「Ay 曽根崎心中」
フラメンコで曽根崎心中を、というので観に行った。
プロデュース・作詞:阿木 燿子
音楽監督・作曲:宇崎 竜童
お初:鍵田 真由美
徳兵衛/演出・振付:佐藤 浩希
結論から言うと、見当違いだったなという気分。予備知識なしで行ったのだから、見当違いはあくまでも私の責任だが。
これはショーなのだから以後の批判はそれこそ見当違い、ということを承知の上であえて書く。
まず最初のナレーション。踊りと歌では伝わらない物語の筋をナレーションで、というのは逃げでしかないだろう。舞台の幕が上がってしまえば、そこで展開される歌と踊りがすべてではないか。どうしても事前のあらすじ理解が不可欠ならばプログラムにでも印刷すればよいので、録音されたナレーションを流すのはあまりにも安易ではないか。
本番が始まってからでは、歌、特に三浦祐太朗の歌があまりにもフラメンコとそぐわない。踊りはそんなに悪くないが、歌が入ったとたんに舞台全体が一気に薄っぺらになってしまう。これは三浦の責任ではない。歌手にはそれぞれの資質があり、その歌手が歌える歌と歌えないものとがあるのは当然だろう。この踊りにふさわしい歌を歌える歌手を選ぶのは演出家やプロデューサーの責任だ。三浦を選んだ時点でこの舞台は失敗だったのだし、それでもこれで話題作りができ観客動員に繋がるとしたのならずいぶんと不遜な姿勢だ。
演奏でも、大きな会場での音量を考えたのかピアノなどを入れていたが、贅肉を増やしたとしか感じられなかった。ギターだけで十分だったし、音量を言うならそもそもスピーカーを使用しているのだから。
良かったのは津軽三味線が入ったところ。ここでは踊り手も本来のフラメンコダンサーとして舞えると感じながらなのか、生き生きとした姿が見られたように思う。
フラメンコと近松の心中ものとは通底するものが多いのだから、それぞれを生かしてつくれば素晴らしい舞台になるはずだった。ところがこの作品は、それぞれの上っ面をなぞるだけのようなものになっていたと思う。舞台にギター、三味線、太鼓を上げ、津軽三味線の二人(木乃下真市と松橋 礼香)に唄も振るべきではなかっただろうか。
カーテンコールの後の歌などは、本番の余韻を打ち消してしまうようなもので、観客サービスを意図したのだろうが、余計なものだ。ただ、そもそも余韻の少ない舞台だったので杞憂かもしれない。
お初の鍵田真由美の踊りは光っていた。本番の中だけでなく、カーテンコール中の動きでも、その姿は全体の中で群を抜いていた。
https://dosperegrinos.net/2018/12/19/%e3%80%8cay-%e6%9b%bd%e6%a0%b9%e5%b4%8e%e5%bf%83%e4%b8%ad%e3%80%8d/文化・芸術フラメンコで曽根崎心中を、というので観に行った。プロデュース・作詞:阿木 燿子音楽監督・作曲:宇崎 竜童お初:鍵田 真由美徳兵衛/演出・振付:佐藤 浩希結論から言うと、見当違いだったなという気分。予備知識なしで行ったのだから、見当違いはあくまでも私の責任だが。これはショーなのだから以後の批判はそれこそ見当違い、ということを承知の上であえて書く。まず最初のナレーション。踊りと歌では伝わらない物語の筋をナレーションで、というのは逃げでしかないだろう。舞台の幕が上がってしまえば、そこで展開される歌と踊りがすべてではないか。どうしても事前のあらすじ理解が不可欠ならばプログラムにでも印刷すればよいので、録音されたナレーションを流すのはあまりにも安易ではないか。本番が始まってからでは、歌、特に三浦祐太朗の歌があまりにもフラメンコとそぐわない。踊りはそんなに悪くないが、歌が入ったとたんに舞台全体が一気に薄っぺらになってしまう。これは三浦の責任ではない。歌手にはそれぞれの資質があり、その歌手が歌える歌と歌えないものとがあるのは当然だろう。この踊りにふさわしい歌を歌える歌手を選ぶのは演出家やプロデューサーの責任だ。三浦を選んだ時点でこの舞台は失敗だったのだし、それでもこれで話題作りができ観客動員に繋がるとしたのならずいぶんと不遜な姿勢だ。演奏でも、大きな会場での音量を考えたのかピアノなどを入れていたが、贅肉を増やしたとしか感じられなかった。ギターだけで十分だったし、音量を言うならそもそもスピーカーを使用しているのだから。良かったのは津軽三味線が入ったところ。ここでは踊り手も本来のフラメンコダンサーとして舞えると感じながらなのか、生き生きとした姿が見られたように思う。フラメンコと近松の心中ものとは通底するものが多いのだから、それぞれを生かしてつくれば素晴らしい舞台になるはずだった。ところがこの作品は、それぞれの上っ面をなぞるだけのようなものになっていたと思う。舞台にギター、三味線、太鼓を上げ、津軽三味線の二人(木乃下真市と松橋 礼香)に唄も振るべきではなかっただろうか。カーテンコールの後の歌などは、本番の余韻を打ち消してしまうようなもので、観客サービスを意図したのだろうが、余計なものだ。ただ、そもそも余韻の少ない舞台だったので杞憂かもしれない。お初の鍵田真由美の踊りは光っていた。本番の中だけでなく、カーテンコール中の動きでも、その姿は全体の中で群を抜いていた。Andrés andres@nifty.comAdministratorDos Peregrinos
コメントを残す