近所の小さなキリスト教会で開かれたコンサートに行ってきました。昨年の暮れには久米小百合(元シンガーソングライターの久保田早紀)のコンサートが行われて家族3人で聴きに行ったのですが、超満員で礼拝堂に入りきれず、外の通路で姿が見えないまま歌声だけに接してきました。今年はユーオーディア・アンサンブルの演奏で、クラシックの小品や宗教曲を2時間ほど聴かせてもらいました。今回は礼拝堂の中でゆっくり、気楽に聴くことができました。
 ところで、キリスト教徒の話し方や表情はどうしてあんなにも似通っているのでしょうか。他の宗教でも同様なのですが、特にキリスト教徒の場合はその口調が独特の翻訳調日本語とでもいうようなものなので、印象が強いのかもしれません。信者が何人も集まって話すのを聞くと非常に居心地の悪い思いをさせられます。信仰の強さを競っているかのような会話には、斜めに構えてしまうのが常です。人が信仰に入る契機をいくらかは理解できるようになってきたとは思うのですが、信者の放つあの雰囲気はどうにも受け入れることができません。

por Andres

Andres y Amelia文化・芸術 近所の小さなキリスト教会で開かれたコンサートに行ってきました。昨年の暮れには久米小百合(元シンガーソングライターの久保田早紀)のコンサートが行われて家族3人で聴きに行ったのですが、超満員で礼拝堂に入りきれず、外の通路で姿が見えないまま歌声だけに接してきました。今年はユーオーディア・アンサンブルの演奏で、クラシックの小品や宗教曲を2時間ほど聴かせてもらいました。今回は礼拝堂の中でゆっくり、気楽に聴くことができました。 ところで、キリスト教徒の話し方や表情はどうしてあんなにも似通っているのでしょうか。他の宗教でも同様なのですが、特にキリスト教徒の場合はその口調が独特の翻訳調日本語とでもいうようなものなので、印象が強いのかもしれません。信者が何人も集まって話すのを聞くと非常に居心地の悪い思いをさせられます。信仰の強さを競っているかのような会話には、斜めに構えてしまうのが常です。人が信仰に入る契機をいくらかは理解できるようになってきたとは思うのですが、信者の放つあの雰囲気はどうにも受け入れることができません。 por Andres退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)