22:05 昨日は疲れと暑さで何も書く気になれなかった.今夜はいくらか暑さも和らいでいるので,これを書く.忘れないうちに.

一昨日(11日)のことから.船は思ったよりも揺れがひどく,港を出るとすぐに船の甲板に出る.カモメがいつまでもついてくる.海上には水蒸気が立っていて,なかなかアフリカ大陸は見えない.配偶者が少し船酔いする.船の近くをイルカが何頭か泳いでいるのが見える.船の乗客は非常に少なく,定員の10分の1程度か.ジブラルタルの岩山が去り,やっとアフリカ大陸の先端が見える.やがてセウタの港に入港.ここはまだスペイン領.

下船して適当に町の方向に歩いて行く.思っていたよりも大きな町.すぐに商店街になるが,ここが日本製品の洪水.町を歩く人々もほとんどがこの日本製品目当ての買物客.サンヨー,ソニー,セイコー,ヤマハ,ホンダ,トヨタ等々.値段を見てみると,かなり安く,日本での安売り時ほどではないにしても,日本での定価程度かそれ以下で売っている.おそらくここは免税地区になっていて,そのため買物客が多いのだろう.店頭にもバスの横腹にもあちこちに日本企業名が見られ,走っている車もホンダのアコード,シビックが多く見られる.バイクは言うまでもない.買物客が持っているものを見ると,ラジカセの類が多いようだ.

港から海岸通りを少し歩いたところでツーリスモを見つけるが,もう閉まっている.そのまま商店街を歩いて宿をさがす.海岸通りで一軒オスタルを見つけるが,満員.歩道は狭く,買物客でごった返し,すぐわきの車道には駐車した車の列があって歩きにくい.宿らしいものはほとんどなく,商店街だからだろうと思って一本裏の道に入ってみるが,そこは住居地区で一軒も宿は見つからない.また商店街に戻ると,そこにホテルがある.ここにしようかと思って行ってみたら4つ星なのでやめて,また商店街を歩き出す.商店がやっとなくなって貧しい家並になったところでいくつものCH(ホスピダッヘ)=ペンションがかたまってある.片っ端からたずねるが全て満員.このままではコルーニャの二の舞で野宿になりかねないので,先程のホテルに行くことにして道を引き返す.ホテルでは幸い空室があったが,代金4800ペセタで,私たちの旅の宿泊代としては異常に高いが,この際仕方ない.ホテルのフロントでバスの発着所を聞く.地図を手に入れようとホテルの建物の一階にある旅行社に行ってみるが,なさそうなのであきらめて手持ちの大雑把な地図で我慢することにして,部屋に戻る.地図によると町の先にある小さな半島の部分に「反乱記念碑」と記されているので,空腹だったが暗くならないうちにと思って出かける.海岸通りを歩いて行くと,夕涼みの人々がそろそろ出てきている.30~40分位歩いてやっと到着.山の斜面をほんの少し登ったところに石造りの大きな石碑.碑面にはフランコという文字.1936年7月17日という日付.それに矢を束ねたファランヘ党のマークが刻んであるだけ.碑の形は鷲の頭をかたどった様にも見えるが,よく分からない.碑の台石には色々と落書きがしてあるが,ほとんどが英語で,内容もハシシがどうとかセックスに関するもので,政治的なものはない.碑の周りには紙屑が散乱し,訪れる人もほとんどなく,整備もされずに忘れ去られているような様子.斜面の道を通り,また海岸通りに出てホテルの方へ引き返す.碑に着く少し前に野良犬が私たちと一緒になり,この犬がずっとついてくる.汚い犬なので,はじめは少し相手をしたが,いつまでもついてきて面倒なので追い払おうとするが,私たちの前に出たり後ろについたりしてなかなか離れない.とうとう町の下までついて来てしまう.ちょっと他の人に犬が気を取られてついて行った隙に,私たちはわきの海岸のベンチに座り,犬をやり過ごしてやっとこの犬と別れることができる.

レストランをさがすが,このセウタの町にはレストランは大変少ないようで,なかなか見つからない.朝からパンをいくつか食べただけで,まともな食事をしていないので腹が空いて仕方がない.やっとホテルの近くの商店街から少し下った所で二軒のレストランを見つけ,手前の方に入る.冷房が程よく効いて気持ちが良い.軟らかくて味付けも良いカツレツが出る.

食後,ホテルで教えられたバス停を確かめに行く.しかし暗くてよく分からないので,カテドラルの少し先,Grand Hotel La Meralla の前まで行ってから引き返す.

ホテルは四つ星とは言ってもそう立派なものではなく,プールがあり,私たちの部屋にはベッドルームの手前に小部屋があって椅子とテーブルが置かれているだけで,特にどうということもなく,四つ星とはこんな程度か,という感じ.冷房設備はないが,夜は涼しい.

昨日は8時半に起き,シャワーを浴びて9時半にホテルを出る.バス停に向かうがやはり分からず,Grand Hotel の前で警官に尋ねる.すると,商店街のロータリーから市内バスで国境まで行き,そこからモロッコ方面へのバスが出るとのこと.道を少し引き返し,バスに乗る.丘を越え海岸を走って30分程で国境に着く.霧が立ち込めている.バスの乗客はモロッコ人が多い.前日の町中では観光客(買物客)が多くてモロッコ人はあまり目立たなかったのに.

国境の手前でバスを降り,国境を歩いて越える.スペイン側の検問はパスポートを一寸見るだけで簡単に通過.100m程先にモロッコ側の検問がある.この国境周辺は非常に汚い.紙屑等のごみが多数散乱.特にスペインとモロッコの検問所の間がひどく,まさにごみ捨て場.

モロッコ側検問所では非常に手間取る.窓口は沢山あるが,開いているのは一つだけ.他の人々を見ると,入国カードのようなものに記入してそれをパスポートに挟み,窓口の前に積み上げている.しかしこのカードをどこで手に入れるのかが分からない.ここの窓口では配っていないし,他に開いている窓口はないし,配っている人も見掛けない.そこでパスポートだけを先ず窓口の前に置く.2・3回カードを探しに行って,やっと車で入国する人に配っている警備兵からカードをもらい,記入.窓口の前に積み重なったパスポートの山から私のパスポートを抜き出してカードに記入している間に配偶者のパスポートが窓口の中に取り入れられてしまい,しかもそれまで比較的スムーズに進んでいたパスポート検査がここでパッタリ止まってしまい,なかなかパスポートが戻ってこない.そして私のパスポートは窓口の前の山の一番下に入ったままで,それっきり係員は手を出さない.待つこと30分程.その間に配偶者は裏に回って係員にカードを渡してき,やっとのことでパスポート検査が終わる.私達が国境に着いた頃にはモロッコ人がほとんどだったが,私達が国境を越える頃にはヨーロッパ人観光客の数が増加.パスポート検査の後は荷物検査.私達外国人に関してはちょっと中を覗くだけで簡単に終わる.検査が終わった印としてバッグの表面にチョークで何やら書かれる.その後,最後にパスポート検査と荷物検査が終わっているかどうかの検査を受けてやっと国境通過.これまでのヨーロッパでの国境通過は交差点を渡るのよりも短い時間で済んでいたのに,ここでは1時間位かかってしまった.

最後の検査の所でモロッコ人の女性たちが警備兵に手荒な扱いを受けていた.彼女たちは恐らく荷物検査を受けていなかったのだろうが,それを列から引きずり出して追い返しているのだ.しかもその時に殴ったり蹴飛ばしたりするのだ.相手が若い女だろうが老人だろうが子供を抱いていようがお構いなし.外国人に対しては物腰が柔らかいのに,同国人に対しては居丈高になる.これは官憲としての性格か,それとも植民地時代の悪影響か.

国境を超えた所で「タクシー…」と呼びかけてくる男が何人もいるが,構わずバス停に向かって歩く.反対側には国境通過待ちの車の長い列.歩いても,あたりの様子でバス停はなさそう.車の整理をしている警備兵に尋ねると,バス停はずっと先の方なので,タクシーで行くことにする.声をかけてきた男に案内されて,ドイツ人の若いカップルと相乗りでタクシーに乗る.声をかけてきた男もいっしょに乗り込む.2~3km走った所でタクシーを降ろされる.ここにバス停があるのかと思ったら,バスは朝出てもうないからテトゥアンまでタクシーで行く他はないという.ここまで乗ったタクシーに要求されるまま10DH(デュルハム 1DH=約42円)払い,少し歩いて同乗の男に案内されるままドイツ人二人と一緒に海岸に出,そこに停めてある同乗の男の車に乗り込む.車中,この男が景色をフランス語で説明してくれる.ドイツ人の男はドイツ語しかできないらしく,女の方は英・仏が話せる.車中では英・独・仏・日と四ヶ国語が交わされる.地図によるとテトゥアンまで30km位の道程.途中の海岸はリゾート地になっている所が多く,キャンプ場にはほとんどがヨーロッパ人であろう観光客が沢山来ている.海岸から離れると乾燥した土地になり,ヤギ・羊・ラクダ等が放牧されている.

テトゥアンのバスターミナルでタクシーを降りる.タクシーと言っても最初のものと同様メーターのない白タクなので料金については見当もつかず,言われるままに100DH払う.日本円で葯4200円.とは言っても私達とドイツ人からそれぞれ100DHずつ取るのだから,相当儲けているようだ.バスターミナルに入り,Fez 行きの切符を買おうとするが,金がないので外に出て適当に町の中心地と思われる方向に向かって歩く.5分程でロータリーに出,そこに銀行があったので換金する.またバスターミナルに戻り,Fez 行きの切符を買おうとするが,朝1・2本しかなく,今日の便はもうとっくに出てしまったとのこと.仕方なく銀行前のロータリーに戻り,そこに出ている表示に従ってツーリスモに行く.歩いて5分程.ツーリスモで尋ねるとFez へは他にバスの便はないが,メクネスまで行けばFez には沢山バスが出ている.メクネス行きの便は午後もあると言って時間を教えてくれる.そこでこの日はメクネスまで行くことにして,またバスターミナルに行き,14時発の切符を買う.このバスターミナルは私達の入った側が切符売場・待合所で大変な混雑.その下の階がバスの発着所で,坂の斜面に建物があるため,反対側から道路に通じている.ターミナル内でも町中でも沢山の人が「どこに行くの」と声をかけてくるが,親切心なのかお金欲しさなのか区別がつかないので,できるだけ無視する.

スペイン時間とは2時間の時差があり,ここモロッコではグリニッジ標準時を使用している.バスの出発まで2時間半位あるので,昼食を食べに行く.ガイドブックが病気等で警告しているので,銀行へ行く途中のホテルに入って食べることにする.レストランはまだ開いていないので,ホテル内のカフェで7upを飲みながら待つ.レストランは12時から.ここには定食はないので,適当に選んで食べる.ここの生活時間がどうなっているのか,レストランの客は私達だけ.

食後バスターミナルに行く.1時20分頃.待合室で待っていても案内はないので,40分頃下へ降りる.バスが沢山停まっているが,何の表示もなく,どのバスなのか分からない.すると10歳くらいの少年が来て,どこへと聞くので,メクネスと返答したらすぐ目の前のバスに連れて行ってくれる.大きな荷物は屋根の上に載せるようになっており,梯子をかけて三人位の若い男達が荷物を上に上げてくれる.これでやれやれと思ったら,お金を要求してくる.4DHだと言うが,小銭が3DHしかないのでそれだけ渡すと,4DHなければダメだと言う.仕方なく10DH札を出してツリをもらうが,先に渡した3DHはどこに行ったのか返ってこない.これで向こうはいい気になったのか,ニタニタしている.

バスは座席がなんと新幹線と同じ3列プラス2列.しかもその間に通路があるため非常に狭く,しかも前後の間隔も短い.定員は65人か.私達は56・57で後ろの方.私達の席には他の客が座っていたが,間違っていたらしく私達が切符を示すとすぐに移ってくれた.14時少し過ぎに発車.満員の上に立っている人も何人かいる.エアコンは勿論無し.窓は,例の下がはめ殺しで上の方だけ引き戸になっているやつ.バスが走り出してやっと涼しくなったと思ったら,やがて私の座っている側に日光が直接当たり,どんどん暑くなって行く.1時間程眠ってごまかしていたが,4時頃には暑さは最高になり,カーテンを閉めてもカーテンを貫いて熱気が伝わる.しかも皆がカーテンを閉めるため風も入って来ず,暑さに参っていまう.

3時間近く走り続けてやっと休憩.しかし停まった所は湧き水があるだけの所.こんな水では怖いので私達は降りずに待つ.10分程で発車.すぐ後ろの少年がミネラルウォーターの容器に入れてきた水を私達にくれたので,断るのも悪いので,一口ずつ飲む.景色は茶色く枯れた牧草地帯が延々と続き,スペインとあまり変わりがない.これでは仏人が「ピレネーの向こうはアフリカ」と言ったのも肯ける.牧草畑の中には所々刈り取った牧草を四角く固め,それを家の形に積み上げてあり,またヤギ・馬・牛・ロバ等を放してある.この辺はモロッコでも比較的恵まれている地方なのか,所々には農業機械も見られる.次の休憩地はバルがあったので私達も入って7upを飲む.ここはコーラ等すべて中ビン.20分程休んでから出発.バスの中ではラジオが大きな音を出し,いつ終わるとも知れない単調なモロッコ音楽が長々と続いていた.

このモロッコでは7時頃に暗くなり始める.メクネスに着いたのは8時過ぎで,もう完全な夜.途中何ヶ所かで数人が降りたり乗ったりしたが,ほとんどの乗客はテトゥアンからメクネスまで6時間乗りっ放し.外国人は私達だけだったようだ.バスを降りると荷物降ろしが始まる.テトゥアンで荷を上げてくれた男がちゃんと私達の荷を覚えていて早速下ろしてくれる.荷を受け取ると早速金を要求してくるが,他の乗客の様子から最初の4DHは払い過ぎだし,その上3DHも取られており,そして降車時には誰も金を払っていないのでNo!と強く言ってさっさと離れ,一銭も払わない.ちょっと歩くとすぐにメディナの城壁.ホテルは新市街の方だと思うので,反対方向に歩く.これまでの経験で懲りたので,道を尋ねる相手は子供連れの中産階級の人にする.2回ほど尋ねて見当をつけて行くと,何とかこのパレスホテルに行き着く.二つ星Aでまずまず.しかし部屋は最上階で暑い.気持ち悪い汗をシャワーで流し,食事に出る.すぐ近くのレストランに入る.ここは観光客が多い.食事の出るタイミングが遅くて苛々し,客の中には怒り出す人もいる.定食.

食後ホテルに戻ってすぐに眠る.とにかく暑さと,そしてモロッコでの初日の緊張で疲れる.ヨーロッパとも日本とも全く異なる文化の中に入り,相手の気持ちが全然読めないことの緊張感が疲労を増したようだ.

Andrésスペイン旅行スペイン旅行22:05 昨日は疲れと暑さで何も書く気になれなかった.今夜はいくらか暑さも和らいでいるので,これを書く.忘れないうちに. 一昨日(11日)のことから.船は思ったよりも揺れがひどく,港を出るとすぐに船の甲板に出る.カモメがいつまでもついてくる.海上には水蒸気が立っていて,なかなかアフリカ大陸は見えない.配偶者が少し船酔いする.船の近くをイルカが何頭か泳いでいるのが見える.船の乗客は非常に少なく,定員の10分の1程度か.ジブラルタルの岩山が去り,やっとアフリカ大陸の先端が見える.やがてセウタの港に入港.ここはまだスペイン領. 下船して適当に町の方向に歩いて行く.思っていたよりも大きな町.すぐに商店街になるが,ここが日本製品の洪水.町を歩く人々もほとんどがこの日本製品目当ての買物客.サンヨー,ソニー,セイコー,ヤマハ,ホンダ,トヨタ等々.値段を見てみると,かなり安く,日本での安売り時ほどではないにしても,日本での定価程度かそれ以下で売っている.おそらくここは免税地区になっていて,そのため買物客が多いのだろう.店頭にもバスの横腹にもあちこちに日本企業名が見られ,走っている車もホンダのアコード,シビックが多く見られる.バイクは言うまでもない.買物客が持っているものを見ると,ラジカセの類が多いようだ. 港から海岸通りを少し歩いたところでツーリスモを見つけるが,もう閉まっている.そのまま商店街を歩いて宿をさがす.海岸通りで一軒オスタルを見つけるが,満員.歩道は狭く,買物客でごった返し,すぐわきの車道には駐車した車の列があって歩きにくい.宿らしいものはほとんどなく,商店街だからだろうと思って一本裏の道に入ってみるが,そこは住居地区で一軒も宿は見つからない.また商店街に戻ると,そこにホテルがある.ここにしようかと思って行ってみたら4つ星なのでやめて,また商店街を歩き出す.商店がやっとなくなって貧しい家並になったところでいくつものCH(ホスピダッヘ)=ペンションがかたまってある.片っ端からたずねるが全て満員.このままではコルーニャの二の舞で野宿になりかねないので,先程のホテルに行くことにして道を引き返す.ホテルでは幸い空室があったが,代金4800ペセタで,私たちの旅の宿泊代としては異常に高いが,この際仕方ない.ホテルのフロントでバスの発着所を聞く.地図を手に入れようとホテルの建物の一階にある旅行社に行ってみるが,なさそうなのであきらめて手持ちの大雑把な地図で我慢することにして,部屋に戻る.地図によると町の先にある小さな半島の部分に「反乱記念碑」と記されているので,空腹だったが暗くならないうちにと思って出かける.海岸通りを歩いて行くと,夕涼みの人々がそろそろ出てきている.30~40分位歩いてやっと到着.山の斜面をほんの少し登ったところに石造りの大きな石碑.碑面にはフランコという文字.1936年7月17日という日付.それに矢を束ねたファランヘ党のマークが刻んであるだけ.碑の形は鷲の頭をかたどった様にも見えるが,よく分からない.碑の台石には色々と落書きがしてあるが,ほとんどが英語で,内容もハシシがどうとかセックスに関するもので,政治的なものはない.碑の周りには紙屑が散乱し,訪れる人もほとんどなく,整備もされずに忘れ去られているような様子.斜面の道を通り,また海岸通りに出てホテルの方へ引き返す.碑に着く少し前に野良犬が私たちと一緒になり,この犬がずっとついてくる.汚い犬なので,はじめは少し相手をしたが,いつまでもついてきて面倒なので追い払おうとするが,私たちの前に出たり後ろについたりしてなかなか離れない.とうとう町の下までついて来てしまう.ちょっと他の人に犬が気を取られてついて行った隙に,私たちはわきの海岸のベンチに座り,犬をやり過ごしてやっとこの犬と別れることができる. レストランをさがすが,このセウタの町にはレストランは大変少ないようで,なかなか見つからない.朝からパンをいくつか食べただけで,まともな食事をしていないので腹が空いて仕方がない.やっとホテルの近くの商店街から少し下った所で二軒のレストランを見つけ,手前の方に入る.冷房が程よく効いて気持ちが良い.軟らかくて味付けも良いカツレツが出る. 食後,ホテルで教えられたバス停を確かめに行く.しかし暗くてよく分からないので,カテドラルの少し先,Grand Hotel La Meralla の前まで行ってから引き返す. ホテルは四つ星とは言ってもそう立派なものではなく,プールがあり,私たちの部屋にはベッドルームの手前に小部屋があって椅子とテーブルが置かれているだけで,特にどうということもなく,四つ星とはこんな程度か,という感じ.冷房設備はないが,夜は涼しい. 昨日は8時半に起き,シャワーを浴びて9時半にホテルを出る.バス停に向かうがやはり分からず,Grand Hotel の前で警官に尋ねる.すると,商店街のロータリーから市内バスで国境まで行き,そこからモロッコ方面へのバスが出るとのこと.道を少し引き返し,バスに乗る.丘を越え海岸を走って30分程で国境に着く.霧が立ち込めている.バスの乗客はモロッコ人が多い.前日の町中では観光客(買物客)が多くてモロッコ人はあまり目立たなかったのに. 国境の手前でバスを降り,国境を歩いて越える.スペイン側の検問はパスポートを一寸見るだけで簡単に通過.100m程先にモロッコ側の検問がある.この国境周辺は非常に汚い.紙屑等のごみが多数散乱.特にスペインとモロッコの検問所の間がひどく,まさにごみ捨て場. モロッコ側検問所では非常に手間取る.窓口は沢山あるが,開いているのは一つだけ.他の人々を見ると,入国カードのようなものに記入してそれをパスポートに挟み,窓口の前に積み上げている.しかしこのカードをどこで手に入れるのかが分からない.ここの窓口では配っていないし,他に開いている窓口はないし,配っている人も見掛けない.そこでパスポートだけを先ず窓口の前に置く.2・3回カードを探しに行って,やっと車で入国する人に配っている警備兵からカードをもらい,記入.窓口の前に積み重なったパスポートの山から私のパスポートを抜き出してカードに記入している間に配偶者のパスポートが窓口の中に取り入れられてしまい,しかもそれまで比較的スムーズに進んでいたパスポート検査がここでパッタリ止まってしまい,なかなかパスポートが戻ってこない.そして私のパスポートは窓口の前の山の一番下に入ったままで,それっきり係員は手を出さない.待つこと30分程.その間に配偶者は裏に回って係員にカードを渡してき,やっとのことでパスポート検査が終わる.私達が国境に着いた頃にはモロッコ人がほとんどだったが,私達が国境を越える頃にはヨーロッパ人観光客の数が増加.パスポート検査の後は荷物検査.私達外国人に関してはちょっと中を覗くだけで簡単に終わる.検査が終わった印としてバッグの表面にチョークで何やら書かれる.その後,最後にパスポート検査と荷物検査が終わっているかどうかの検査を受けてやっと国境通過.これまでのヨーロッパでの国境通過は交差点を渡るのよりも短い時間で済んでいたのに,ここでは1時間位かかってしまった. 最後の検査の所でモロッコ人の女性たちが警備兵に手荒な扱いを受けていた.彼女たちは恐らく荷物検査を受けていなかったのだろうが,それを列から引きずり出して追い返しているのだ.しかもその時に殴ったり蹴飛ばしたりするのだ.相手が若い女だろうが老人だろうが子供を抱いていようがお構いなし.外国人に対しては物腰が柔らかいのに,同国人に対しては居丈高になる.これは官憲としての性格か,それとも植民地時代の悪影響か. 国境を超えた所で「タクシー…」と呼びかけてくる男が何人もいるが,構わずバス停に向かって歩く.反対側には国境通過待ちの車の長い列.歩いても,あたりの様子でバス停はなさそう.車の整理をしている警備兵に尋ねると,バス停はずっと先の方なので,タクシーで行くことにする.声をかけてきた男に案内されて,ドイツ人の若いカップルと相乗りでタクシーに乗る.声をかけてきた男もいっしょに乗り込む.2~3km走った所でタクシーを降ろされる.ここにバス停があるのかと思ったら,バスは朝出てもうないからテトゥアンまでタクシーで行く他はないという.ここまで乗ったタクシーに要求されるまま10DH(デュルハム 1DH=約42円)払い,少し歩いて同乗の男に案内されるままドイツ人二人と一緒に海岸に出,そこに停めてある同乗の男の車に乗り込む.車中,この男が景色をフランス語で説明してくれる.ドイツ人の男はドイツ語しかできないらしく,女の方は英・仏が話せる.車中では英・独・仏・日と四ヶ国語が交わされる.地図によるとテトゥアンまで30km位の道程.途中の海岸はリゾート地になっている所が多く,キャンプ場にはほとんどがヨーロッパ人であろう観光客が沢山来ている.海岸から離れると乾燥した土地になり,ヤギ・羊・ラクダ等が放牧されている. テトゥアンのバスターミナルでタクシーを降りる.タクシーと言っても最初のものと同様メーターのない白タクなので料金については見当もつかず,言われるままに100DH払う.日本円で葯4200円.とは言っても私達とドイツ人からそれぞれ100DHずつ取るのだから,相当儲けているようだ.バスターミナルに入り,Fez 行きの切符を買おうとするが,金がないので外に出て適当に町の中心地と思われる方向に向かって歩く.5分程でロータリーに出,そこに銀行があったので換金する.またバスターミナルに戻り,Fez 行きの切符を買おうとするが,朝1・2本しかなく,今日の便はもうとっくに出てしまったとのこと.仕方なく銀行前のロータリーに戻り,そこに出ている表示に従ってツーリスモに行く.歩いて5分程.ツーリスモで尋ねるとFez へは他にバスの便はないが,メクネスまで行けばFez には沢山バスが出ている.メクネス行きの便は午後もあると言って時間を教えてくれる.そこでこの日はメクネスまで行くことにして,またバスターミナルに行き,14時発の切符を買う.このバスターミナルは私達の入った側が切符売場・待合所で大変な混雑.その下の階がバスの発着所で,坂の斜面に建物があるため,反対側から道路に通じている.ターミナル内でも町中でも沢山の人が「どこに行くの」と声をかけてくるが,親切心なのかお金欲しさなのか区別がつかないので,できるだけ無視する. スペイン時間とは2時間の時差があり,ここモロッコではグリニッジ標準時を使用している.バスの出発まで2時間半位あるので,昼食を食べに行く.ガイドブックが病気等で警告しているので,銀行へ行く途中のホテルに入って食べることにする.レストランはまだ開いていないので,ホテル内のカフェで7upを飲みながら待つ.レストランは12時から.ここには定食はないので,適当に選んで食べる.ここの生活時間がどうなっているのか,レストランの客は私達だけ. 食後バスターミナルに行く.1時20分頃.待合室で待っていても案内はないので,40分頃下へ降りる.バスが沢山停まっているが,何の表示もなく,どのバスなのか分からない.すると10歳くらいの少年が来て,どこへと聞くので,メクネスと返答したらすぐ目の前のバスに連れて行ってくれる.大きな荷物は屋根の上に載せるようになっており,梯子をかけて三人位の若い男達が荷物を上に上げてくれる.これでやれやれと思ったら,お金を要求してくる.4DHだと言うが,小銭が3DHしかないのでそれだけ渡すと,4DHなければダメだと言う.仕方なく10DH札を出してツリをもらうが,先に渡した3DHはどこに行ったのか返ってこない.これで向こうはいい気になったのか,ニタニタしている. バスは座席がなんと新幹線と同じ3列プラス2列.しかもその間に通路があるため非常に狭く,しかも前後の間隔も短い.定員は65人か.私達は56・57で後ろの方.私達の席には他の客が座っていたが,間違っていたらしく私達が切符を示すとすぐに移ってくれた.14時少し過ぎに発車.満員の上に立っている人も何人かいる.エアコンは勿論無し.窓は,例の下がはめ殺しで上の方だけ引き戸になっているやつ.バスが走り出してやっと涼しくなったと思ったら,やがて私の座っている側に日光が直接当たり,どんどん暑くなって行く.1時間程眠ってごまかしていたが,4時頃には暑さは最高になり,カーテンを閉めてもカーテンを貫いて熱気が伝わる.しかも皆がカーテンを閉めるため風も入って来ず,暑さに参っていまう. 3時間近く走り続けてやっと休憩.しかし停まった所は湧き水があるだけの所.こんな水では怖いので私達は降りずに待つ.10分程で発車.すぐ後ろの少年がミネラルウォーターの容器に入れてきた水を私達にくれたので,断るのも悪いので,一口ずつ飲む.景色は茶色く枯れた牧草地帯が延々と続き,スペインとあまり変わりがない.これでは仏人が「ピレネーの向こうはアフリカ」と言ったのも肯ける.牧草畑の中には所々刈り取った牧草を四角く固め,それを家の形に積み上げてあり,またヤギ・馬・牛・ロバ等を放してある.この辺はモロッコでも比較的恵まれている地方なのか,所々には農業機械も見られる.次の休憩地はバルがあったので私達も入って7upを飲む.ここはコーラ等すべて中ビン.20分程休んでから出発.バスの中ではラジオが大きな音を出し,いつ終わるとも知れない単調なモロッコ音楽が長々と続いていた. このモロッコでは7時頃に暗くなり始める.メクネスに着いたのは8時過ぎで,もう完全な夜.途中何ヶ所かで数人が降りたり乗ったりしたが,ほとんどの乗客はテトゥアンからメクネスまで6時間乗りっ放し.外国人は私達だけだったようだ.バスを降りると荷物降ろしが始まる.テトゥアンで荷を上げてくれた男がちゃんと私達の荷を覚えていて早速下ろしてくれる.荷を受け取ると早速金を要求してくるが,他の乗客の様子から最初の4DHは払い過ぎだし,その上3DHも取られており,そして降車時には誰も金を払っていないのでNo!と強く言ってさっさと離れ,一銭も払わない.ちょっと歩くとすぐにメディナの城壁.ホテルは新市街の方だと思うので,反対方向に歩く.これまでの経験で懲りたので,道を尋ねる相手は子供連れの中産階級の人にする.2回ほど尋ねて見当をつけて行くと,何とかこのパレスホテルに行き着く.二つ星Aでまずまず.しかし部屋は最上階で暑い.気持ち悪い汗をシャワーで流し,食事に出る.すぐ近くのレストランに入る.ここは観光客が多い.食事の出るタイミングが遅くて苛々し,客の中には怒り出す人もいる.定食. 食後ホテルに戻ってすぐに眠る.とにかく暑さと,そしてモロッコでの初日の緊張で疲れる.ヨーロッパとも日本とも全く異なる文化の中に入り,相手の気持ちが全然読めないことの緊張感が疲労を増したようだ.退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)