先日、2日間でキューバ映画4作品を観る機会があった。

「永遠のハバナ」「グァンタナメラ」「低開発の記憶」「ハバナステーション」。概略と感想をまとめて載せる。

 
「永遠のハバナ」 原題 “Suite Habana”
2003年のキューバ、スペイン合作映画。
ハバナのある一日、夜明け前からの24時間の普通の人々の暮らしをたんたんと描いたドキュメンタリー風作品。
母親を早くに亡くしたダウン症児とできるだけ共に過ごす時間を持とうと努めるその父親、祖父母。
昼間は左官見習いとして働きながら夜はバレリーナとして活躍する20歳の青年。
病院で作業員をしながら夜は友人とクラブに行って女装して歌う30歳の男。仕事を終えるとディスコで若い娘を探す靴屋。
退勤後に教会でミサに参列してからナイトクラブでサックスを吹く保線工。ボランティアでピエロを演じることもある機内食社員。
マイアミに亡命した恋人と結婚するために出国する無職の男。ピーナッツの立ち売りで生活し、夜は絵を描いて過ごす独り暮らしの老女。

何も特別なことは起こらず、喜怒哀楽もさざ波ほどで人々の表情は微かに変化を見せることがあるだけ。科白はない。
白黒の画面に懐かしい Habana Vieja で繰り返されているだろう日常が静かに映し出され、そこから「生活」
への監督の温かい視線が確かに伝わってきた。


 


「グァンタナメラ」 原題 “Guantanamera”


1995年のキューバ・スペイン合作映画。

ハバナからグアンタナモに帰省中に亡くなった伯母の遺体を、姪のヒーナは葬儀公団幹部の夫の助力でハバナへ運ぶ。
しかしガソリン不足のため各県の葬儀公団の車を乗り継ぎながら運ぶことになる。長距離トラックの運転手マリアーノは、
大学教授だったヒーナの授業に出ていたことがあり彼女にあこがれていたが、今は町ごとに愛人がいて仕事の途中で楽しんでいる。
ハバナへの道で何度も出会ううちに、二人は愛し合うようになる。

セリフは当然キューバの発音でしかも早口、字幕は英語。それでもわかりやすい筋のコメディだったので十分楽しめた。
 

「低開発の記憶」
原題 “Memorias del subdesarollo”
1966年制作のキューバ映画。
1962年のハバナ、高級住宅に住むセルヒオは、妻がマイアミに去ってしまっても、
特に革命への同伴意識があるわけでもなく先の見通しもないままキューバに残る。
若い娘を誘って性的関係を持ったりしながらほとんど無為の暮らしを送っている。やがて娘の家族に強姦罪で告発されて裁判にかけられ、
無罪にはなったが自身でも何か腑に落ちなさを拭いきれない。
革命からキューバ危機にかけての緊張した時代でも、皆が革命と反革命、社会主義と資本主義、
カストロとケネディというような二項対立に囚われていたわけではなく、
どっち付かずの立場や二項対立が眼中にない暮らしを送る人々など、さまざまな現実の姿を提示している作品。
今では懐かしささえ感じさせられてしまうようなヌーベル・バーグ風の画面や展開。少々退屈ではあったが、日本の西からも東からも
「奴が敵だ。奴を倒せ」という雄叫びに喝采がこだまする現在、50年前の醒めた視線に忘れ物を気付かされた気がする。
 


「ハバナステーション」 
原題 “Habanastation”
監督は題を”Playstation”をキューバ風に発音した “Pleisteichon” としたかったが、
ソニーから許可が出なかったので上記のようになったとのこと。


2011年のキューバ映画。

ハバナの閑静な住宅街ミラマールに住む小学生のマジートは、父親が有名なミュージシャンで海外公演も多いため、
学校で一番早くプレーステーション3を買ってもらう。同じクラスのカルロスは父親が服役中で、
貧困層の住むマリアナーオ地区で祖母に育てられている。二人は学校でも付き合いがなかったのだが、
ある日マジートがマリアナーオに迷い込んでカルロスと半日を過ごすことになる。悪ガキやチンピラに囲まれ、
カルロスに世話されながら過ごすうちに、マジートは成長し、二人は理解し合うようになる。

「王子と乞食」や「ローマの休日」のバリエーションのようなよくある筋の物語だが、
キューバでも広がりつつある格差が伝わってくる。主題はあくまでも「成長」と「友情」で、
社会の矛盾を突きつめるような作品ではない。気軽に楽しめるものだった。
 

por Andrés
Andres y Amelia映画・テレビ先日、2日間でキューバ映画4作品を観る機会があった。 「永遠のハバナ」「グァンタナメラ」「低開発の記憶」「ハバナステーション」。概略と感想をまとめて載せる。   「永遠のハバナ」 原題 'Suite Habana' 2003年のキューバ、スペイン合作映画。 ハバナのある一日、夜明け前からの24時間の普通の人々の暮らしをたんたんと描いたドキュメンタリー風作品。 母親を早くに亡くしたダウン症児とできるだけ共に過ごす時間を持とうと努めるその父親、祖父母。 昼間は左官見習いとして働きながら夜はバレリーナとして活躍する20歳の青年。 病院で作業員をしながら夜は友人とクラブに行って女装して歌う30歳の男。仕事を終えるとディスコで若い娘を探す靴屋。 退勤後に教会でミサに参列してからナイトクラブでサックスを吹く保線工。ボランティアでピエロを演じることもある機内食社員。 マイアミに亡命した恋人と結婚するために出国する無職の男。ピーナッツの立ち売りで生活し、夜は絵を描いて過ごす独り暮らしの老女。 何も特別なことは起こらず、喜怒哀楽もさざ波ほどで人々の表情は微かに変化を見せることがあるだけ。科白はない。 白黒の画面に懐かしい Habana Vieja で繰り返されているだろう日常が静かに映し出され、そこから「生活」 への監督の温かい視線が確かに伝わってきた。   「グァンタナメラ」 原題 'Guantanamera' 1995年のキューバ・スペイン合作映画。 ハバナからグアンタナモに帰省中に亡くなった伯母の遺体を、姪のヒーナは葬儀公団幹部の夫の助力でハバナへ運ぶ。 しかしガソリン不足のため各県の葬儀公団の車を乗り継ぎながら運ぶことになる。長距離トラックの運転手マリアーノは、 大学教授だったヒーナの授業に出ていたことがあり彼女にあこがれていたが、今は町ごとに愛人がいて仕事の途中で楽しんでいる。 ハバナへの道で何度も出会ううちに、二人は愛し合うようになる。 セリフは当然キューバの発音でしかも早口、字幕は英語。それでもわかりやすい筋のコメディだったので十分楽しめた。   「低開発の記憶」 原題 'Memorias del subdesarollo' 1966年制作のキューバ映画。 1962年のハバナ、高級住宅に住むセルヒオは、妻がマイアミに去ってしまっても、 特に革命への同伴意識があるわけでもなく先の見通しもないままキューバに残る。 若い娘を誘って性的関係を持ったりしながらほとんど無為の暮らしを送っている。やがて娘の家族に強姦罪で告発されて裁判にかけられ、 無罪にはなったが自身でも何か腑に落ちなさを拭いきれない。 革命からキューバ危機にかけての緊張した時代でも、皆が革命と反革命、社会主義と資本主義、 カストロとケネディというような二項対立に囚われていたわけではなく、 どっち付かずの立場や二項対立が眼中にない暮らしを送る人々など、さまざまな現実の姿を提示している作品。 今では懐かしささえ感じさせられてしまうようなヌーベル・バーグ風の画面や展開。少々退屈ではあったが、日本の西からも東からも 「奴が敵だ。奴を倒せ」という雄叫びに喝采がこだまする現在、50年前の醒めた視線に忘れ物を気付かされた気がする。   「ハバナステーション」  原題 'Habanastation' 監督は題を'Playstation'をキューバ風に発音した 'Pleisteichon' としたかったが、 ソニーから許可が出なかったので上記のようになったとのこと。 2011年のキューバ映画。 ハバナの閑静な住宅街ミラマールに住む小学生のマジートは、父親が有名なミュージシャンで海外公演も多いため、 学校で一番早くプレーステーション3を買ってもらう。同じクラスのカルロスは父親が服役中で、 貧困層の住むマリアナーオ地区で祖母に育てられている。二人は学校でも付き合いがなかったのだが、 ある日マジートがマリアナーオに迷い込んでカルロスと半日を過ごすことになる。悪ガキやチンピラに囲まれ、 カルロスに世話されながら過ごすうちに、マジートは成長し、二人は理解し合うようになる。 「王子と乞食」や「ローマの休日」のバリエーションのようなよくある筋の物語だが、 キューバでも広がりつつある格差が伝わってくる。主題はあくまでも「成長」と「友情」で、 社会の矛盾を突きつめるような作品ではない。気軽に楽しめるものだった。   por Andrés退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)