フォトジャーナリスト 広河隆一氏の講演
2007/10/25津田塾大学にて

 キブツで生活するためにイスラエルに渡り、第三次中東戦争を契機にパレスチナ問題を考えるようになった経過や、その後の難民キャンプなどでの経験、ジャーナリストのはたすべき役割等を語った。
 イスラエル兵による占領地での暴虐や虐殺、その中でなんとか生き続けようとする特に女性たちの姿。一方では絶望の中から自爆攻撃に向かってしまう人々や、広河氏たちの援助活動が子供たちにかすかな希望を与えるゆえに、それで自爆志願者が減ることを危惧して逆に広河氏への攻撃指令を出す組織。広河氏への攻撃企図を察知して組織に抗議し、指令を撤回させる母親たち。イスラエルの中にも占領地でのイスラエル兵の行動を知ってそれを批判し、占領の継続は問題を悪化させることにしかならないと考える人々もごく少数だがいること。
 撮り続けてきた写真を紹介しながらの講演だったが、特にジャーナリストの役割は、起こったできごとを報じるだけではなく、起こってはならないことが行われないように監視することでもあると強調していた。しかし湾岸戦争からは大手メディアのジャーナリストが攻撃する側からの視点で報じるようになってしまい、批判的姿勢が失われてきてしまっている現状と、それに対抗するために月刊誌「DAYS Japan」を発行していることも紹介してくれた。
 近年のメディアが権力にすり寄ってしまい、チェック機能をまったくはたさなくなってしまっているのは、広河氏の指摘する通りである。格差問題がとりあげられても、それを生み出した「小泉改革」や社会的責任を顧みるポーズを示すことさえもしなくなった御手洗をはじめとした財界への批判は行われない。「ならず者国家」だとか「テロ支援国家」「国際テロ組織」などという単なるアメリカ合衆国政府の自己正当化のための言辞を、あたかも既定の事実か世界的常識でもあるかのように流し続けるメディア。北朝鮮批判であれば何の検証も行わずに怪しげな情報も平気で流し、拉致被害者の言動はすべて100パーセント正義として扱う。要するに今のメディアは北朝鮮の「労働新聞」や「朝鮮中央テレビ」と五十歩百歩になっていまっているのだ。そうした中で広河氏たちはなんとか権力に対するテェック機能を果たそうとしている。
 500人ほど入ると思われる大教室がほぼ満員だった。終了後、学生たちは出席票を出していたので、授業の中に組み込まれていたのだろうが、市民の参加者も50人近くはいたようだった。

por Andres

Andres y Amelia日記・コラム・つぶやきフォトジャーナリスト 広河隆一氏の講演2007/10/25津田塾大学にて  キブツで生活するためにイスラエルに渡り、第三次中東戦争を契機にパレスチナ問題を考えるようになった経過や、その後の難民キャンプなどでの経験、ジャーナリストのはたすべき役割等を語った。 イスラエル兵による占領地での暴虐や虐殺、その中でなんとか生き続けようとする特に女性たちの姿。一方では絶望の中から自爆攻撃に向かってしまう人々や、広河氏たちの援助活動が子供たちにかすかな希望を与えるゆえに、それで自爆志願者が減ることを危惧して逆に広河氏への攻撃指令を出す組織。広河氏への攻撃企図を察知して組織に抗議し、指令を撤回させる母親たち。イスラエルの中にも占領地でのイスラエル兵の行動を知ってそれを批判し、占領の継続は問題を悪化させることにしかならないと考える人々もごく少数だがいること。 撮り続けてきた写真を紹介しながらの講演だったが、特にジャーナリストの役割は、起こったできごとを報じるだけではなく、起こってはならないことが行われないように監視することでもあると強調していた。しかし湾岸戦争からは大手メディアのジャーナリストが攻撃する側からの視点で報じるようになってしまい、批判的姿勢が失われてきてしまっている現状と、それに対抗するために月刊誌「DAYS Japan」を発行していることも紹介してくれた。 近年のメディアが権力にすり寄ってしまい、チェック機能をまったくはたさなくなってしまっているのは、広河氏の指摘する通りである。格差問題がとりあげられても、それを生み出した「小泉改革」や社会的責任を顧みるポーズを示すことさえもしなくなった御手洗をはじめとした財界への批判は行われない。「ならず者国家」だとか「テロ支援国家」「国際テロ組織」などという単なるアメリカ合衆国政府の自己正当化のための言辞を、あたかも既定の事実か世界的常識でもあるかのように流し続けるメディア。北朝鮮批判であれば何の検証も行わずに怪しげな情報も平気で流し、拉致被害者の言動はすべて100パーセント正義として扱う。要するに今のメディアは北朝鮮の「労働新聞」や「朝鮮中央テレビ」と五十歩百歩になっていまっているのだ。そうした中で広河氏たちはなんとか権力に対するテェック機能を果たそうとしている。 500人ほど入ると思われる大教室がほぼ満員だった。終了後、学生たちは出席票を出していたので、授業の中に組み込まれていたのだろうが、市民の参加者も50人近くはいたようだった。 por Andres退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)