16:15 前回(15日)の続き。

スペインの国鉄は定員制なので、乗車前にビシテを取らなければならないと聞いていたので、指定券ではなくともビシテが手に入ったということはどこか空席があるものと思っていたら、空席どころか通路まで満員。モロッコ人の出稼ぎが多い。出稼ぎといっても一家総出で行く者も見られる。一番前の車両まで行って、デッキに何とか荷物を置く場所と自分の居場所を確保する。列車は定刻の22時45分に発車。発車間際にイタリア人男女が乗り込んできて、入口のトイレ前を占領。その辺では仏・伊・西語等でフランコなどを話題にして話が弾んでいた。そのほかにデッキにはモロッコ人父子。このモロッコ人の靴下の臭いが強烈でたまらない。コルドバまで約6時間。横になるどころか私たちは二人のうち一人が床に腰かけ、もう一人は荷物に座るか立っているだけの余地しかない。イタリア人の方ではトイレに来る客をなんとか言って断っていたが、小さな子供が来て断りきれず、動いて通路を開けたら、その後何回もトイレ使用者がやって来、その度に立っては荷物を動かす羽目になった。とうとう夜中過ぎにはまた断り出し、中には怒って席に戻る客もいた。1時ごろには配偶者も床に座って眠り、私は立ったまま日記を書いたり、ぼんやりして長い時間を過ごす。途中、牧草地のようなところで山焼きをしているのが見られる。通過駅の一つでは、2時ごろだったというのになぜか大騒ぎをして列車を見送っている。

列車は少し遅れて、4時50分にコルドバに到着。降りる者はあまりいないが、ここで乗る客が指定券での乗り込もうとしたら、アルヘシラスからの客が席を占領して動かず、もめている風景が何か所か見られる。駅のホームには列車待ちなのか、野宿なのか寝転がっている旅行者多く見られる。私たちもベンチの一つに行き、配偶者 のひざ枕で私が横になって眠る。5時までほとんど立ち放しだったので、ベンチの硬さにもかかわらずすぐに眠り込んでしまう。7時半ごろホーム掃除のおじさんに起こされる。寒い。セーターを着て寝たのだが風邪をひいたよう。起きてはみても、身体中がだるくて仕方ない。またしばらくベンチで休み、8時になって切符売り場に行って、翌日のマドリー行きの切符を買う。CAMASのExpressを買うと、チェケトレンは残りがほとんどなくなる。この切符はちょっと高いが、今度のように立ち放しの移動では疲れるばかりで、かえって時間の無駄になるので、金額は我慢する。これでもユーレイルパスを買ってくるよりは安上がりになりそうだ。

8時半ごろ駅を出て、ツーリスモへ向かう。ツーリスモは9時からと表示が出ているのでしばらく待つが、開く気配はない。日曜は休みとはどこにも書いてないが、当然過ぎて書いていないのだろう。戸口に張り出してある宿のリストで適当なものを探し、持参の地図で宿のあるPL. de Jose Antonio へ向かう。一つ星のオスタルがあるので、シャワーはついてないが部屋が広く、わりと綺麗なのでここに決める。途中、日曜日のためか、人通りは非常に少なく、高級品店が並んでいるがすべて閉まっている。朝9時半という早い時間ではあったが、部屋に入れたので、このまま昼過ぎまで眠ることにして顔だけ洗ってすぐにベッドに入る。横になった途端に眠り込み、起きたのは午後2時。

着替えてから3時ごろに宿を出、近くのPL. de Jose Antonio のレストランに入って昼食。あまりおいしくなく、ボーイも早く済ませるようにというような態度。手早く食べ終えて、メスキータへ行く。入ると例の二重アーチの無数の列。いつもながら回教建築の素晴らしさを感じる。特にミヒラブの部分は細かい壁面のレリーフや、天井の造り、X型のアーチ、彩色、どこをとってもすばらしい。そのすぐ隣には宝物室があり、こちらはカトリックのもので、これまたいつものような金キラ金の聖衣、聖遺物、聖具で、これだけすぐにカトリック文化と回教文化を並べて見せられると、その質の違い、文化の高さ、あるいは価値観の違いを改めて思い知らされる。

身体がだるくて歩くのがおっくうで仕方ない。ベンチで休むことにする。配偶者はすぐに横になって30分ほど眠る。私も眠たいのだが、木の固いベンチで横になっても疲れはとれそうもないので、起きてぼんやりしている。30分ほど経って配偶者を起こし、見残しているメスキータ内にカルロス5世が造った教会を見、アルカサールを見て、早目に宿に引き上げることにする。カルロス5世の教会は、アルハンブラの中につくられているものよりはいくらかましたが、やはりメスキータよりははるかに見劣りがする。ただ、祭壇の聖職者が座る椅子が一つ一つ彫刻が施してあるのだけは見ごたえがある。

メスキータを出て、すぐ裏手にあるグアダルキビール川にかかるローマ橋をちょっと見てから、アルカサールに入る。あまり高くはないが塔に登ったり、建物内を歩き回る。たいした見ものはないが、一世紀のローマン・モザイクがどういうわけか飾られているのが美しい。地下にはローマ時代の遺跡があり、現在も発掘中で、その一部分だけを見せてくれる。中庭をちょっと見てから庭園に行く。中庭の様子から判断してあまり期待はしていなかったかった、この庭園は、規模はそれほどではないが、アルハンブラのヘネラリーフェを模したものなのか、思ったより感じがよい。このコルドバの水はくせがなくて、それほどぬるくもなくて美味いので、あちこちの噴水で水を飲む。木陰になっている噴水があったので、そこで休むことにする。風が吹き抜けて涼しく気持ちが良い。この噴水で配偶者が中に投げ込まれている硬貨を発見する。片腕よりほんの少し浅い程度なので、袖を肩まで上げてこの硬貨を拾う。5pts.。拾っている最中に客がやってきたので一つだけとって、あとはしばらくしてから拾うことにして、庭園内を一巡りする。オレンジレモンの実がなっている。花は暑さに少ししおれて、あまり美しくはない。もう一度先程の噴水に戻るが、まだ先の客が休んでいる。私達もまた腕に水をつけたりして休むことにする。水はほんの数分で蒸発してしまい、スっとして気持ちが良い。客がやっといなくなったので、さっき見つけておいたもう一つの5pts.硬貨を拾おうと池の底をのぞいてみると、誰かに取られてなくなっている。残念。一回りして取れそうなものを探すが、5pts.硬貨の銀色は中心の方の手の届かない所にしかなく、やっと1pts.硬貨1個を拾う。この日は残りのお金が乏しく、銀行も休みで換金もできないので、この噴水で稼ごうとしたのだが。

20:10 噴水から離れてそろそろ行こうかと思っている時、ふと気づくと結婚式を終わってきたばかりのグループが噴水のところにやってくる。新婦のウェディングドレス姿を撮影するため。新婦は全く気にも留めずに真っ白なドレスの裾を地面に引きずりながら歩いてきて、何か冗談でも飛ばしながら噴水池の石垣に座り、気楽に写真を撮ってもらう。一枚撮るとまたぞろぞろ歩いて別の場所に移り撮影。こちらも珍しいので写真を撮ろうと思って立つと、このグループだけでなく、合計3組の結婚式帰りがこの庭園に入ってきて、同じように写真を撮っている。花嫁たちの様子を見てアルカサールを出ると、前の広場に太鼓とバグパイプの楽隊がいる。はじめは結婚式用の楽隊かと思ったら、ぞろぞろと人々が歩いて行くので、何かと思い同じ方向へ歩いてみる。すると教会前の小さな広場に出、その広場が人でいっぱいになっている。 この日は8月15日聖母昇天祭なので結婚式がたくさんあげられ、まだ教会の中では別の式が行われていて、これらの人々は式が終わるのを待っているのではないかと思い、私達もしばらく待つことにする。しかし教会には人々がたくさん出入りし、どうも結婚式をやっているという感じではない。これはお祭りではないかと思い、30分ほど混雑した広場で待っていると、やがて入口に十字架と蝋燭を持った二人の少年が現れて、それに続いてマリアの神輿が出てくる。純白の衣装のマリアは周りを花で埋められ、両手の指に8個の指輪をして思い切り飾り付けられている。随分若い顔のマリアである。マリア像が教会の入口まで進むと、ギター2本、歌手2人のグループがその前に進み、フラメンコのような歌を歌い始める。広場は人で埋められてそれまでは騒がしかったが、歌が始まると前の方から「シーッ」という声が広がり、歌が聞こえる程度に静かになる。私たちのすぐ前にいたおばあさんは横に駐車してある車が邪魔だとしきりに言っていたが、歌の方に耳を傾ける。ちょっと長い歌だったが2曲歌い終わり、教会の屋根に登った二人の少年によって花火が打ち上げられ、楽隊がマリアの前に進み出て隊列を作る。太鼓の音とともに行進が始まる。騎馬警官が先導し、その後を太鼓、バグパイプ、鉄琴等の楽隊、ちょっと間隔を置いて神父、そしてマリア像、その後ろに町の人々。私たちもこの行列の中を進む。なんとか列を追い抜いて先頭の方へ行ってから写真を撮ろうとしたが、狭い道の両側には見物の人並みが続き、列は道いっぱいに広がっているのでなかなか前へ出られない。とうとう途中で諦めてしまった。列は日本の大名行列のようにゆっくりと進み、旧市街の狭い道を進んで行った。私たちは途中で列を離れ、近くのカフェに入って休む。そこも着飾った町の人々でほとんど満員になっている。町の人々は、特に若い女性は思い切り着飾り、細いハイヒールを履いて歩きにくい石畳の道を歩いていた。

カフェでしばらく日記を書き、22時40分にそこを出て宿へ向かう。途中で食事をしようかと思っていたが、なんとなく二人とも食欲がわかないので、Pl. de Jose Antonioのエラデリアでちょっと大きめのアイスクリームを食べる。客の一人が注文したアイスクリームを見ると超特大のもので、注文した本人も受け取ってから笑い転げている。宿には23時過ぎに戻り、荷物の整理をしてから0時半頃に就寝。疲れきっていた身体も、夕方のアルカサールの噴水での休憩と祭りに出会ったことでいつのまにか消えている。あれだけだるくて早く宿に帰って眠ろうと思っていたのに、夜遅く宿に戻った時には出発の時よりもかえって元気になっていた。

/images/2021/04/1982-08-15 コルドバ カテドラル内-scaled-1024x748.jpg/images/2021/04/1982-08-15 コルドバ カテドラル内-scaled-150x150.jpgAndrésスペイン旅行スペイン旅行16:15 前回(15日)の続き。 スペインの国鉄は定員制なので、乗車前にビシテを取らなければならないと聞いていたので、指定券ではなくともビシテが手に入ったということはどこか空席があるものと思っていたら、空席どころか通路まで満員。モロッコ人の出稼ぎが多い。出稼ぎといっても一家総出で行く者も見られる。一番前の車両まで行って、デッキに何とか荷物を置く場所と自分の居場所を確保する。列車は定刻の22時45分に発車。発車間際にイタリア人男女が乗り込んできて、入口のトイレ前を占領。その辺では仏・伊・西語等でフランコなどを話題にして話が弾んでいた。そのほかにデッキにはモロッコ人父子。このモロッコ人の靴下の臭いが強烈でたまらない。コルドバまで約6時間。横になるどころか私たちは二人のうち一人が床に腰かけ、もう一人は荷物に座るか立っているだけの余地しかない。イタリア人の方ではトイレに来る客をなんとか言って断っていたが、小さな子供が来て断りきれず、動いて通路を開けたら、その後何回もトイレ使用者がやって来、その度に立っては荷物を動かす羽目になった。とうとう夜中過ぎにはまた断り出し、中には怒って席に戻る客もいた。1時ごろには配偶者も床に座って眠り、私は立ったまま日記を書いたり、ぼんやりして長い時間を過ごす。途中、牧草地のようなところで山焼きをしているのが見られる。通過駅の一つでは、2時ごろだったというのになぜか大騒ぎをして列車を見送っている。 列車は少し遅れて、4時50分にコルドバに到着。降りる者はあまりいないが、ここで乗る客が指定券での乗り込もうとしたら、アルヘシラスからの客が席を占領して動かず、もめている風景が何か所か見られる。駅のホームには列車待ちなのか、野宿なのか寝転がっている旅行者多く見られる。私たちもベンチの一つに行き、配偶者 のひざ枕で私が横になって眠る。5時までほとんど立ち放しだったので、ベンチの硬さにもかかわらずすぐに眠り込んでしまう。7時半ごろホーム掃除のおじさんに起こされる。寒い。セーターを着て寝たのだが風邪をひいたよう。起きてはみても、身体中がだるくて仕方ない。またしばらくベンチで休み、8時になって切符売り場に行って、翌日のマドリー行きの切符を買う。CAMASのExpressを買うと、チェケトレンは残りがほとんどなくなる。この切符はちょっと高いが、今度のように立ち放しの移動では疲れるばかりで、かえって時間の無駄になるので、金額は我慢する。これでもユーレイルパスを買ってくるよりは安上がりになりそうだ。 8時半ごろ駅を出て、ツーリスモへ向かう。ツーリスモは9時からと表示が出ているのでしばらく待つが、開く気配はない。日曜は休みとはどこにも書いてないが、当然過ぎて書いていないのだろう。戸口に張り出してある宿のリストで適当なものを探し、持参の地図で宿のあるPL. de Jose Antonio へ向かう。一つ星のオスタルがあるので、シャワーはついてないが部屋が広く、わりと綺麗なのでここに決める。途中、日曜日のためか、人通りは非常に少なく、高級品店が並んでいるがすべて閉まっている。朝9時半という早い時間ではあったが、部屋に入れたので、このまま昼過ぎまで眠ることにして顔だけ洗ってすぐにベッドに入る。横になった途端に眠り込み、起きたのは午後2時。 着替えてから3時ごろに宿を出、近くのPL. de Jose Antonio のレストランに入って昼食。あまりおいしくなく、ボーイも早く済ませるようにというような態度。手早く食べ終えて、メスキータへ行く。入ると例の二重アーチの無数の列。いつもながら回教建築の素晴らしさを感じる。特にミヒラブの部分は細かい壁面のレリーフや、天井の造り、X型のアーチ、彩色、どこをとってもすばらしい。そのすぐ隣には宝物室があり、こちらはカトリックのもので、これまたいつものような金キラ金の聖衣、聖遺物、聖具で、これだけすぐにカトリック文化と回教文化を並べて見せられると、その質の違い、文化の高さ、あるいは価値観の違いを改めて思い知らされる。 身体がだるくて歩くのがおっくうで仕方ない。ベンチで休むことにする。配偶者はすぐに横になって30分ほど眠る。私も眠たいのだが、木の固いベンチで横になっても疲れはとれそうもないので、起きてぼんやりしている。30分ほど経って配偶者を起こし、見残しているメスキータ内にカルロス5世が造った教会を見、アルカサールを見て、早目に宿に引き上げることにする。カルロス5世の教会は、アルハンブラの中につくられているものよりはいくらかましたが、やはりメスキータよりははるかに見劣りがする。ただ、祭壇の聖職者が座る椅子が一つ一つ彫刻が施してあるのだけは見ごたえがある。 メスキータを出て、すぐ裏手にあるグアダルキビール川にかかるローマ橋をちょっと見てから、アルカサールに入る。あまり高くはないが塔に登ったり、建物内を歩き回る。たいした見ものはないが、一世紀のローマン・モザイクがどういうわけか飾られているのが美しい。地下にはローマ時代の遺跡があり、現在も発掘中で、その一部分だけを見せてくれる。中庭をちょっと見てから庭園に行く。中庭の様子から判断してあまり期待はしていなかったかった、この庭園は、規模はそれほどではないが、アルハンブラのヘネラリーフェを模したものなのか、思ったより感じがよい。このコルドバの水はくせがなくて、それほどぬるくもなくて美味いので、あちこちの噴水で水を飲む。木陰になっている噴水があったので、そこで休むことにする。風が吹き抜けて涼しく気持ちが良い。この噴水で配偶者が中に投げ込まれている硬貨を発見する。片腕よりほんの少し浅い程度なので、袖を肩まで上げてこの硬貨を拾う。5pts.。拾っている最中に客がやってきたので一つだけとって、あとはしばらくしてから拾うことにして、庭園内を一巡りする。オレンジとレモンの実がなっている。花は暑さに少ししおれて、あまり美しくはない。もう一度先程の噴水に戻るが、まだ先の客が休んでいる。私達もまた腕に水をつけたりして休むことにする。水はほんの数分で蒸発してしまい、スっとして気持ちが良い。客がやっといなくなったので、さっき見つけておいたもう一つの5pts.硬貨を拾おうと池の底をのぞいてみると、誰かに取られてなくなっている。残念。一回りして取れそうなものを探すが、5pts.硬貨の銀色は中心の方の手の届かない所にしかなく、やっと1pts.硬貨1個を拾う。この日は残りのお金が乏しく、銀行も休みで換金もできないので、この噴水で稼ごうとしたのだが。 20:10 噴水から離れてそろそろ行こうかと思っている時、ふと気づくと結婚式を終わってきたばかりのグループが噴水のところにやってくる。新婦のウェディングドレス姿を撮影するため。新婦は全く気にも留めずに真っ白なドレスの裾を地面に引きずりながら歩いてきて、何か冗談でも飛ばしながら噴水池の石垣に座り、気楽に写真を撮ってもらう。一枚撮るとまたぞろぞろ歩いて別の場所に移り撮影。こちらも珍しいので写真を撮ろうと思って立つと、このグループだけでなく、合計3組の結婚式帰りがこの庭園に入ってきて、同じように写真を撮っている。花嫁たちの様子を見てアルカサールを出ると、前の広場に太鼓とバグパイプの楽隊がいる。はじめは結婚式用の楽隊かと思ったら、ぞろぞろと人々が歩いて行くので、何かと思い同じ方向へ歩いてみる。すると教会前の小さな広場に出、その広場が人でいっぱいになっている。 この日は8月15日聖母昇天祭なので結婚式がたくさんあげられ、まだ教会の中では別の式が行われていて、これらの人々は式が終わるのを待っているのではないかと思い、私達もしばらく待つことにする。しかし教会には人々がたくさん出入りし、どうも結婚式をやっているという感じではない。これはお祭りではないかと思い、30分ほど混雑した広場で待っていると、やがて入口に十字架と蝋燭を持った二人の少年が現れて、それに続いてマリアの神輿が出てくる。純白の衣装のマリアは周りを花で埋められ、両手の指に8個の指輪をして思い切り飾り付けられている。随分若い顔のマリアである。マリア像が教会の入口まで進むと、ギター2本、歌手2人のグループがその前に進み、フラメンコのような歌を歌い始める。広場は人で埋められてそれまでは騒がしかったが、歌が始まると前の方から「シーッ」という声が広がり、歌が聞こえる程度に静かになる。私たちのすぐ前にいたおばあさんは横に駐車してある車が邪魔だとしきりに言っていたが、歌の方に耳を傾ける。ちょっと長い歌だったが2曲歌い終わり、教会の屋根に登った二人の少年によって花火が打ち上げられ、楽隊がマリアの前に進み出て隊列を作る。太鼓の音とともに行進が始まる。騎馬警官が先導し、その後を太鼓、バグパイプ、鉄琴等の楽隊、ちょっと間隔を置いて神父、そしてマリア像、その後ろに町の人々。私たちもこの行列の中を進む。なんとか列を追い抜いて先頭の方へ行ってから写真を撮ろうとしたが、狭い道の両側には見物の人並みが続き、列は道いっぱいに広がっているのでなかなか前へ出られない。とうとう途中で諦めてしまった。列は日本の大名行列のようにゆっくりと進み、旧市街の狭い道を進んで行った。私たちは途中で列を離れ、近くのカフェに入って休む。そこも着飾った町の人々でほとんど満員になっている。町の人々は、特に若い女性は思い切り着飾り、細いハイヒールを履いて歩きにくい石畳の道を歩いていた。 カフェでしばらく日記を書き、22時40分にそこを出て宿へ向かう。途中で食事をしようかと思っていたが、なんとなく二人とも食欲がわかないので、Pl. de Jose Antonioのエラデリアでちょっと大きめのアイスクリームを食べる。客の一人が注文したアイスクリームを見ると超特大のもので、注文した本人も受け取ってから笑い転げている。宿には23時過ぎに戻り、荷物の整理をしてから0時半頃に就寝。疲れきっていた身体も、夕方のアルカサールの噴水での休憩と祭りに出会ったことでいつのまにか消えている。あれだけだるくて早く宿に帰って眠ろうと思っていたのに、夜遅く宿に戻った時には出発の時よりもかえって元気になっていた。退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)