夜中の2時頃、スペイン警察のパスポート検査。同室の男がどういう訳かひっかかった。聞いていると、オーストラリアのパスポートを持っているのだがビザが必要らしく、ビザがないので結局列車を降ろされてしまう。連れだと思っていた同じ中国系の二人の女性はポルトガルのパスポートなので無事通過。この為かどうか、荷物検査が今までになく厳しく、大きな荷物の中に手を突っ込まれて調べられる。さすがに中の物を引き出してまで調べはしなかったが。段々肌寒くなってきた。

9時10分マドリー・アトーチャ駅到着予定が例によって遅れ、10時に到着。その為10時発のトレド行には乗れず、12時15分発まで待つことになる。駅のトイレで洗面。カフェで軽い朝食。Bancoでポルトガルのエスクード貨幣をペセタに交換。1310エスクードが1738ペセタになる。硬貨は駄目だろうから、額も少ないのでそのまま記念にとっておく。今日は涼しい模様。トレド行の電車は混んでいて、やっと空席を見付けて座り、日記を書いている。昨夜は合計すればある程度長い時間眠れたのだが、細切れだった為何となく寝不足の状態で、今も少し頭がボーッとしている。13時40分トレド着の予定。(8月15日13時00分マドリー・アトーチャ駅→トレド列車内にて)

1980-08-15 トレド アルカサールを見上げるほぼ定刻にトレド着。駅前からバスに乗り、ソコドベール広場へ。

1980-08-15 トレド タホ川の向こうに旧市街途中、トレドの街を巻くように流れるタホ川を渡る。街は崖の上にある。城壁の入口前の広場では祭。

ソコドベール広場でバスを降り、さっそく宿さがし。一軒目のホテルは満員。祭の最中で人通りが多く、宿がとれるかどうか心配になってくる。

1980-08-15 トレド 泊まったHostalしかし二軒目のオスタルで決まる。値段も安く、部屋も結構広くてきれい。荷を置いて着替え、さっそく出かける。先ず昼食。ところがレストランはどこも満員で、入口に何組かの客が順番を待っている。祭の見物に来た観光客も含めて大変な賑わい。やっと空席のあるレストランを見付ける。鶏の半身。安い。

昼食後、先ずアルカサールへ。市民戦争中、フランコ派が立てこもり、共和派が攻撃を加えたところ。銃弾の跡もいくらか残っている。当時戦闘でほとんど破壊し尽くされたのを、近年修復したもの。

2080-08-16 トレド アルカサール内の模型展示内部はフランコ派が立てこもった時の様子を再現してあり、又展示室には当時の武器等が多数。しかし説明等全てフランコ側から見たものであり、共和派=共産軍=悪という構図の下になされている。

2080-08-17 トレド カテドラル正面次にカテドラルへ。これも大きなもので、レオンのものと同じかそれ以上の大きさ。中に五つの展示室がある。その内の一つは美術館で、グレコの絵画が多数展示されている。十二使徒の一人一人を描いたものなどグレコの人物は肉の影、特に顔の頬のこけた部分の描き方に特徴があり、又色調もブルーがかった灰色で、宗教画でも非常に人間的。ここはトレド大司教(スペイン・カトリックの最高位)がいた(今はどうか知らない)所で、彼らの聖衣(僧服)も展示されている。例のキンキラキンのガウンの様なやつ。ところがこれを遠くから、あるいは薄暗い所で見ている時は気付かなかったのだが、施されている刺繍が全て金糸・銀糸で、しかも真珠や宝石(ダイヤ・ルビー・サファイア・エメラルド等)が多数縫い付けられている。又冠は金の台にこれ又無数の宝石。そして何に使うものか分からないが、高さ1.5~2m程の金で出来た塔にも多数の宝石。一体これらは何なのだろうか。彼らは一体何を考えてこれらのものを作らせ、身に付けたのだろうか。単に教会の権威を増す為とか、神の栄光を示す為ということでは片付けられないほどのもの。これらを見ていると、次第に腹立ちを感じるようになる。そしてふと、実は教皇や大司教こそが中世以来最も徹底した無神論者だったのではないか、と思えてくるのだ。

カテドラルを出てサン・トメ教会へ向かうが、一歩の差で閉館時間に間に合わず駄目。他も全て19時までなので、今日は諦める。土産物店等をのぞきながら宿に戻り、休む。

21時頃再び外出し、ソコドベール広場に面したレストランで夕食。ここのパエージャは最悪。米の芯が残り、しかもベチャベチャ。

2080-08-16 トレド 祭り会場の乗り物食後、城壁の入口前にある広場、メルチャン公園まで歩いて下りて行く。10分程。公園は祭の真最中で、日本の遊園地のような観覧車や様々な乗物、夜店。夜店では動くマネキン人形がブドウしぼりをしているように見える下でワインやジュースを売り、鶏の丸焼き・ポテトチップ・ソーセージ・アイスクリーム。チューロを目の前で揚げて売る店。冷凍車に積んだ牛のもも肉をオノでぶった切りながら売る店。射的。驚いたことに焼き鳥のようなものもあり、綿菓子もあるのだ。綿菓子を買って食べてみると、ソーダの味がしてそこが日本と違うところ。しかし作り方、形とも日本のものと全く同じ。割箸様のものを使う点も。

大観覧車に乗ってみる。日本のものはゆっくりゆっくり回るのに、ここのは相当なスピードで回り、頂点に達した時はエレベーターで下りる時のあの胃が持ち上がる様な感覚。前に座った姉弟は、弟の方が姉に抱きついて顔を埋めてしまう。何だか乗物酔いとそっくりの状態になってしまう。

12時過ぎまで見て回るが、子供達が乗物の上で生き生きと楽しんでいる。こんなに大きな祭は初めて。日本のように遊園地というものがないようなので、祭になると町にこういうものがやって来るのだろう。ジプシーが多かったようだ。

ソコドベール広場のカフェで休んでから宿に戻る。1時半頃。祭は徹夜で続くようだった。

Andrésスペイン旅行夜中の2時頃、スペイン警察のパスポート検査。同室の男がどういう訳かひっかかった。聞いていると、オーストラリアのパスポートを持っているのだがビザが必要らしく、ビザがないので結局列車を降ろされてしまう。連れだと思っていた同じ中国系の二人の女性はポルトガルのパスポートなので無事通過。この為かどうか、荷物検査が今までになく厳しく、大きな荷物の中に手を突っ込まれて調べられる。さすがに中の物を引き出してまで調べはしなかったが。段々肌寒くなってきた。 9時10分マドリー・アトーチャ駅到着予定が例によって遅れ、10時に到着。その為10時発のトレド行には乗れず、12時15分発まで待つことになる。駅のトイレで洗面。カフェで軽い朝食。Bancoでポルトガルのエスクード貨幣をペセタに交換。1310エスクードが1738ペセタになる。硬貨は駄目だろうから、額も少ないのでそのまま記念にとっておく。今日は涼しい模様。トレド行の電車は混んでいて、やっと空席を見付けて座り、日記を書いている。昨夜は合計すればある程度長い時間眠れたのだが、細切れだった為何となく寝不足の状態で、今も少し頭がボーッとしている。13時40分トレド着の予定。(8月15日13時00分マドリー・アトーチャ駅→トレド列車内にて) ほぼ定刻にトレド着。駅前からバスに乗り、ソコドベール広場へ。 途中、トレドの街を巻くように流れるタホ川を渡る。街は崖の上にある。城壁の入口前の広場では祭。 ソコドベール広場でバスを降り、さっそく宿さがし。一軒目のホテルは満員。祭の最中で人通りが多く、宿がとれるかどうか心配になってくる。 しかし二軒目のオスタルで決まる。値段も安く、部屋も結構広くてきれい。荷を置いて着替え、さっそく出かける。先ず昼食。ところがレストランはどこも満員で、入口に何組かの客が順番を待っている。祭の見物に来た観光客も含めて大変な賑わい。やっと空席のあるレストランを見付ける。鶏の半身。安い。 昼食後、先ずアルカサールへ。市民戦争中、フランコ派が立てこもり、共和派が攻撃を加えたところ。銃弾の跡もいくらか残っている。当時戦闘でほとんど破壊し尽くされたのを、近年修復したもの。 内部はフランコ派が立てこもった時の様子を再現してあり、又展示室には当時の武器等が多数。しかし説明等全てフランコ側から見たものであり、共和派=共産軍=悪という構図の下になされている。 次にカテドラルへ。これも大きなもので、レオンのものと同じかそれ以上の大きさ。中に五つの展示室がある。その内の一つは美術館で、グレコの絵画が多数展示されている。十二使徒の一人一人を描いたものなどグレコの人物は肉の影、特に顔の頬のこけた部分の描き方に特徴があり、又色調もブルーがかった灰色で、宗教画でも非常に人間的。ここはトレド大司教(スペイン・カトリックの最高位)がいた(今はどうか知らない)所で、彼らの聖衣(僧服)も展示されている。例のキンキラキンのガウンの様なやつ。ところがこれを遠くから、あるいは薄暗い所で見ている時は気付かなかったのだが、施されている刺繍が全て金糸・銀糸で、しかも真珠や宝石(ダイヤ・ルビー・サファイア・エメラルド等)が多数縫い付けられている。又冠は金の台にこれ又無数の宝石。そして何に使うものか分からないが、高さ1.5~2m程の金で出来た塔にも多数の宝石。一体これらは何なのだろうか。彼らは一体何を考えてこれらのものを作らせ、身に付けたのだろうか。単に教会の権威を増す為とか、神の栄光を示す為ということでは片付けられないほどのもの。これらを見ていると、次第に腹立ちを感じるようになる。そしてふと、実は教皇や大司教こそが中世以来最も徹底した無神論者だったのではないか、と思えてくるのだ。 カテドラルを出てサン・トメ教会へ向かうが、一歩の差で閉館時間に間に合わず駄目。他も全て19時までなので、今日は諦める。土産物店等をのぞきながら宿に戻り、休む。 21時頃再び外出し、ソコドベール広場に面したレストランで夕食。ここのパエージャは最悪。米の芯が残り、しかもベチャベチャ。 食後、城壁の入口前にある広場、メルチャン公園まで歩いて下りて行く。10分程。公園は祭の真最中で、日本の遊園地のような観覧車や様々な乗物、夜店。夜店では動くマネキン人形がブドウしぼりをしているように見える下でワインやジュースを売り、鶏の丸焼き・ポテトチップ・ソーセージ・アイスクリーム。チューロを目の前で揚げて売る店。冷凍車に積んだ牛のもも肉をオノでぶった切りながら売る店。射的。驚いたことに焼き鳥のようなものもあり、綿菓子もあるのだ。綿菓子を買って食べてみると、ソーダの味がしてそこが日本と違うところ。しかし作り方、形とも日本のものと全く同じ。割箸様のものを使う点も。 大観覧車に乗ってみる。日本のものはゆっくりゆっくり回るのに、ここのは相当なスピードで回り、頂点に達した時はエレベーターで下りる時のあの胃が持ち上がる様な感覚。前に座った姉弟は、弟の方が姉に抱きついて顔を埋めてしまう。何だか乗物酔いとそっくりの状態になってしまう。 12時過ぎまで見て回るが、子供達が乗物の上で生き生きと楽しんでいる。こんなに大きな祭は初めて。日本のように遊園地というものがないようなので、祭になると町にこういうものがやって来るのだろう。ジプシーが多かったようだ。 ソコドベール広場のカフェで休んでから宿に戻る。1時半頃。祭は徹夜で続くようだった。退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)