橋爪大三郎・大澤真幸 の「ふしぎなキリスト教」が広く読まれ、キリスト教会の一部でも受容されたことを受けて、カトリック司祭の来住氏が「ふしぎなキリスト教」に呼応するかたちで著した「キリスト教入門」。
司祭なので当然だが信仰者の立場から書いている。しかし抑制が効いていて、宣教的な雰囲気は薄く、「抹香臭さ」は少ない。
神と対話を続けることによって神の実在を確信するという説明をはじめ、来住氏は「ふしぎなキリスト教」を基本的には評価しながら、キリスト者の立場、司祭としての立場から、ある部分では「ふしぎなキリスト教」の誤りを訂正しつつ、より深くキリスト教への理解を深めようとしている。
教会の中で、あるいは信者同士で信仰を前提としてなされる語り口では、非キリスト教徒には受け入れ難いこと、宣教の意図が明らかな場合にはそもそも会話が成り立たないこと。これらを来住氏は理解して書き記しているので、キリスト教を信じるつもりはないが理解したいと考える者には格好の一冊だ。
por Andrés
/images/2017/07/6ec568ae6f838f7cb0676e23f90e64e3-644x920.jpg/images/2017/07/6ec568ae6f838f7cb0676e23f90e64e3-150x150.jpgAndrés書籍・雑誌橋爪大三郎・大澤真幸 の「ふしぎなキリスト教」が広く読まれ、キリスト教会の一部でも受容されたことを受けて、カトリック司祭の来住氏が「ふしぎなキリスト教」に呼応するかたちで著した「キリスト教入門」。 司祭なので当然だが信仰者の立場から書いている。しかし抑制が効いていて、宣教的な雰囲気は薄く、「抹香臭さ」は少ない。 神と対話を続けることによって神の実在を確信するという説明をはじめ、来住氏は「ふしぎなキリスト教」を基本的には評価しながら、キリスト者の立場、司祭としての立場から、ある部分では「ふしぎなキリスト教」の誤りを訂正しつつ、より深くキリスト教への理解を深めようとしている。 教会の中で、あるいは信者同士で信仰を前提としてなされる語り口では、非キリスト教徒には受け入れ難いこと、宣教の意図が明らかな場合にはそもそも会話が成り立たないこと。これらを来住氏は理解して書き記しているので、キリスト教を信じるつもりはないが理解したいと考える者には格好の一冊だ。 por Andrés退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)