南米チリ現代文学の最高傑作の一つとされるもの。

積読状態になっていたものを少しずつ読み出している中の一冊。原作は1951年に書かれ、邦訳は1989年に出版されている。

「僕は希望なんて持ってはいなかった。必要性だけだった―食べるものと寝る場所と、外套をください、希望なんていいですから―、わずかの必要性、だけど緊急を要するのだ。獏を取り巻く人々も似たりよったりだった。ふんだんでなくとも食べること、エレガントではなくとも着ること、贅沢ではなくとも寝ること、そう、どんな形でもいいただ、飢えないで、寒さに震えないで、僕の靴がぼろぼろだからといって僕の髪が伸びているからといって僕のズボンが破れているからといって、僕の髭が伸び放題だからといって、人が僕のことをじろじろ見ないでいてくれさえすれば。だけど、そいつを手に入れるのはたやすくはない。働くことはできる。しかし時には仕事が無いこともある。おまけに、働いていてもいつも飢えている人もいるし、働いていてもいつもぼろを着ている人もいるし、働いていても床の上か、一つのベッドに三人、後は肺病病み、淋病病み、てんかん持ち、性欲倒錯者、皮膚病持ちという八人部屋で、簡易ベッドかしらみや蚤だらけのふとんに寝る人もいる。」

こうした状況をなくすには、慈善でも同情でも啓蒙でもなく、隣に座って話しかけ耳を傾けあって同じ地平に立って進むしかない。泥棒の息子として生まれながらも幸福な子供時代を過ごした後、母親が死に、泥棒の父親が逮捕投獄され、兄弟たちは四散して、一人ぼっちでアルゼンチンからチリへと放浪しながらさまざまな人と出会っていく少年の姿を通して、作者は静かに語りかけてくる。

前半は物語の時間が現在と過去を行き来して、気を抜いて読んでいると混乱してしまう所も多いが、後半、特にエチェベリアとクリスティアンを含めてのエピソードは、エチェベリアの造形の中に作者の理想像が反映されていることもあって、非常に魅力的な物語となっている。

por Andres

Andres y Amelia書籍・雑誌南米チリ現代文学の最高傑作の一つとされるもの。 積読状態になっていたものを少しずつ読み出している中の一冊。原作は1951年に書かれ、邦訳は1989年に出版されている。 「僕は希望なんて持ってはいなかった。必要性だけだった―食べるものと寝る場所と、外套をください、希望なんていいですから―、わずかの必要性、だけど緊急を要するのだ。獏を取り巻く人々も似たりよったりだった。ふんだんでなくとも食べること、エレガントではなくとも着ること、贅沢ではなくとも寝ること、そう、どんな形でもいいただ、飢えないで、寒さに震えないで、僕の靴がぼろぼろだからといって僕の髪が伸びているからといって僕のズボンが破れているからといって、僕の髭が伸び放題だからといって、人が僕のことをじろじろ見ないでいてくれさえすれば。だけど、そいつを手に入れるのはたやすくはない。働くことはできる。しかし時には仕事が無いこともある。おまけに、働いていてもいつも飢えている人もいるし、働いていてもいつもぼろを着ている人もいるし、働いていても床の上か、一つのベッドに三人、後は肺病病み、淋病病み、てんかん持ち、性欲倒錯者、皮膚病持ちという八人部屋で、簡易ベッドかしらみや蚤だらけのふとんに寝る人もいる。」 こうした状況をなくすには、慈善でも同情でも啓蒙でもなく、隣に座って話しかけ耳を傾けあって同じ地平に立って進むしかない。泥棒の息子として生まれながらも幸福な子供時代を過ごした後、母親が死に、泥棒の父親が逮捕投獄され、兄弟たちは四散して、一人ぼっちでアルゼンチンからチリへと放浪しながらさまざまな人と出会っていく少年の姿を通して、作者は静かに語りかけてくる。 前半は物語の時間が現在と過去を行き来して、気を抜いて読んでいると混乱してしまう所も多いが、後半、特にエチェベリアとクリスティアンを含めてのエピソードは、エチェベリアの造形の中に作者の理想像が反映されていることもあって、非常に魅力的な物語となっている。 por Andres退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)