朝食はホテルで無料。パン4種(クロワッサン、バターロール、アップルパイ、焼きそばパン)、スープ3種(コーン、コンソメ2種)、ゆで卵、コーヒー、オレンジジュース、野菜ジュース。

チェックアウト後、石橋文化センターへ。美術館は今月から「久留米市美術館」になっている。10時開館の少し前に着いてしまったので少し待つ。記念として九州の画家展をやっていた。好みの絵はないが、なかなか見ごたえのあるものだった。別館で石橋正二郎の生涯を紹介する展示。地下足袋から初めてタイヤへと先見の明のある経営で会社を発展させたが、文化面でも、この文化センターや京橋のブリヂストン美術館は知っていたが、京橋の方が先だったこと、東京近代美術館も彼が寄贈したこと、久留米大学の設立にも尽力したこと、ヴェネツィアにビエンナーレ日本館を作ったことなど、知らないことも多かった。

ここは50年ほど前に久留米に住んでいたころに来たことがあるが、美術館の外形とその前庭が記憶に残っているが、裏の日本庭園などは新しいのだろうか、見覚えがなかった。敷地内のレストランで昼食。中高年の客が美術館でも非常に多かった。

食後、5年の途中から通った東国分小学校へ。途中には体育の時間にマラソンの練習で使われた競輪場もあった。小学校は、勿論建物も代わっていたが、校庭と校舎の位置関係は昔の儘のような気がした。

国立病院だった現在の久留米大学医療センターへ。ここも建物は建て替えられていたが、道路から入って左に建物があるのは同じ。右の看護学校があったところは小児病棟に。官舎のあったあたりやテニスコートのあたりはすべて駐車場になっていた。
2年生まで在学した明星中学へ。ここも建物の配置だけは昔のままのような気がした。
高速道路を使って大牟田へ。当時の国立療養所、現在の国立病院へ向かうと、途中で3年生から5年の途中まで通った吉野小学校の前を通る。ここは特に記憶がない。病院の手前で少しくぼ地になった地形が住んでいたあたりだと思わせるところがあったが、道も変わっていて確信は持てない。病院は正面玄関前のロータリーの植え込みが昔の儘のような気がする。

三池炭鉱宮原坑へ。ボランティアの男性が案内してくれる。立坑のエレベータを支えた櫓とウインチのある建物が残っていて、当時の仕組みを説明してくれた。近くには石炭を運び出した線路の跡も。

三池炭鉱万田坑へも行ってみる。ここは入場料が必要だが、同じく男性がガイドしてくれる。宮原坑より建物や設備が多く残っている。またちょっとした資料館もある。世界遺産になって整備も進み観光資源にしようとしているようだ。

今夜の泊りは佐賀駅の近く。チェックイン後すぐに夕食に。佐賀牛を食べにレストラン季楽へ。佐賀牛赤身せいろ。野菜を敷き詰めたうえで薄切りの牛肉を蒸すもの。野菜も多く、牛肉は脂の少ない赤身でおいしくあっさり。私たちのメニューは一人分5,000円とこれでも安い方で、1万円を超えるものもあるのに、店内の雰囲気も店員の対応も、客の様子もファミリーレストランを少し高級にした程度。佐賀は経済的に余裕のある人が多いのだろうか。

駅の方まで散歩してからホテルに戻る。
por Andrés
/images/2016/11/PB220107-644x430.jpg/images/2016/11/PB220107-150x150.jpgAndrés国内旅行朝食はホテルで無料。パン4種(クロワッサン、バターロール、アップルパイ、焼きそばパン)、スープ3種(コーン、コンソメ2種)、ゆで卵、コーヒー、オレンジジュース、野菜ジュース。 チェックアウト後、石橋文化センターへ。美術館は今月から「久留米市美術館」になっている。10時開館の少し前に着いてしまったので少し待つ。記念として九州の画家展をやっていた。好みの絵はないが、なかなか見ごたえのあるものだった。別館で石橋正二郎の生涯を紹介する展示。地下足袋から初めてタイヤへと先見の明のある経営で会社を発展させたが、文化面でも、この文化センターや京橋のブリヂストン美術館は知っていたが、京橋の方が先だったこと、東京近代美術館も彼が寄贈したこと、久留米大学の設立にも尽力したこと、ヴェネツィアにビエンナーレ日本館を作ったことなど、知らないことも多かった。 ここは50年ほど前に久留米に住んでいたころに来たことがあるが、美術館の外形とその前庭が記憶に残っているが、裏の日本庭園などは新しいのだろうか、見覚えがなかった。敷地内のレストランで昼食。中高年の客が美術館でも非常に多かった。 食後、5年の途中から通った東国分小学校へ。途中には体育の時間にマラソンの練習で使われた競輪場もあった。小学校は、勿論建物も代わっていたが、校庭と校舎の位置関係は昔の儘のような気がした。 国立病院だった現在の久留米大学医療センターへ。ここも建物は建て替えられていたが、道路から入って左に建物があるのは同じ。右の看護学校があったところは小児病棟に。官舎のあったあたりやテニスコートのあたりはすべて駐車場になっていた。 2年生まで在学した明星中学へ。ここも建物の配置だけは昔のままのような気がした。 高速道路を使って大牟田へ。当時の国立療養所、現在の国立病院へ向かうと、途中で3年生から5年の途中まで通った吉野小学校の前を通る。ここは特に記憶がない。病院の手前で少しくぼ地になった地形が住んでいたあたりだと思わせるところがあったが、道も変わっていて確信は持てない。病院は正面玄関前のロータリーの植え込みが昔の儘のような気がする。 三池炭鉱宮原坑へ。ボランティアの男性が案内してくれる。立坑のエレベータを支えた櫓とウインチのある建物が残っていて、当時の仕組みを説明してくれた。近くには石炭を運び出した線路の跡も。 三池炭鉱万田坑へも行ってみる。ここは入場料が必要だが、同じく男性がガイドしてくれる。宮原坑より建物や設備が多く残っている。またちょっとした資料館もある。世界遺産になって整備も進み観光資源にしようとしているようだ。 今夜の泊りは佐賀駅の近く。チェックイン後すぐに夕食に。佐賀牛を食べにレストラン季楽へ。佐賀牛赤身せいろ。野菜を敷き詰めたうえで薄切りの牛肉を蒸すもの。野菜も多く、牛肉は脂の少ない赤身でおいしくあっさり。私たちのメニューは一人分5,000円とこれでも安い方で、1万円を超えるものもあるのに、店内の雰囲気も店員の対応も、客の様子もファミリーレストランを少し高級にした程度。佐賀は経済的に余裕のある人が多いのだろうか。 駅の方まで散歩してからホテルに戻る。 por Andrés退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)