朝食はホテルでバイキング。品数は和洋で多く質も悪くないが、バイキングなのでやはり落ち着かず、味わうような気分にはなかなかなれない。10時少し前にチェックアウトし、知覧に向かう。海岸を鹿児島市に向かって走り、途中で内陸部に入る。勾配のかなりきつい坂道を上り続け、峠を越えて少し下ったところが知覧。思っていたより遠い。

知覧特攻平和会館。そこに至る道はかなりの距離にわたって石灯篭と松の木が交互に立ち並び、松は手入れも行き届いている。整備するのにかなりの予算を要しただろうし、毎年の手入れにも多額の経費がかかっているだろう。知覧特攻平和会館は、手狭になった特攻遺品館に代わるものとして1985年に建設されたもの。「零戦」「隼」「疾風」、さらにベニヤ製の水上特攻艇「震洋」が展示され、特攻隊の遺影が並べられ、遺書や家族に宛てた手紙なども展示されている。別室でちょうど「語り部の講話」が始まったので聞いてみる。聴衆の中には涙ぐむ人もいた。屋外にも特攻隊員が最後の日々を過ごした「三角兵舎」が復元展示され、他にもいくつかの築造物が残されている。また特攻隊関係の諸団体が建てた慰霊碑も点々とある。

館内には小学生や中学生の団体も訪れていた。

次第に腹立ちが増してきた。特攻隊をひたすら賛美しているだけで、施設名に「平和」という言葉が含まれていることに強烈な違和感を持った。展示内容は、特攻隊員が国家のために命を捨てた思い、家族を大切に思い感謝する気持ち、20歳前後の若さで散った美しさ等が繰り返されている。しかし決定的に欠けているものがある。彼らに特攻をさせるほどの無謀な戦争を始め遂行した責任の追及が全くないのだ。彼らの死を無駄死にだったと言うと、特攻兵を侮辱するのかと怒り出す人が多いが、無駄死にを強いながら自らの責任を省みることなく戦後をのうのうと生き延びた者たちを放置することこそ特攻死を侮辱することだ。また「命を大切に」などと書かれたり語られたりしているが、「命を粗末に」させた者たちを放置しているところでは取ってつけたような美辞麗句にしか聞こえない。特攻隊員の手紙などから家族を思う心は伝わる。しかし彼らが突っ込んで行った先にいた連合軍兵にも家族はいたのだ。当時の彼らにそこまでの想像力を求めるのは酷かもしれないが、現在のわれわれはそこまで考えるのが当然だろう。特攻隊員の命や家族のことだけに目を向けて、向こう側の人間の命や家族のことには思い至らないとしたら、「平和」など絵空事以上のものにはならないのだ。

知覧武家屋敷群に行く。700mほどの道の両側に石垣とイヌマキの垣根が続き、7カ所の庭園が開放されている。庭園の一つではないが、カフェを営んでいるところがあったので入って軽い昼食にする。ベーグルサンドとトースト、コーヒーと紅茶。地元の老婦人たちが午後のひと時を過ごしている。

庭園を見て回る。いずれも規模は小さく、現在の地方の街の民家と大差ないが、大部分は手入れが行き届いていて、今も住んでいながら庭の世話をしているようだ。「森重堅邸」のだけが池泉式庭園で、他は枯山水。規模からしてそんなに大きな変化はつけられないのだろうが、それでもデザインに変化がある。今の季節では無理だが、花の季節にはより楽しめそうだ。

15時前に知覧を出発し、宮崎市に向かう。鹿児島市の手前で指宿スカイラインにのるまでは山の中を走るが、ごく一部を除きスピードの出せる走りやすい道。スカイラインから九州自動車道、宮崎道と走って宮崎市へ。今日の宿は隈研吾設計の「ガーデンテラス宮崎」。まだ新しく、内外ともモダンなデザイン。部屋も広め。館内の一角に宿泊者専用ラウンジがあり、フィンガーフード(おつまみ?)やアルコール類も含めた飲み物が自由に飲食できる。部屋のミニバーも無料で、ビール、シャンパン、清涼飲料などが計11種類。このところ食べ過ぎだったし、居心地の良い部屋に入ってしまうと外出する気も失せたので、おつまみだけで今夜は終わりとする。

/images/2020/11/20201104_104010-scaled-700x394.jpg/images/2020/11/20201104_104010-scaled-150x150.jpgAndrés国内旅行朝食はホテルでバイキング。品数は和洋で多く質も悪くないが、バイキングなのでやはり落ち着かず、味わうような気分にはなかなかなれない。10時少し前にチェックアウトし、知覧に向かう。海岸を鹿児島市に向かって走り、途中で内陸部に入る。勾配のかなりきつい坂道を上り続け、峠を越えて少し下ったところが知覧。思っていたより遠い。 知覧特攻平和会館。そこに至る道はかなりの距離にわたって石灯篭と松の木が交互に立ち並び、松は手入れも行き届いている。整備するのにかなりの予算を要しただろうし、毎年の手入れにも多額の経費がかかっているだろう。知覧特攻平和会館は、手狭になった特攻遺品館に代わるものとして1985年に建設されたもの。「零戦」「隼」「疾風」、さらにベニヤ製の水上特攻艇「震洋」が展示され、特攻隊の遺影が並べられ、遺書や家族に宛てた手紙なども展示されている。別室でちょうど「語り部の講話」が始まったので聞いてみる。聴衆の中には涙ぐむ人もいた。屋外にも特攻隊員が最後の日々を過ごした「三角兵舎」が復元展示され、他にもいくつかの築造物が残されている。また特攻隊関係の諸団体が建てた慰霊碑も点々とある。 館内には小学生や中学生の団体も訪れていた。 次第に腹立ちが増してきた。特攻隊をひたすら賛美しているだけで、施設名に「平和」という言葉が含まれていることに強烈な違和感を持った。展示内容は、特攻隊員が国家のために命を捨てた思い、家族を大切に思い感謝する気持ち、20歳前後の若さで散った美しさ等が繰り返されている。しかし決定的に欠けているものがある。彼らに特攻をさせるほどの無謀な戦争を始め遂行した責任の追及が全くないのだ。彼らの死を無駄死にだったと言うと、特攻兵を侮辱するのかと怒り出す人が多いが、無駄死にを強いながら自らの責任を省みることなく戦後をのうのうと生き延びた者たちを放置することこそ特攻死を侮辱することだ。また「命を大切に」などと書かれたり語られたりしているが、「命を粗末に」させた者たちを放置しているところでは取ってつけたような美辞麗句にしか聞こえない。特攻隊員の手紙などから家族を思う心は伝わる。しかし彼らが突っ込んで行った先にいた連合軍兵にも家族はいたのだ。当時の彼らにそこまでの想像力を求めるのは酷かもしれないが、現在のわれわれはそこまで考えるのが当然だろう。特攻隊員の命や家族のことだけに目を向けて、向こう側の人間の命や家族のことには思い至らないとしたら、「平和」など絵空事以上のものにはならないのだ。 知覧武家屋敷群に行く。700mほどの道の両側に石垣とイヌマキの垣根が続き、7カ所の庭園が開放されている。庭園の一つではないが、カフェを営んでいるところがあったので入って軽い昼食にする。ベーグルサンドとトースト、コーヒーと紅茶。地元の老婦人たちが午後のひと時を過ごしている。 庭園を見て回る。いずれも規模は小さく、現在の地方の街の民家と大差ないが、大部分は手入れが行き届いていて、今も住んでいながら庭の世話をしているようだ。「森重堅邸」のだけが池泉式庭園で、他は枯山水。規模からしてそんなに大きな変化はつけられないのだろうが、それでもデザインに変化がある。今の季節では無理だが、花の季節にはより楽しめそうだ。 15時前に知覧を出発し、宮崎市に向かう。鹿児島市の手前で指宿スカイラインにのるまでは山の中を走るが、ごく一部を除きスピードの出せる走りやすい道。スカイラインから九州自動車道、宮崎道と走って宮崎市へ。今日の宿は隈研吾設計の「ガーデンテラス宮崎」。まだ新しく、内外ともモダンなデザイン。部屋も広め。館内の一角に宿泊者専用ラウンジがあり、フィンガーフード(おつまみ?)やアルコール類も含めた飲み物が自由に飲食できる。部屋のミニバーも無料で、ビール、シャンパン、清涼飲料などが計11種類。このところ食べ過ぎだったし、居心地の良い部屋に入ってしまうと外出する気も失せたので、おつまみだけで今夜は終わりとする。退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)