合計距離: 18179 m
最高点の標高: 394 m
最低点の標高: 199 m
累積標高(上り): 733 m
累積標高(下り): -663 m
総所要時間: 23:21:48
曇り空だが、雨は降っていない。一晩中エアコンで暖房を入れていたので全く寒くないが、湿度が高いせいか洗濯物は乾かないものが多い。
Pedrouzoの朝食
Pedrouzoの朝食

7時40分ごろに宿で指定された隣のCHE Barで朝食。Café con leche、Zumo de Naranja、Tosatadaはいつもの通りだが、ここのはケーキがついてくる。甘すぎるのは困りものだが。数人の巡礼者が店内で朝食をとっており、前の通りでも何人かの巡礼者が歩きはじめていた。
8時40分に出発。曇っているが、今のところ降りそうにはない。暖かい朝で、ウインドブレーカーはなくても何とかなりそうなくらい。宿の前の大通りを5分ほど進み、右に逸れてやがていつものCaminoに。
Mojón 17.5km
Mojón 17.5km

今日最初のMojónは17.5km。
ぬかるんだCamino
ぬかるんだCamino

土の道になると昨日までの雨でぬかるんでいるところも結構ある。
久しぶりの陽光
久しぶりの陽光

Caminoは今日も林間、畑や牧草地の間、集落の路地、点在する民家の前などを、丘を越えながら進んで行く。徐々に青空が広がって、久しぶりに陽光を浴びる。
今日は距離が短いだけでなく、実質的には最終日と言っても良いだけに、ゆっくり歩きたい、到着を遅らせたい、そんな気分。他の人も同じ気持ちなのだろうか、持ち物の非常に少ない軽装の人は別として、ゆっくり歩く人が多いように思える。
1時間ほど歩いたところのBarで、少し早いが休憩。巡礼者がたくさん入っているが、何となく前とは違う雰囲気。ガサツな空気を感じるのは、こちらの気分のせいなのだろうか。
上り坂では暑くて汗をかいてしまうほどなので、ウインドブレーカーを脱ぐ。9月下旬に歩いていた時と同じ服装だ。ニュースでは今日明日はスペイン全体の温度が高いと言っていたが、今日はまさに季節が1か月以上逆戻りした感じ。しかも湿度が高いので、日本の9月のよう。
ここで一稼ぎ
ここで一稼ぎ

飛行場のわきを通って大通りに出ると、巡礼の小さなモニュメントの前に、通りかかる巡礼者と写真を撮って一稼ぎしようという男がいた。
飛行場の金網の十字架
飛行場の金網の十字架

飛行場の金網には、例によって無数の十字架。独自性も美しさもないのだから、もうやめればいいのに。
教会はあるが、開いていない。
羊の散歩
羊の散歩

羊を散歩に連れ出しているおじいさんがいた。1頭だけ綱につないで歩くと、他の羊はおとなしくついて行った。それにしてもたった4頭、趣味でやっているとしか思えない。
大きなBocadillo
大きなBocadillo

Lavacollaに入ってまた教会があったが、やはり閉まっている。12時近くなりお腹もすいたので、その近くのBarで昼食。いつも通りのBocadillo con Jamón y Quesoだが、ここのはこれまでに最高に大きい。パンが軽いものだったので、苦労せずに食べきることができた。
Barの通りを挟んだ向こう側に大きなテントが張ってあり、そこで3人のおばさんがタコを盛るのに使う木の丸皿をたくさん洗っている。その向こうでは大鍋が火にかけられている。ちょっと行って、今日はFiestaをやるのか、タコ祭りか、毎年やっているのかを聞いてみる。おばさんは、そう、これからfiestaだけど、Fiesta privadaだと答え、2度3度とFiesta privadaとprivadaを強調する。よそ者が入ってくるのをちょっと警戒したのかもしれない。それにしても木皿の数は百や二百はあったように見えた。
田園風景
田園風景

きれいな小川が流れていて、いかにも田園風景と言った風情。
Santiago人形
Santiago人形

ホタテ貝を並べてSantiagoの方向を示す矢印がつくられていて、その下に格子があるのでのぞいてみると、中にはSantiago様の人形が。
ガリシア・テレビの放送局の前を通る。
Santiagoまで7km
Santiagoまで7km

12.5kmを最後にMojónが見当たらなくなっていたが、キャンプ場の外壁に7kmの表示があった。
RTVE放送局の前を通る。
遠くにMonte do Gozoの記念碑
遠くにMonte do Gozoの記念碑

とうとう丘の上にMonte do Gozoの記念碑が見えたが、すぐに家並みの陰に隠れる。着く前にトイレを済ませようと、少し横道にそれてBarに。土曜日の昼時で、地元客でにぎわっていた。
祝福の雲?
祝福の雲?

住宅街を抜けると、ヨハネ・パウロ二世が訪問したことを記念した碑。空には雲が放射状に広がり、私たちの到着を祝っていた。記念碑まで上るが、ここからはSantiagoのCatedralは見えない。
Ermita テーブルにSello
Ermita テーブルにSello

記念碑のある小さな丘のふもとのErmitaでSelloを押す。
脇の草原の中の道に入り、右にAlbergueを見て直進し、道路を渡って丘を登ると巡礼者の記念碑がある。
遠くに小さくCatedral
遠くに小さくCatedral

Mirador a Catedral。ここから遠く小さくCatedralが望まれる。二本の塔が見え、真ん中は修理中で足場に囲まれている。昨日までの雨で空気が澄んでいるのか、今日の好天ゆえか、遠くまでよく見渡せた。
スペイン・日本交流400周年記念碑
スペイン・日本交流400周年記念碑

像の数十メートル後方にスペイン・日本交流400周年の記念碑。
元の道を戻り、Albergueへ。今夜はAlbergue泊まり。裏口のような、金網の間の小さな入口を通って敷地内に入ると、すぐの建物にRecepciónがある。受け付けてくれたのはManuelさん。最初は私たちを韓国人だと思って「アンニョン・アセヨ」と挨拶してくるが、日本人だとわかると「コンニチワ」。受付時の説明でも片言の日本語を盛んに使う。近くのレストランの場所などの説明も。部屋に案内してくれる。全部で30棟あるうち、現在使っているのはこのRecepciónのある29号棟だけのよう。
Albergue5号室
Albergue5号室

私たちが案内されたのは5号室。まだほとんど巡礼者は到着していないようで、5号室には私たちだけ。さっさとシャワーを済ませる。お湯はたっぷり出るが天井シャワーなのが玉に瑕。もらった紙のシーツと枕カバーをかけ、荷物を整理。あたりの探索に出かける。
Albergue敷地内の坂道
Albergue敷地内の坂道

Albergueの敷地内を下って行くと、真ん中の通路を挟んで丘の下に向かって左右に伸びる平屋建ての宿舎がずらりと並んでいる。しかし29号棟以外は、入口に枯葉がたまっていて現在は使われていない。様子からすると10月末までも使われてはいなかったようだ。
Albergue内のレストラン(閉鎖中)
Albergue内のレストラン(閉鎖中)

丘を半分下ったところにレストランやBarが並ぶ一角があるが、すべて閉まっている。まるで万博の閉会後のような風景。
建物配置図
建物配置図

さらに下端まで行くと、警備員が一人暇そうに立っていた。その横にはホテルがあるが、これも閉鎖中。夏と今との巡礼者数の極端な違いを感じさせられる。
敷地外に出てさらに下り、国道に出てスーパーに向かう。しかしスーパーはつぶれていた。隣のレストランで休憩。干タラのEmpanadaで小腹を満たす。
荒れ果てたパウロ・コエーリョ通り
荒れ果てたパウロ・コエーリョ通り

別の道で戻って行くと、パウロ・コエーリョと名付けられた通りに出る。しかし舗装の隙間に雑草が生え、右側の上り階段も雑草に覆われて石段は黒ずんでいる。左側は宅地造成をした形跡があるが、すべて雑草が伸び放題。不動産バブルの跡なのか。その先には近代的な集合住宅があって人が住んでいるが。
Albergueで教えられたレストランを探すが、見つからない。歩き回った挙句、開いているレストランがあり、まだ6時15分なので無理かと思ったが聞いてみると食事はできるとのことなので、ここで夕食にする。
Monte do Gozoの夕食
Monte do Gozoの夕食

ここのMenúはなんと三皿。一皿目はSopa de FideuáとCrema de Carabasa。二皿目はSeta a la PlanchaとEmpanada。三皿目はPolloとBacalao。デザートは二人ともアイスクリーム。それにワインと水。どれも味は悪くなく、出来は悪くない。これで10ユーロは激安。
暗くなって宿に戻るが、草原の中は街灯もなく真っ暗で懐中電灯がなければ歩けない。
宿に戻ったが、部屋はやはり私たちだけだった。談話室で日記書き。向かいの食事室で日本人の若い男女が食事しているが、私たちとかかわりたくはなさそう。
 
今日は、ゆっくり歩いた。少しでも到着を遅く、歩く時間を長くしたいかのように。何度も思い出される風景は、ガリシアの日本を思わせる緑ではなく。ナバーラやカスティーリャやレオンの茶色に枯れ果て、どこまでも続くと思われる丘陵の間にのびる道だった。
明日はいよいよSantiago de Compostela。約5km。
por Andrés
Andrésフランス人の道 Camino FrancésCamino,Francés,Santiago,サンティアゴ,フランス人の道,巡礼曇り空だが、雨は降っていない。一晩中エアコンで暖房を入れていたので全く寒くないが、湿度が高いせいか洗濯物は乾かないものが多い。 7時40分ごろに宿で指定された隣のCHE Barで朝食。Café con leche、Zumo de Naranja、Tosatadaはいつもの通りだが、ここのはケーキがついてくる。甘すぎるのは困りものだが。数人の巡礼者が店内で朝食をとっており、前の通りでも何人かの巡礼者が歩きはじめていた。 8時40分に出発。曇っているが、今のところ降りそうにはない。暖かい朝で、ウインドブレーカーはなくても何とかなりそうなくらい。宿の前の大通りを5分ほど進み、右に逸れてやがていつものCaminoに。 今日最初のMojónは17.5km。 土の道になると昨日までの雨でぬかるんでいるところも結構ある。 Caminoは今日も林間、畑や牧草地の間、集落の路地、点在する民家の前などを、丘を越えながら進んで行く。徐々に青空が広がって、久しぶりに陽光を浴びる。 今日は距離が短いだけでなく、実質的には最終日と言っても良いだけに、ゆっくり歩きたい、到着を遅らせたい、そんな気分。他の人も同じ気持ちなのだろうか、持ち物の非常に少ない軽装の人は別として、ゆっくり歩く人が多いように思える。 1時間ほど歩いたところのBarで、少し早いが休憩。巡礼者がたくさん入っているが、何となく前とは違う雰囲気。ガサツな空気を感じるのは、こちらの気分のせいなのだろうか。 上り坂では暑くて汗をかいてしまうほどなので、ウインドブレーカーを脱ぐ。9月下旬に歩いていた時と同じ服装だ。ニュースでは今日明日はスペイン全体の温度が高いと言っていたが、今日はまさに季節が1か月以上逆戻りした感じ。しかも湿度が高いので、日本の9月のよう。 飛行場のわきを通って大通りに出ると、巡礼の小さなモニュメントの前に、通りかかる巡礼者と写真を撮って一稼ぎしようという男がいた。 飛行場の金網には、例によって無数の十字架。独自性も美しさもないのだから、もうやめればいいのに。 教会はあるが、開いていない。 羊を散歩に連れ出しているおじいさんがいた。1頭だけ綱につないで歩くと、他の羊はおとなしくついて行った。それにしてもたった4頭、趣味でやっているとしか思えない。 Lavacollaに入ってまた教会があったが、やはり閉まっている。12時近くなりお腹もすいたので、その近くのBarで昼食。いつも通りのBocadillo con Jamón y Quesoだが、ここのはこれまでに最高に大きい。パンが軽いものだったので、苦労せずに食べきることができた。 Barの通りを挟んだ向こう側に大きなテントが張ってあり、そこで3人のおばさんがタコを盛るのに使う木の丸皿をたくさん洗っている。その向こうでは大鍋が火にかけられている。ちょっと行って、今日はFiestaをやるのか、タコ祭りか、毎年やっているのかを聞いてみる。おばさんは、そう、これからfiestaだけど、Fiesta privadaだと答え、2度3度とFiesta privadaとprivadaを強調する。よそ者が入ってくるのをちょっと警戒したのかもしれない。それにしても木皿の数は百や二百はあったように見えた。 きれいな小川が流れていて、いかにも田園風景と言った風情。 ホタテ貝を並べてSantiagoの方向を示す矢印がつくられていて、その下に格子があるのでのぞいてみると、中にはSantiago様の人形が。 ガリシア・テレビの放送局の前を通る。 12.5kmを最後にMojónが見当たらなくなっていたが、キャンプ場の外壁に7kmの表示があった。 RTVE放送局の前を通る。 とうとう丘の上にMonte do Gozoの記念碑が見えたが、すぐに家並みの陰に隠れる。着く前にトイレを済ませようと、少し横道にそれてBarに。土曜日の昼時で、地元客でにぎわっていた。 住宅街を抜けると、ヨハネ・パウロ二世が訪問したことを記念した碑。空には雲が放射状に広がり、私たちの到着を祝っていた。記念碑まで上るが、ここからはSantiagoのCatedralは見えない。 記念碑のある小さな丘のふもとのErmitaでSelloを押す。 脇の草原の中の道に入り、右にAlbergueを見て直進し、道路を渡って丘を登ると巡礼者の記念碑がある。 Mirador a Catedral。ここから遠く小さくCatedralが望まれる。二本の塔が見え、真ん中は修理中で足場に囲まれている。昨日までの雨で空気が澄んでいるのか、今日の好天ゆえか、遠くまでよく見渡せた。 像の数十メートル後方にスペイン・日本交流400周年の記念碑。 元の道を戻り、Albergueへ。今夜はAlbergue泊まり。裏口のような、金網の間の小さな入口を通って敷地内に入ると、すぐの建物にRecepciónがある。受け付けてくれたのはManuelさん。最初は私たちを韓国人だと思って「アンニョン・アセヨ」と挨拶してくるが、日本人だとわかると「コンニチワ」。受付時の説明でも片言の日本語を盛んに使う。近くのレストランの場所などの説明も。部屋に案内してくれる。全部で30棟あるうち、現在使っているのはこのRecepciónのある29号棟だけのよう。 私たちが案内されたのは5号室。まだほとんど巡礼者は到着していないようで、5号室には私たちだけ。さっさとシャワーを済ませる。お湯はたっぷり出るが天井シャワーなのが玉に瑕。もらった紙のシーツと枕カバーをかけ、荷物を整理。あたりの探索に出かける。 Albergueの敷地内を下って行くと、真ん中の通路を挟んで丘の下に向かって左右に伸びる平屋建ての宿舎がずらりと並んでいる。しかし29号棟以外は、入口に枯葉がたまっていて現在は使われていない。様子からすると10月末までも使われてはいなかったようだ。 丘を半分下ったところにレストランやBarが並ぶ一角があるが、すべて閉まっている。まるで万博の閉会後のような風景。 さらに下端まで行くと、警備員が一人暇そうに立っていた。その横にはホテルがあるが、これも閉鎖中。夏と今との巡礼者数の極端な違いを感じさせられる。 敷地外に出てさらに下り、国道に出てスーパーに向かう。しかしスーパーはつぶれていた。隣のレストランで休憩。干タラのEmpanadaで小腹を満たす。 別の道で戻って行くと、パウロ・コエーリョと名付けられた通りに出る。しかし舗装の隙間に雑草が生え、右側の上り階段も雑草に覆われて石段は黒ずんでいる。左側は宅地造成をした形跡があるが、すべて雑草が伸び放題。不動産バブルの跡なのか。その先には近代的な集合住宅があって人が住んでいるが。 Albergueで教えられたレストランを探すが、見つからない。歩き回った挙句、開いているレストランがあり、まだ6時15分なので無理かと思ったが聞いてみると食事はできるとのことなので、ここで夕食にする。 ここのMenúはなんと三皿。一皿目はSopa de FideuáとCrema de Carabasa。二皿目はSeta a la PlanchaとEmpanada。三皿目はPolloとBacalao。デザートは二人ともアイスクリーム。それにワインと水。どれも味は悪くなく、出来は悪くない。これで10ユーロは激安。 暗くなって宿に戻るが、草原の中は街灯もなく真っ暗で懐中電灯がなければ歩けない。 宿に戻ったが、部屋はやはり私たちだけだった。談話室で日記書き。向かいの食事室で日本人の若い男女が食事しているが、私たちとかかわりたくはなさそう。   今日は、ゆっくり歩いた。少しでも到着を遅く、歩く時間を長くしたいかのように。何度も思い出される風景は、ガリシアの日本を思わせる緑ではなく。ナバーラやカスティーリャやレオンの茶色に枯れ果て、どこまでも続くと思われる丘陵の間にのびる道だった。 明日はいよいよSantiago de Compostela。約5km。 por Andrés退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)