音するためにテープレコーダーを持ち,再びカテドラル前に戻る.ホテル・レイエス・カトリコスに行き,ドアマンを今度は無視してすぐにフロントに行く.トラベラーズ・チェックはだめだが現金の交換はすると言うので,手持ちのフランを換える.大きな札が500Fあったので,これをペセタに換える.7500Pts.になる. カテドラルの中に入るが,祭壇の灯も消され,もう今日はミサをやらない様子.先程買った入場券でまだ一ヶ所だけ見ていなかった宝物庫を見学し,大学へ行く.ここは正面が閉まっており,脇に開いているドアがあったので入ってみると,そこは礼拝堂.ちょっとだけ見学し,出てから途中で絵葉書を買い,夕暮れにカテドラルを見ると美しいと言うエラドゥーラ公園へ行ってみる.しかし7時半ではまだまだ陽が高い.近くのカフェに行き,私はこの日記を書き,配偶者は家族・友人などに絵葉書を書く.目の前を相変わらず沢山の観光客らしい人々がぞろぞろと歩き,エラードの屋台からはラジオの音楽が大きな音を流し,その先のここから十数メートル離れたところでは老夫婦がアコーデオンを奏してお金を集めている.ここは日影だが,風が少し吹いてちょっと肌寒さを感じるほど.真昼に日向を歩くといくらか暑さを感じられるが,とにかくガリシアは涼しいところである.ガリシアだからなのか,それとも今年のスペインは冷夏なのか.この後,アンダルシア方面へ行けば分かることではあるが.この涼しさにも関らず目の前のエラード屋は繁盛していて,ほとんど絶え間なく客が来てはアイスクリームを買って行っている. 24:00 カフェを出て旧市街を少しぶらぶらし,宿に近い新市街の方へ行ってボカディージョ屋で夕食代わりの軽い食事をする.私はボカディージョ・アンチョビとビール,配偶者はボカディージョ・イカリングとリモナーダ.そこを出て再びエラドゥーラ公園に行く.先程とは反対側を回って行くとちょうど日没.カテドラルの眺めは昼と変わりない.公園の中心の丘から音楽が聞こえるのでなにかと思って行ってみると,天井に網を張って電気を通しアンテナから電気をとって走り回る車で,他の車にぶつかって遊ぶものをやっている.客は少なく,不良っぽい子供達が4台ほどを乗り回しているだけ.やがて時間切れで車が止まると,弟が姉に向かってもっと金をくれと言って跪いたりしている. 丘を下りてカテドラルの見えるベンチに座って暗くなるのを待つ.寒い.西の空が赤くなって少しずつ暗くなるが,カテドラルの照明はなかなかつかない.前回のバルセローナのカテドラルの夜景のようなものを期待して三脚にカメラを据えて待つ.10時半頃やっと暗くなって街の街灯や建物の窓にも灯がともるが,カテドラルの照明はつかない.10時40分まで待ってもついにつかないので,あきらめて宿に帰ることにする.昼間とは街の様子が違いどういう訳か道に迷ってしまい,宿に着くのに50分程もかかってしまう.まっすぐくれば15分もかからずに帰れるのに,方向感覚が狂ってしまった.さて眠るとしよう.退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)