8時半頃起床。配偶者は銀行へペセタに換えに、私はマヨール広場の周りを回って「内戦大勝利記念の銅板」をさがす。マヨール広場の教会への階段の壁にあるとのことだが、教会が見付からず、従って銅板も見付からない。マーケットがあったので中をのぞいて来る。それほど変った野菜はないが、ビーマンの大きなこと。色は赤く、大きさはコブシ二つ分程もある。

宿に戻って荷造りをし、三泊した宿を9時50分に出て、ソルからメトロでアトーチャ駅へ。アトーチャで電車を待つ間、配偶者は朝食代りのパンを買いに行く。この地下駅のホームは随分混んでいる。10時48分発の電車でセゴビアへ。12時50分セゴビア着。途中、景色は相変わらず荒涼とした丘陵の連続。大きな荷物をアトーチャ駅で預けようとするが、預かり所はないとのこと。仕方ないのでセゴビア駅で預けようとすると、今度は預かり所はあるのに7月25日から営業していない。万一と思って駅前のオスタルで頼むがこれも駄目。これで頭に来たが、諦めて街へのバスを待つ。ところがバスがなかなか来ない。やっと来たと思ったら、目の前でUターンして道路の反対側に止まり、さっさと行ってしまう。それではと道路を渡って次のバスを待つと、今度は又々私達とは反対側にバスは止まって、またもや行ってしまう。これでセゴビアの印象は一度に悪くなる。一緒にバスを待っていた米人(?)も苦笑い。

やっと乗れたバスでカテドラル広場へ。もう2時近くになっている。先ずは広場のレストランで昼食。プラト・デル・ディアを頼むと、出て来たのは豚の皮(皮下脂肪)のスープ。何とか上澄みだけは飲んだが、とても気持ち悪くて皮下脂肪は食べられない。次に出たのが、鱒をバターが入ったスープらしきもので煮たもの。これは食べられはするが、不味い。何と不味い味付けか。これで終わればよいのに、次には子豚の丸焼きが出て来た。丸焼きとは言っても子豚を腹の方で開いて(ちょうど魚の開きと同じ)焼き、切って出して来るのだが、私に出て来たのが後足の部分で、足の指がそのままの形で残っているもの。これは全く手が出ない。一口も食べないどころか、フォークも付けずに止める。これでセゴビアの印象は最悪となる。最後に出たアイスクリームだけはうまい。これはセゴビアで製造したものではないだろう。忘れていたが、水(アグア・コン・ガス)も全く冷えていない。これで二人で1500ペセタ。こんなに高く、こんなに不味い食事は初めて。全く頭に来る。子豚の丸焼きも、土地の人にはごちそうなのだろうが。このレストランのウェイターの一人の横顔がXに似ていて、二人でこれぞ最悪の町、と言って笑う。

15時00分頃レストランを出て、近くのカテドラルに行く。大きなカテドラルだが、中の絵なども稚拙で見るべきものはない。中にMUSEOがあったので一人40ペセタを払って入る。一つの部屋に入ると私達が入って一分と経つか経たない内に係員の男が部屋を出るようにとの合図をし、さっさと電気を消してしまう。大体、金を取って入れておきながらすぐに出ろとは、最初から印象の悪いセゴビアは、これでもう何かをぶち壊して帰りたくなるような気になる。もう一部屋あって、こちらはちゃんと見られたが、結局はめぼしいものは何もない。

カテドラルを出て、歩いてアルカサールへ。約10分程。ここでも乞食。アルカサールは、外から見ると白雪姫の舞台となっただけあって、形の良い城。中は例によって国王の肖像画と武器の展示。小さな塔があるので下に通じる階段でもあるのかと思って入ってみるが何もなく、一つなどは勝手にトイレ代りに使われたらしく臭い。正面の高い塔に昇る。螺旋階段は巾が狭く、二人がすれ違うのもやっと。しかも急で、その上石段の真ん中が歩く人の足で削られて5~1Ocmもへこんでいる。

塔の上からはカスティーリャの荒れた台地(丘陵)と、その中にかたまるセゴビアの町が見下ろせる。城は、外から見れば美しいが、内側は随分手が抜いてあり、でこぼこに石を積んだままだったり、又単なる飾で特に役立ちそうにもない部分が結構ある。しかし、一方は深い谷になっていて、難攻不落の感はある。

アルカサールを出て、歩いてカテドラル広場に戻る。そこでバス停に行くと、ちょうど神父三人がいる。配偶者は神父の写真を撮ろうと言って、写真を撮ってもよいかと話し掛けると、三人の内の一人が日本にいたことのある人で、長崎・神戸・横浜などを回ったと話す。そのせいか喜んで応じてくれ、配偶者も入って四人並んだ写真を撮る。バスで水道橋に行くが、一緒のバスなので、降りる所等も教えてくれる。

水道橋で降り、広場のレストランのショーウィンドーにある子豚の丸焼きを写真に撮る。近くのカフェに行き、先ず私一人が水道橋の上に登る。

随分高い二層式のもので、1~2世紀に造られたローマ人の橋だそうだが、今は使われていない模様(つい最近までは使っていたらしいが)。

上まで行って立ち入り禁止の柵を越えてのぞき込むが、溝の中は見えない。橋は石を積み上げたもので、シックイ等を一切使っておらず、全く積んだだけ。アーチ状にして力のバランスを保っている。下りて来て配偶者の待つカフェでカフェ・コン・イエロ(アイスコーヒー)を飲みながら、日記を書く。

18時45分にカフェを出て、目の前からバスに乗って駅へ。19時24分発の電車に乗る予定だったが、ホームに止まっている電車に乗ると、これが19時02分のアトーチャ行。電車内ずっとこの日記の書き通しで、指が疲れて痛くなってきた。

21時頃マドリー、アトーチャ駅に到着。2時間近く間があるので、駅構内のカフェで食事。22時頃カフェから見るとホームにもうリスボン行の列車が入っているので、急いで勘定を済ませる。列車に行くと一等は一両半(一両の内半分が二等で半分が一等の車両がある)しかなく、客も結構入っている。予約されていない席をさがしてコンパートメントに入る。同室はスペイン人の二組の若いカップル。列車内が非常に蒸し暑い。パンフレットをウチワ代りにして皆パタパタやっているが、それでも汗をかいてくる。それも油っぽいベトついた汗。車掌がやって来てBILLETEという券をもらって来いとのこと。荷物で席を確保しておいて、慌てて切符売場に走る。発車まで時間があり、売場の場所も分かっていたのでよかったが、ユーレイルパスだけでは駄目とは面倒なことだ。しかもBILLETEは只だし、座席を指定してあるわけでもないのだから。

22時53分頃、定刻(22時50分)を数分遅れで発車。この列車、一等車でも大変なオンボロ。イルンから乗った二等車と全く同じ。ノロノロ走り、揺れもひどい。走り出して窓から風が少しずつ入ってくるが、それでも暑い。ノドはからからに乾き、ほとんど眠れない。他の客も立ち上がってコンパートメントや廊下の窓に顔を出して涼んでいる。配偶者だけは一つの座席の中に小さく丸まって眠っている。夜中に駅で止まると、20分程も停車する。あまりに長く停車するので乗客の中にはホームに下りて遊ぶ者もいる。私も下りて涼み、ちょうど売りに来たジュースを買う。発車の合図があったので乗車する。これで何とか一息つけてウトウト出来る。

Andrésスペイン旅行8時半頃起床。配偶者は銀行へペセタに換えに、私はマヨール広場の周りを回って「内戦大勝利記念の銅板」をさがす。マヨール広場の教会への階段の壁にあるとのことだが、教会が見付からず、従って銅板も見付からない。マーケットがあったので中をのぞいて来る。それほど変った野菜はないが、ビーマンの大きなこと。色は赤く、大きさはコブシ二つ分程もある。 宿に戻って荷造りをし、三泊した宿を9時50分に出て、ソルからメトロでアトーチャ駅へ。アトーチャで電車を待つ間、配偶者は朝食代りのパンを買いに行く。この地下駅のホームは随分混んでいる。10時48分発の電車でセゴビアへ。12時50分セゴビア着。途中、景色は相変わらず荒涼とした丘陵の連続。大きな荷物をアトーチャ駅で預けようとするが、預かり所はないとのこと。仕方ないのでセゴビア駅で預けようとすると、今度は預かり所はあるのに7月25日から営業していない。万一と思って駅前のオスタルで頼むがこれも駄目。これで頭に来たが、諦めて街へのバスを待つ。ところがバスがなかなか来ない。やっと来たと思ったら、目の前でUターンして道路の反対側に止まり、さっさと行ってしまう。それではと道路を渡って次のバスを待つと、今度は又々私達とは反対側にバスは止まって、またもや行ってしまう。これでセゴビアの印象は一度に悪くなる。一緒にバスを待っていた米人(?)も苦笑い。 やっと乗れたバスでカテドラル広場へ。もう2時近くになっている。先ずは広場のレストランで昼食。プラト・デル・ディアを頼むと、出て来たのは豚の皮(皮下脂肪)のスープ。何とか上澄みだけは飲んだが、とても気持ち悪くて皮下脂肪は食べられない。次に出たのが、鱒をバターが入ったスープらしきもので煮たもの。これは食べられはするが、不味い。何と不味い味付けか。これで終わればよいのに、次には子豚の丸焼きが出て来た。丸焼きとは言っても子豚を腹の方で開いて(ちょうど魚の開きと同じ)焼き、切って出して来るのだが、私に出て来たのが後足の部分で、足の指がそのままの形で残っているもの。これは全く手が出ない。一口も食べないどころか、フォークも付けずに止める。これでセゴビアの印象は最悪となる。最後に出たアイスクリームだけはうまい。これはセゴビアで製造したものではないだろう。忘れていたが、水(アグア・コン・ガス)も全く冷えていない。これで二人で1500ペセタ。こんなに高く、こんなに不味い食事は初めて。全く頭に来る。子豚の丸焼きも、土地の人にはごちそうなのだろうが。このレストランのウェイターの一人の横顔がXに似ていて、二人でこれぞ最悪の町、と言って笑う。 15時00分頃レストランを出て、近くのカテドラルに行く。大きなカテドラルだが、中の絵なども稚拙で見るべきものはない。中にMUSEOがあったので一人40ペセタを払って入る。一つの部屋に入ると私達が入って一分と経つか経たない内に係員の男が部屋を出るようにとの合図をし、さっさと電気を消してしまう。大体、金を取って入れておきながらすぐに出ろとは、最初から印象の悪いセゴビアは、これでもう何かをぶち壊して帰りたくなるような気になる。もう一部屋あって、こちらはちゃんと見られたが、結局はめぼしいものは何もない。 カテドラルを出て、歩いてアルカサールへ。約10分程。ここでも乞食。アルカサールは、外から見ると白雪姫の舞台となっただけあって、形の良い城。中は例によって国王の肖像画と武器の展示。小さな塔があるので下に通じる階段でもあるのかと思って入ってみるが何もなく、一つなどは勝手にトイレ代りに使われたらしく臭い。正面の高い塔に昇る。螺旋階段は巾が狭く、二人がすれ違うのもやっと。しかも急で、その上石段の真ん中が歩く人の足で削られて5~1Ocmもへこんでいる。 塔の上からはカスティーリャの荒れた台地(丘陵)と、その中にかたまるセゴビアの町が見下ろせる。城は、外から見れば美しいが、内側は随分手が抜いてあり、でこぼこに石を積んだままだったり、又単なる飾で特に役立ちそうにもない部分が結構ある。しかし、一方は深い谷になっていて、難攻不落の感はある。 アルカサールを出て、歩いてカテドラル広場に戻る。そこでバス停に行くと、ちょうど神父三人がいる。配偶者は神父の写真を撮ろうと言って、写真を撮ってもよいかと話し掛けると、三人の内の一人が日本にいたことのある人で、長崎・神戸・横浜などを回ったと話す。そのせいか喜んで応じてくれ、配偶者も入って四人並んだ写真を撮る。バスで水道橋に行くが、一緒のバスなので、降りる所等も教えてくれる。 水道橋で降り、広場のレストランのショーウィンドーにある子豚の丸焼きを写真に撮る。近くのカフェに行き、先ず私一人が水道橋の上に登る。 随分高い二層式のもので、1~2世紀に造られたローマ人の橋だそうだが、今は使われていない模様(つい最近までは使っていたらしいが)。 上まで行って立ち入り禁止の柵を越えてのぞき込むが、溝の中は見えない。橋は石を積み上げたもので、シックイ等を一切使っておらず、全く積んだだけ。アーチ状にして力のバランスを保っている。下りて来て配偶者の待つカフェでカフェ・コン・イエロ(アイスコーヒー)を飲みながら、日記を書く。 18時45分にカフェを出て、目の前からバスに乗って駅へ。19時24分発の電車に乗る予定だったが、ホームに止まっている電車に乗ると、これが19時02分のアトーチャ行。電車内ずっとこの日記の書き通しで、指が疲れて痛くなってきた。 21時頃マドリー、アトーチャ駅に到着。2時間近く間があるので、駅構内のカフェで食事。22時頃カフェから見るとホームにもうリスボン行の列車が入っているので、急いで勘定を済ませる。列車に行くと一等は一両半(一両の内半分が二等で半分が一等の車両がある)しかなく、客も結構入っている。予約されていない席をさがしてコンパートメントに入る。同室はスペイン人の二組の若いカップル。列車内が非常に蒸し暑い。パンフレットをウチワ代りにして皆パタパタやっているが、それでも汗をかいてくる。それも油っぽいベトついた汗。車掌がやって来てBILLETEという券をもらって来いとのこと。荷物で席を確保しておいて、慌てて切符売場に走る。発車まで時間があり、売場の場所も分かっていたのでよかったが、ユーレイルパスだけでは駄目とは面倒なことだ。しかもBILLETEは只だし、座席を指定してあるわけでもないのだから。 22時53分頃、定刻(22時50分)を数分遅れで発車。この列車、一等車でも大変なオンボロ。イルンから乗った二等車と全く同じ。ノロノロ走り、揺れもひどい。走り出して窓から風が少しずつ入ってくるが、それでも暑い。ノドはからからに乾き、ほとんど眠れない。他の客も立ち上がってコンパートメントや廊下の窓に顔を出して涼んでいる。配偶者だけは一つの座席の中に小さく丸まって眠っている。夜中に駅で止まると、20分程も停車する。あまりに長く停車するので乗客の中にはホームに下りて遊ぶ者もいる。私も下りて涼み、ちょうど売りに来たジュースを買う。発車の合図があったので乗車する。これで何とか一息つけてウトウト出来る。退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)