安倍晋三元首相が銃撃されて死亡した。銃撃した人物はその場で逮捕されている。
何ということをしてくれたのだ、というのが私の最初の感想だ。これで安倍政権への検証がまともに行われなくなる可能性がある。安倍晋三氏への賛美がはじまる可能性がある。これを機に治安強化が一層進められる可能性がある。
安倍氏が退陣して菅、岸田政権へと変わる中で、モリカケ・桜を見る会、憲法解釈の変更、安保法制、コロナ対策、メディアへの圧力、国会軽視、アベノミクスの失敗等々の安倍政権時代の様々な問題が早くも放置され、あるいは「いつまで同じことをやってるんだ」という声によって真相究明が非難されるようになっている。これがさらに「死者を鞭打つようなことはするな」「死ねば仏」といった日本の多くの人たちの心情によって加速されるのではないか。
また、これを好機とばかりに安全の確保を名目に治安の強化と監視社会の構築を目指す動きが一層進み始めるのではないか。ちょうどロシアによるウクライナ侵攻を契機に日本の軍備増強が当然の如く推進されつつあるのと同じように。
そういう意味でこの事件は、現状に対して異議を唱える勢力を弱体化させるものとなる可能性が大きい。ただでさえ安倍政権から始まった「右傾化」が、維新の会の伸長、連合の翼賛化、国民民主党の自民党化などで日本全体を覆っていく中で、これが駄目押しの一手になるかもしれない。
警察発表によると襲撃者の動機は家庭内の問題から来た恨みだとのこと。母親が「統一教会」に入れあげて大金を献金してしまった。安倍前首相が「統一教会」に近い関係にあると思って狙ったということだ。そうだとすればこれは個人的恨みによる殺人事件
だと言うことだ。こうしたことが明らかになった後でも、これを「民主主義を破壊する行為」、「暴力で言論を封殺するもの」、「政治テロ」などと言っている人々は、およそ的外れな状況把握しかできないのか、あるいは意図的に事件を捻じ曲げて自分に都合の良い方向に持って行こうとしているのだろう。
あるいは安倍氏と「統一教会」との関係は襲撃者の憶測に過ぎないと言いたいのだろうか。中には政治家なら様々な団体と付き合いがあるのは当然で、安倍氏と「統一教会」との関係もその一つに過ぎないと言う論旨で安倍氏を擁護している者もいる。
しかし「統一教会」が一方的に安倍氏を支持したのならいざ知らず、安倍氏は「統一教会」関連団体の集会に寄せたビデオメッ
セージで「統一教会」の中心人物に賛辞を送っているのだ。ならば安倍氏はその団体の支持者だと見なされても仕方がないし、少なくとも「統一教会」を肯定し宣教に寄与している人物と思われて当然だろう。
岸田首相は「民主主義の根幹たる選挙が行われている中、安倍元総理の命を奪った卑劣な蛮行が行われた。断じて許せるものではなく、最も強い言葉で改めて非難を申し上げる。」と発言している。しかし安倍氏が総理在任中に行った憲法無視(臨時国会召集要求に応じなかった)、河井夫妻の選挙違反に加担した疑惑などこそが民主主義を破壊する行為だったし、それに目をつぶってきた人間がこの事件に際して「民主主義云々」と発言してみても、単なるご都合主義としか言いようがない。
暴力による言論の封殺は許されない。それ以上に権力による言論の封殺は許されない。安倍氏は官房副長官時代から死に至るまで、権力の座にあって何をしてきたのか、さらに検証しなければならない。
他の政治家も含め、また「統一教会」以外も含め、自分の行動とそれがもたらした結果には責任を負わなければならない。「統一教会」がいかなる団体か知らなかった、それが「統一教会」の関連団体だとはわからなかった等というような弁明では免罪されない。
/images/2022/07/Abe-Touitsukyokai.jpg/images/2022/07/Abe-Touitsukyokai-150x150.jpgAndrés政治・経済・国際安倍晋三,民主主義,統一教会,言論,責任,賛美,銃撃安倍晋三元首相が銃撃されて死亡した。銃撃した人物はその場で逮捕されている。 何ということをしてくれたのだ、というのが私の最初の感想だ。これで安倍政権への検証がまともに行われなくなる可能性がある。安倍晋三氏への賛美がはじまる可能性がある。これを機に治安強化が一層進められる可能性がある。 安倍氏が退陣して菅、岸田政権へと変わる中で、モリカケ・桜を見る会、憲法解釈の変更、安保法制、コロナ対策、メディアへの圧力、国会軽視、アベノミクスの失敗等々の安倍政権時代の様々な問題が早くも放置され、あるいは「いつまで同じことをやってるんだ」という声によって真相究明が非難されるようになっている。これがさらに「死者を鞭打つようなことはするな」「死ねば仏」といった日本の多くの人たちの心情によって加速されるのではないか。 また、これを好機とばかりに安全の確保を名目に治安の強化と監視社会の構築を目指す動きが一層進み始めるのではないか。ちょうどロシアによるウクライナ侵攻を契機に日本の軍備増強が当然の如く推進されつつあるのと同じように。 そういう意味でこの事件は、現状に対して異議を唱える勢力を弱体化させるものとなる可能性が大きい。ただでさえ安倍政権から始まった「右傾化」が、維新の会の伸長、連合の翼賛化、国民民主党の自民党化などで日本全体を覆っていく中で、これが駄目押しの一手になるかもしれない。 警察発表によると襲撃者の動機は家庭内の問題から来た恨みだとのこと。母親が「統一教会」に入れあげて大金を献金してしまった。安倍前首相が「統一教会」に近い関係にあると思って狙ったということだ。そうだとすればこれは個人的恨みによる殺人事件 だと言うことだ。こうしたことが明らかになった後でも、これを「民主主義を破壊する行為」、「暴力で言論を封殺するもの」、「政治テロ」などと言っている人々は、およそ的外れな状況把握しかできないのか、あるいは意図的に事件を捻じ曲げて自分に都合の良い方向に持って行こうとしているのだろう。 あるいは安倍氏と「統一教会」との関係は襲撃者の憶測に過ぎないと言いたいのだろうか。中には政治家なら様々な団体と付き合いがあるのは当然で、安倍氏と「統一教会」との関係もその一つに過ぎないと言う論旨で安倍氏を擁護している者もいる。 しかし「統一教会」が一方的に安倍氏を支持したのならいざ知らず、安倍氏は「統一教会」関連団体の集会に寄せたビデオメッ セージで「統一教会」の中心人物に賛辞を送っているのだ。ならば安倍氏はその団体の支持者だと見なされても仕方がないし、少なくとも「統一教会」を肯定し宣教に寄与している人物と思われて当然だろう。 岸田首相は「民主主義の根幹たる選挙が行われている中、安倍元総理の命を奪った卑劣な蛮行が行われた。断じて許せるものではなく、最も強い言葉で改めて非難を申し上げる。」と発言している。しかし安倍氏が総理在任中に行った憲法無視(臨時国会召集要求に応じなかった)、河井夫妻の選挙違反に加担した疑惑などこそが民主主義を破壊する行為だったし、それに目をつぶってきた人間がこの事件に際して「民主主義云々」と発言してみても、単なるご都合主義としか言いようがない。 暴力による言論の封殺は許されない。それ以上に権力による言論の封殺は許されない。安倍氏は官房副長官時代から死に至るまで、権力の座にあって何をしてきたのか、さらに検証しなければならない。 他の政治家も含め、また「統一教会」以外も含め、自分の行動とそれがもたらした結果には責任を負わなければならない。「統一教会」がいかなる団体か知らなかった、それが「統一教会」の関連団体だとはわからなかった等というような弁明では免罪されない。退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)