渋谷ユーロスペースでの日大芸術学部映画学科映像表現・理論コース3年映画ビジネスゼミ主催「宗教映画祭」で上映された「大いなる沈黙へ グランド・シャルトルーズ修道院」を観た。
この映画は2年前に岩波ホールで上映され、その際に観ようと思ったのだが、上映時間が3時間近くあり、昼食後では眠ってしまう恐れがあって行こうかどうか迷っているうちに時機を逸してしまったものだ。今回は10時半開映ということで観に行くことにした。
フランス・アルプスの山間にある男子修道院グラン・シャルトルーズの修道士たちの生活を記録したドキュメンタリー。この修道院は最も厳格なものと言われ、1984年に撮影を申請したが、許可が出たのは16年後で、しかも音楽、ナレーション、照明は一切使わず、監督一人だけが修道院内に入るという条件だった。
監督は半年にわたって修道院内で暮らしながら撮影し、それを冬から翌冬までという形で作品を仕上げている。映し出されているのは、修道士たちの日常だけで、特別なことは何一つ起きない。
祈り、学び、瞑想する。食べ、働き、休む。
会話が許されているのは日曜日の昼食後の散歩の時間だけ。ミサで聖書を読み讃美歌を歌う時と、自室で祈るときを除いてはほとんど声を発することもない。だから映画の中で聞こえてくるのは周りの森のざわめき、かすかな水の流れ、修道士が畑を耕す音だけ。
しかし25人ほどの修道士たちの会話の内容は神学的なものもあるが、どこそこの修道院はこんなだといったようなたわいもないものも。また、雪の日にはそり遊びを楽しむ姿もあって、その人間味にほっとさせられる。
盲目の老修道士が死は怖くない、死が近づくのは喜びだ、神に近づけるのだからと話すのは、その語り口からも説得力があった。一方、全き善である神が全てを計画しているのだから私はそれを信じて生きるだけ、という言葉には納得できない。ヨブ記への解答は何処にあるのか。
por Andrés

/images/2016/12/20161228072705.jpg/images/2016/12/20161228072705-150x150.jpgAndrés映画・テレビ渋谷ユーロスペースでの日大芸術学部映画学科映像表現・理論コース3年映画ビジネスゼミ主催「宗教映画祭」で上映された「大いなる沈黙へ グランド・シャルトルーズ修道院」を観た。 この映画は2年前に岩波ホールで上映され、その際に観ようと思ったのだが、上映時間が3時間近くあり、昼食後では眠ってしまう恐れがあって行こうかどうか迷っているうちに時機を逸してしまったものだ。今回は10時半開映ということで観に行くことにした。 フランス・アルプスの山間にある男子修道院グラン・シャルトルーズの修道士たちの生活を記録したドキュメンタリー。この修道院は最も厳格なものと言われ、1984年に撮影を申請したが、許可が出たのは16年後で、しかも音楽、ナレーション、照明は一切使わず、監督一人だけが修道院内に入るという条件だった。 監督は半年にわたって修道院内で暮らしながら撮影し、それを冬から翌冬までという形で作品を仕上げている。映し出されているのは、修道士たちの日常だけで、特別なことは何一つ起きない。 祈り、学び、瞑想する。食べ、働き、休む。 会話が許されているのは日曜日の昼食後の散歩の時間だけ。ミサで聖書を読み讃美歌を歌う時と、自室で祈るときを除いてはほとんど声を発することもない。だから映画の中で聞こえてくるのは周りの森のざわめき、かすかな水の流れ、修道士が畑を耕す音だけ。 しかし25人ほどの修道士たちの会話の内容は神学的なものもあるが、どこそこの修道院はこんなだといったようなたわいもないものも。また、雪の日にはそり遊びを楽しむ姿もあって、その人間味にほっとさせられる。 盲目の老修道士が死は怖くない、死が近づくのは喜びだ、神に近づけるのだからと話すのは、その語り口からも説得力があった。一方、全き善である神が全てを計画しているのだから私はそれを信じて生きるだけ、という言葉には納得できない。ヨブ記への解答は何処にあるのか。 por Andrés退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)