朝、明日からの五島行きの手配のために九州汽船長崎予約センターへ。ここでフェリーの往復、1泊2食のホテル、レンタカーのセットを予約。その後、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産インフォメーションセンター」へ行って、外海の大野教会と出津教会、五島の頭ケ島教会の見学予約をする。

この辺りでは朝食をとるのに適当な場所が見つからず、ショッピングモールのフードコートで朝昼兼用の食事となってしまう。

ホテルに戻るともう従兄弟との待ち合わせの10分前。私は地下の駐車場に行って車を玄関前まで回し、Ameliaは部屋に行って荷物を置いてくる。ロビーに行くと従兄弟が来ている。早速車で佐世保へ向かう。

車中では長崎市の現状などの世間話。

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西海橋のたもとで休憩。花見客が少し来ているが、桜はまだ2分咲き程度。

佐世保の市街地に入ると想像していた以上の大都会。少し寂れかけた地方都市を想像していたのだが、ビルやマンションが立ち並び、人通りも多い。

まず「実家」へ。数年前まで叔母さん、その次女(私の従姉)が住んでいたが、現在は遠い親戚が住んでいるとのこと。もうとっくに建て替えられたと思っていたが、昔のままのものだそうだ。祖父の葬儀の際に来たっきりなので、覚えていないが、もう少し大きな家だったように思っていた。外壁がリフォームされているせいか、意外に古びていなかった。家の下の駐車場は従妹が管理していたそうだが、現在はどうなっているのか。

坂をほんの少し下ったところに松浦鉄道の北佐世保駅がある。

さらに下って国道に戻り、カトリック俵町教会へ。

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現在の教会堂は1994年に建てられたものなので、私が幼児洗礼を受けた建物ではないが、この教会だったことは確かだ。もちろん全く記憶にない。

中心街の方に戻り、介護老人保健施設で叔母さんに会う。認知症が進んで従兄弟こともわからなくなっているとのことだったが、今日は調子が良いのか、少しは分かったようだ。私のことは全く分からない。祖父のことを少し話してくれた。とにかく「教会へ行け」とうるさかったそうだ。4月4日で100歳になるが、顔の色つやも良く、元気そうだった。しかし長女は早くに亡くなり、次女も3年ほど前に亡くなり、後見人は孫。しかし彼は広島に住んでいる。大変だろう。私は話す種もないので従兄弟が話すのを聞いているだけ。

帰りは高速とバイパスを使う。道を間違えたりして少し遅くなり、ホテルに帰り着いたのは17時40分。従兄弟にはロビーで待ったもらい、私は地下駐車場に車を戻し、Ameliaは部屋へ土産を取りに行く。

市電で新地中華街まで行き、「中華菜館福壽」へ。今日は従兄弟の奥さんが来てくれる。

18時15分から21時20分まで食事。ハトシ、豚の角煮、湯葉とチンゲン菜の炒め物、酢豚、皿うどんの太麺と細麺、ちゃんぽん、デザートに杏仁豆腐。どれも美味しかった。特に酢豚はあっさりした仕上げで、今までに食べたことのない味付けだった。ちゃんぽんはちょっと塩味が強かった。従兄弟の知り合いの店で、感じの良い接客。従兄弟の奥さんも全くの初対面なのに気持ちよく応対してくれた。

市電で帰り、ホテルに着いたのは21時30分だった。

今日も従兄弟は昼から夜まで付き合ってくれ、夜は奥さんも合流して歓待してくれた。これまで父や母、そして姉は少しだが長崎の親戚との付き合いがあったが、私自身は全く交流がなく、父の死後に年賀状の交換を引き継いできただけだった。生まれ故郷は佐世保だが、それは形式だけのようなもので、ふるさと意識は全くなかった。しかし長崎を訪れて出自や血縁の一部に触れ、見方が少し変わってきたような気がする。

Andrés国内旅行朝、明日からの五島行きの手配のために九州汽船長崎予約センターへ。ここでフェリーの往復、1泊2食のホテル、レンタカーのセットを予約。その後、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産インフォメーションセンター」へ行って、外海の大野教会と出津教会、五島の頭ケ島教会の見学予約をする。 この辺りでは朝食をとるのに適当な場所が見つからず、ショッピングモールのフードコートで朝昼兼用の食事となってしまう。 ホテルに戻るともう従兄弟との待ち合わせの10分前。私は地下の駐車場に行って車を玄関前まで回し、Ameliaは部屋に行って荷物を置いてくる。ロビーに行くと従兄弟が来ている。早速車で佐世保へ向かう。 車中では長崎市の現状などの世間話。 西海橋のたもとで休憩。花見客が少し来ているが、桜はまだ2分咲き程度。 佐世保の市街地に入ると想像していた以上の大都会。少し寂れかけた地方都市を想像していたのだが、ビルやマンションが立ち並び、人通りも多い。 まず「実家」へ。数年前まで叔母さん、その次女(私の従姉)が住んでいたが、現在は遠い親戚が住んでいるとのこと。もうとっくに建て替えられたと思っていたが、昔のままのものだそうだ。祖父の葬儀の際に来たっきりなので、覚えていないが、もう少し大きな家だったように思っていた。外壁がリフォームされているせいか、意外に古びていなかった。家の下の駐車場は従妹が管理していたそうだが、現在はどうなっているのか。 坂をほんの少し下ったところに松浦鉄道の北佐世保駅がある。 さらに下って国道に戻り、カトリック俵町教会へ。 現在の教会堂は1994年に建てられたものなので、私が幼児洗礼を受けた建物ではないが、この教会だったことは確かだ。もちろん全く記憶にない。 中心街の方に戻り、介護老人保健施設で叔母さんに会う。認知症が進んで従兄弟こともわからなくなっているとのことだったが、今日は調子が良いのか、少しは分かったようだ。私のことは全く分からない。祖父のことを少し話してくれた。とにかく「教会へ行け」とうるさかったそうだ。4月4日で100歳になるが、顔の色つやも良く、元気そうだった。しかし長女は早くに亡くなり、次女も3年ほど前に亡くなり、後見人は孫。しかし彼は広島に住んでいる。大変だろう。私は話す種もないので従兄弟が話すのを聞いているだけ。 帰りは高速とバイパスを使う。道を間違えたりして少し遅くなり、ホテルに帰り着いたのは17時40分。従兄弟にはロビーで待ったもらい、私は地下駐車場に車を戻し、Ameliaは部屋へ土産を取りに行く。 市電で新地中華街まで行き、「中華菜館福壽」へ。今日は従兄弟の奥さんが来てくれる。 18時15分から21時20分まで食事。ハトシ、豚の角煮、湯葉とチンゲン菜の炒め物、酢豚、皿うどんの太麺と細麺、ちゃんぽん、デザートに杏仁豆腐。どれも美味しかった。特に酢豚はあっさりした仕上げで、今までに食べたことのない味付けだった。ちゃんぽんはちょっと塩味が強かった。従兄弟の知り合いの店で、感じの良い接客。従兄弟の奥さんも全くの初対面なのに気持ちよく応対してくれた。 市電で帰り、ホテルに着いたのは21時30分だった。 今日も従兄弟は昼から夜まで付き合ってくれ、夜は奥さんも合流して歓待してくれた。これまで父や母、そして姉は少しだが長崎の親戚との付き合いがあったが、私自身は全く交流がなく、父の死後に年賀状の交換を引き継いできただけだった。生まれ故郷は佐世保だが、それは形式だけのようなもので、ふるさと意識は全くなかった。しかし長崎を訪れて出自や血縁の一部に触れ、見方が少し変わってきたような気がする。退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)