4.28と靖国参拝
日本政府主催の「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」が行われた。数日前には閣僚をはじめ多くの国会議員が靖国神社を参拝し、安倍首相も参拝はしなかったものの「国のために尊い命を落とした尊いご英霊に対して、尊崇の念を表する、これは当たり前のことであり」と述べた。
この二つの動きに彼らの根底にあるものが露わになっている。沖縄を切り捨てて「主権回復」を果たし、未だに沖縄を半ば米軍支配下に放置している日本政府には、米国に寄り添い、米国にすり寄ることで得られる「国益」しか視野になく、沖縄の人々の生活や感情には何の関心もないこと。靖国参拝で「尊い命を落とした尊いご英霊に対して、尊崇の念を表する」が、尊い命を奪った者の責任は問おうとしないし、日本軍がアジアで奪った無数の人々も「尊い命」を持っていたとは考えないということ。つまり彼らは自己の利益のみが判断基準で、その他の者はそれに奉仕するかどうかだけで「尊い命」としたり無視したりするのだ。
por Andrés
https://dosperegrinos.net/2013/04/28/4-28%e3%81%a8%e9%9d%96%e5%9b%bd%e5%8f%82%e6%8b%9d/政治・経済・国際日本政府主催の「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」が行われた。数日前には閣僚をはじめ多くの国会議員が靖国神社を参拝し、安倍首相も参拝はしなかったものの「国のために尊い命を落とした尊いご英霊に対して、尊崇の念を表する、これは当たり前のことであり」と述べた。 この二つの動きに彼らの根底にあるものが露わになっている。沖縄を切り捨てて「主権回復」を果たし、未だに沖縄を半ば米軍支配下に放置している日本政府には、米国に寄り添い、米国にすり寄ることで得られる「国益」しか視野になく、沖縄の人々の生活や感情には何の関心もないこと。靖国参拝で「尊い命を落とした尊いご英霊に対して、尊崇の念を表する」が、尊い命を奪った者の責任は問おうとしないし、日本軍がアジアで奪った無数の人々も「尊い命」を持っていたとは考えないということ。つまり彼らは自己の利益のみが判断基準で、その他の者はそれに奉仕するかどうかだけで「尊い命」としたり無視したりするのだ。 por AndrésAndres y Amelia SubscriberDos Peregrinos
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