今回、Caminoを歩いている間、スペインでのニュースはほとんどカタルーニャ独立問題一色だったと言っていい。テレビをつけるとニュースの時間、討論の時間はカタルーニャ独立関連のことばかりで、独立の賛否を問う直接投票(10/01)の前後や、それを受けての決定が行われる州議会(10/11)の前後はいくつもの特別番組が組まれて、一日中カタルーニャ独立の話題ばかりだった。また、田舎のバルでも男女を問わずこの問題を議論する光景が頻繁に見られた。私たちが歩き滞在した地域の中で、バスクではカタルーニャ独立を支持する声もあったようだが、カンタブリアやアストゥリアスでは大多数が独立に反対だったようだ。もちろんこれは私のごく限られた狭い見聞の範囲での印象だが、理にかなっているように思う。バスクはかつてのETA(バスク祖国と自由)の活動でもわかるように独立志向の強い地域であり、カタルーニャ独立にもある種の共感を寄せている人が多いのだろう。一方、カンタブリアやアストゥリアスはカスティーリャとともに現在のスペイン王国の本体ともいえる地域なので、そこからの分離独立に反対するのも当然と言える。

独立に向けての直接投票、州議会や州政府の活動はスペイン政府によって憲法違反とされ無効を宣せられるとともに、州政府は解任され議会は改選されることになった。またEUはカタルーニャ独立の動きを冷たく突き放している。これもまた当然のことであって、どこの国のどんな政府であっても分離独立を認めようとはしない。「民主国家」か独裁政府かは関係ない。そもそも国家や憲法は統合を維持することが第一の目標なのだから。

では、カタルーニャ独立をどうとらえるべきなのだろうか。憲法違反だから認められない、というのは何の回答にもならない。立憲主義の建前を形式的に当てはめれば、「憲法違反だから・・・」となるが、現スペイン国民の多数が支持している憲法であっても、カタルーニャ住民の多数は支持していないとなると、単純に合憲違憲で判断することはできなくなる。もしも独立を違憲とするスペイン中央政府の主張を採用するなら、あらゆる分離独立運動は違憲違法とされ、武力闘争に拠らずに独立を達成する道はなくなってしまう。

一方、合法性とか経済合理性とかではなく、根本に遡って独立そのものについてはどう考えるべきだろうか。カタルーニャは独自の文化、言語、歴史を持ち、かつては独立国だった。しかしこれらも相対的なものと言わざるを得ない。例えば逆に考えて、アメリカ合衆国は独自の文化、言語、歴史をそれほど持っていないので大英帝国の一部であるべきだという見解と比較してみれば明らかだ。つまり、その地域の独自性が独立の正当性を担保するわけではないと言うことだ。であるならば、どういう場合に独立は正当性を持ちうるのだろうか。単純な結論だが、住民の意思によるとしかならないだろう。その地域の住民が独立を求めるなら、それこそが正当性を示すものだ。だからカタルーニャ州の住民が独立を希望するなら、それは認められるべきであり、例えばその中でバルセローナ市民が独立を希望しないなら、それも認められるべきなのだ。それでは限りなく細分化される、あるいは国境が複雑に入り込むことになるというのは確かだが、それも含めて当該地域の住民が判断すればよいことであって、それをもって禁止したり弾圧したりするべきではない。

そもそも国家などというものはせいぜいのところ必要悪であって、その統合や存続を至上の価値であるとするような代物ではないのだ。また国家の適正規模は、少なくともその構成員の意思でコントロールされうる程度でなければならず、その意味ではカタルーニャでも大きすぎるのだから、さらに細分化する第一歩としても独立すべきではないだろうか。

12月21日に中央政府によって解散させられたカタルーニャ州議会の選挙が行われる。独立派と反独立派の支持率は相変わらず拮抗しているとのことで、結果は見通せない。スコットランド独立についての住民投票の結果から推測すると、独立派敗北の可能性が高いように思われるが、10月1日の中央政府の強権的対応と独立派の冷静な姿勢を比較すると独立派への支持が拡大する可能性もあると思われる。いずれにしても選挙の結果待ちというのがスペイン全体の空気だろう。

por Andrés

Andrésスペイン旅行北の道 Camino del Norte政治・経済・国際Camino,Norte,Santiago,カタルーニャ,カタロニア,サンティアゴ,北の道,巡礼今回、Caminoを歩いている間、スペインでのニュースはほとんどカタルーニャ独立問題一色だったと言っていい。テレビをつけるとニュースの時間、討論の時間はカタルーニャ独立関連のことばかりで、独立の賛否を問う直接投票(10/01)の前後や、それを受けての決定が行われる州議会(10/11)の前後はいくつもの特別番組が組まれて、一日中カタルーニャ独立の話題ばかりだった。また、田舎のバルでも男女を問わずこの問題を議論する光景が頻繁に見られた。私たちが歩き滞在した地域の中で、バスクではカタルーニャ独立を支持する声もあったようだが、カンタブリアやアストゥリアスでは大多数が独立に反対だったようだ。もちろんこれは私のごく限られた狭い見聞の範囲での印象だが、理にかなっているように思う。バスクはかつてのETA(バスク祖国と自由)の活動でもわかるように独立志向の強い地域であり、カタルーニャ独立にもある種の共感を寄せている人が多いのだろう。一方、カンタブリアやアストゥリアスはカスティーリャとともに現在のスペイン王国の本体ともいえる地域なので、そこからの分離独立に反対するのも当然と言える。独立に向けての直接投票、州議会や州政府の活動はスペイン政府によって憲法違反とされ無効を宣せられるとともに、州政府は解任され議会は改選されることになった。またEUはカタルーニャ独立の動きを冷たく突き放している。これもまた当然のことであって、どこの国のどんな政府であっても分離独立を認めようとはしない。「民主国家」か独裁政府かは関係ない。そもそも国家や憲法は統合を維持することが第一の目標なのだから。では、カタルーニャ独立をどうとらえるべきなのだろうか。憲法違反だから認められない、というのは何の回答にもならない。立憲主義の建前を形式的に当てはめれば、「憲法違反だから・・・」となるが、現スペイン国民の多数が支持している憲法であっても、カタルーニャ住民の多数は支持していないとなると、単純に合憲違憲で判断することはできなくなる。もしも独立を違憲とするスペイン中央政府の主張を採用するなら、あらゆる分離独立運動は違憲違法とされ、武力闘争に拠らずに独立を達成する道はなくなってしまう。一方、合法性とか経済合理性とかではなく、根本に遡って独立そのものについてはどう考えるべきだろうか。カタルーニャは独自の文化、言語、歴史を持ち、かつては独立国だった。しかしこれらも相対的なものと言わざるを得ない。例えば逆に考えて、アメリカ合衆国は独自の文化、言語、歴史をそれほど持っていないので大英帝国の一部であるべきだという見解と比較してみれば明らかだ。つまり、その地域の独自性が独立の正当性を担保するわけではないと言うことだ。であるならば、どういう場合に独立は正当性を持ちうるのだろうか。単純な結論だが、住民の意思によるとしかならないだろう。その地域の住民が独立を求めるなら、それこそが正当性を示すものだ。だからカタルーニャ州の住民が独立を希望するなら、それは認められるべきであり、例えばその中でバルセローナ市民が独立を希望しないなら、それも認められるべきなのだ。それでは限りなく細分化される、あるいは国境が複雑に入り込むことになるというのは確かだが、それも含めて当該地域の住民が判断すればよいことであって、それをもって禁止したり弾圧したりするべきではない。そもそも国家などというものはせいぜいのところ必要悪であって、その統合や存続を至上の価値であるとするような代物ではないのだ。また国家の適正規模は、少なくともその構成員の意思でコントロールされうる程度でなければならず、その意味ではカタルーニャでも大きすぎるのだから、さらに細分化する第一歩としても独立すべきではないだろうか。12月21日に中央政府によって解散させられたカタルーニャ州議会の選挙が行われる。独立派と反独立派の支持率は相変わらず拮抗しているとのことで、結果は見通せない。スコットランド独立についての住民投票の結果から推測すると、独立派敗北の可能性が高いように思われるが、10月1日の中央政府の強権的対応と独立派の冷静な姿勢を比較すると独立派への支持が拡大する可能性もあると思われる。いずれにしても選挙の結果待ちというのがスペイン全体の空気だろう。por Andrés退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)