UIMP後のSantander生活(2016/06/30)
目が覚めたら8時半だった。昨夜が遅かったので、それでもまだ眠い。
朝食後、明日の出発のために授業で使ったプリントや見学でもらったパンフレット、新聞などを捨てる。以前は結構持ち帰っていたのだが、結局ほとんど見ることはないし、見学地の情報はネットでも見られるものがほとんどなので。それでも教科書や本、ノートなど荷物は増えていて、しかも重いものが多い。
11時過ぎに出かける。いつもの海岸沿いを歩いて行く。薄曇りで暑くなかったが、途中で晴れたので日陰を探して歩くことになる。
浜には今日もたくさんの人。Festivalの先で岸壁の方に進む。船溜まりの端で海をのぞき込んでみるとボラのような魚が何匹も集まっている。
今日の目的地はスペイン戦争中の防空壕。近くまで行ったところでアイスクリーム屋に入って、それぞれ好きなものを2種選んで食べる。
防空壕の入口に行ってみるがまだ受付時間に間があったので、ちょっと先のベンチで一休み。日陰は涼しい。
指定された1時5分前に入口に行くと、間もなくガイドの女性が現れた。受付リストを見るなり、「日本語をすっかり忘れました」と日本語で言う。スペイン語で訊ねてみると、柔道の服部先生から習ったが、もう10年以上もやっていないので忘れてしまったとのこと。Santanderには日本人が数人住んでいるそうだ。
今日の入場者は私たちを含めて3組6人。
中に入ると幅2メートルほどの壕が、壁でジグザグに仕切られてある。そんなに大きなものではない。5~60人が避難できたそうで、子供や女性が優先だったとのこと。天井から地面までの距離は1mほどだが、当時はそれで何とかなったようだ。こうした壕が街中にたくさん作られた。日本の戦時中の防空壕よりはるかに立派な造り。ガイドさんの説明は、私たちが日本人だと知っているので少しはゆっくりやってくれるかと期待したが、普通のスピードで、しかも壕の中では少し聞こえづらいので聞き取れないことが多かった。中にテレビが設置してあり、さらに大きめのサブウーファースピーカーも置いてある。これで空襲の様子を再現する。警報のサイレンが鳴り、飛行機が飛来し、爆弾の落下する風切り音が聞こえたと思ったら大きな爆発音であたりが揺れ、閃光が光る。説明を終えて中を自由見学すると、爆弾やナチスドイツのコンドル軍団のマネキンが展示されている。
さらにドイツ語で彫られた死んだコンドル軍団の兵士への顕彰碑も展示されている。見学時間は40分。見過ごしてしまうような、スペイン戦争に関心のない人には興味のわかない施設だろうが、もう少し目立つようにしてほしい。入口はガラス張りでそれなりに目立つものだが、防空壕だとの表示が小さく、地下駐車場の入口にしか見えないのだ。
Mercado Esteに行ってピンチョスで昼食にする。木曜日はピンチョスが全品1ユーロ。混んでいるかと思ったがそうでもなかった。隣の席の親子3人連れは20品近いピンチョスを並べていたが、他の客は数品でワインやビールとごく普通。私たちは二人でワイン2杯とピンチョス6品。味はどうということもないごく平均的なものだった。
帰りはバスで。
昼寝後の散歩はSegunda Playaの方へ行き、一番はずれのHotel Chiquiまで。
砂浜は多くの人出。海で泳ぐ人もずいぶん増えたが、大部分は寝転がって肌を焼くか波打ち際を散歩。あとはビーチバレーやテニスのような打ち合い。しばらくベンチに座って観察する。ここも白人ばかりで、東洋人の姿は全く見られない。ひょっとして私たちは目立っているのだろうか。
Lupaでお菓子少々と小さめのパン、クロワッサン一つだけを買い、Hotel SardineroでWiFiを使いながら休憩。昨日の分までのブログを投稿できた。
帰宅後夕食。テレビでユーロカップのポルトガル対ポーランドを見ていたら遅くなってしまった。延長PK戦でポルトガルが勝った。
シャワー後、衣類もスーツケースに詰めて出発準備。今日も就寝が2時近くになってしまった。
por Andrés
https://dosperegrinos.net/2016/07/01/uimp%e5%be%8c%e3%81%aesantander%e7%94%9f%e6%b4%bb%ef%bc%8820160630%ef%bc%89//images/2016/07/P6305497_21-644x430.jpg/images/2016/07/P6305497_21-150x150.jpgスペイン留学生活目が覚めたら8時半だった。昨夜が遅かったので、それでもまだ眠い。 朝食後、明日の出発のために授業で使ったプリントや見学でもらったパンフレット、新聞などを捨てる。以前は結構持ち帰っていたのだが、結局ほとんど見ることはないし、見学地の情報はネットでも見られるものがほとんどなので。それでも教科書や本、ノートなど荷物は増えていて、しかも重いものが多い。 11時過ぎに出かける。いつもの海岸沿いを歩いて行く。薄曇りで暑くなかったが、途中で晴れたので日陰を探して歩くことになる。 浜には今日もたくさんの人。Festivalの先で岸壁の方に進む。船溜まりの端で海をのぞき込んでみるとボラのような魚が何匹も集まっている。 今日の目的地はスペイン戦争中の防空壕。近くまで行ったところでアイスクリーム屋に入って、それぞれ好きなものを2種選んで食べる。 防空壕の入口に行ってみるがまだ受付時間に間があったので、ちょっと先のベンチで一休み。日陰は涼しい。 指定された1時5分前に入口に行くと、間もなくガイドの女性が現れた。受付リストを見るなり、「日本語をすっかり忘れました」と日本語で言う。スペイン語で訊ねてみると、柔道の服部先生から習ったが、もう10年以上もやっていないので忘れてしまったとのこと。Santanderには日本人が数人住んでいるそうだ。 今日の入場者は私たちを含めて3組6人。 中に入ると幅2メートルほどの壕が、壁でジグザグに仕切られてある。そんなに大きなものではない。5~60人が避難できたそうで、子供や女性が優先だったとのこと。天井から地面までの距離は1mほどだが、当時はそれで何とかなったようだ。こうした壕が街中にたくさん作られた。日本の戦時中の防空壕よりはるかに立派な造り。ガイドさんの説明は、私たちが日本人だと知っているので少しはゆっくりやってくれるかと期待したが、普通のスピードで、しかも壕の中では少し聞こえづらいので聞き取れないことが多かった。中にテレビが設置してあり、さらに大きめのサブウーファースピーカーも置いてある。これで空襲の様子を再現する。警報のサイレンが鳴り、飛行機が飛来し、爆弾の落下する風切り音が聞こえたと思ったら大きな爆発音であたりが揺れ、閃光が光る。説明を終えて中を自由見学すると、爆弾やナチスドイツのコンドル軍団のマネキンが展示されている。 さらにドイツ語で彫られた死んだコンドル軍団の兵士への顕彰碑も展示されている。見学時間は40分。見過ごしてしまうような、スペイン戦争に関心のない人には興味のわかない施設だろうが、もう少し目立つようにしてほしい。入口はガラス張りでそれなりに目立つものだが、防空壕だとの表示が小さく、地下駐車場の入口にしか見えないのだ。 Mercado Esteに行ってピンチョスで昼食にする。木曜日はピンチョスが全品1ユーロ。混んでいるかと思ったがそうでもなかった。隣の席の親子3人連れは20品近いピンチョスを並べていたが、他の客は数品でワインやビールとごく普通。私たちは二人でワイン2杯とピンチョス6品。味はどうということもないごく平均的なものだった。 帰りはバスで。 昼寝後の散歩はSegunda Playaの方へ行き、一番はずれのHotel Chiquiまで。 砂浜は多くの人出。海で泳ぐ人もずいぶん増えたが、大部分は寝転がって肌を焼くか波打ち際を散歩。あとはビーチバレーやテニスのような打ち合い。しばらくベンチに座って観察する。ここも白人ばかりで、東洋人の姿は全く見られない。ひょっとして私たちは目立っているのだろうか。 Lupaでお菓子少々と小さめのパン、クロワッサン一つだけを買い、Hotel SardineroでWiFiを使いながら休憩。昨日の分までのブログを投稿できた。 帰宅後夕食。テレビでユーロカップのポルトガル対ポーランドを見ていたら遅くなってしまった。延長PK戦でポルトガルが勝った。 シャワー後、衣類もスーツケースに詰めて出発準備。今日も就寝が2時近くになってしまった。 por AndrésAndrés andres@nifty.comAdministratorDos Peregrinos
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