スペイン旅行 1980/08/18
今朝は8時頃一度目が覚めたが又眠ってしまい、10時頃起床。10時40分に宿を出て先ずツーリスモへ。昨日、駅から来る途中に見かけていたのでそちらへ歩いて行くが、着いてみると工事中のビルに「インフォメーション」の看板は出ているが、売り出し中のマンションらしい。地図を見ると宿の近くにツーリスモはあるではないか。2km近くも無駄に歩いたことになる。配偶者は地図で知っていたが、私が知っているとのことでついて来た、なんぞと言う。全くもう。
ツーリスモに行く前に配偶者はTシャツを買う。いつも同じものしか着ていないので先日から買いたい買いたいと言っており、今朝も宿の近くの土産物店でさがしたりしていた。この土産屋では、1050ペセタのを950にまけると言うのを、こちらが700と言うとはじめは「駄目、900だ」などとやりとりをした。私達が首を振って行こうとすると800、更にはついに700と言ったが、それでは宿への帰りに又寄るからと言って店を出たのだった。
再びヌエバ広場の方向へ戻り、裏道にあるツーリスモへ。分かりにくい場所にあるが、美しい中庭に面したところで従業員のオジサンも気持ちよく、良い所。ここでグラナダの地図をもらい、レンタカー会社を教えてもらう。中庭をはさんだ反対側の書店でアンダルシア地方の地図を買い、ツーリスモで教えられた中で一番近い、ヌエバ広場に面したレンタカー会社に行く。ところが明日借りたいと言うと、車はないと言って他(AVISとHerts)を教えてくれる。AVlSのある方へ歩いて行く。オフィスに着くと閉まっていて13時から16時は昼休み。近くにあるもう一つのHertsに行くとこちらも閉まっている。昼食をとりに道を戻る。私は昨夕から腹の調子がよくなく、昨日も下痢をして、又この時便意をもよおす。スーパーマーケットがあるので入り、リンゴ2ヶとジュース1缶を買い、近くの銀行の外に腰掛けてジュースを飲む。道行く人々がけげんな顔をして通り過ぎて行く。変な東洋人が銀行の前でジュースを飲んでいるのだから当然だが。三ッ星ホテルに入り込み、トイレを使う。ヨーロッパ到着以来、一番清潔なトイレ。
裏通りに入り、一本フォークのレストランで昼食。ここは大衆食堂といった雰囲気で、はじめて相席。同席は二人の中年の男で、ワインをすすめてくれたりする。ここはさすがに安い。量もあまり多くないが、私達にとってはちょうどよい。最近は少し食べ過ぎで、昼食で満腹して動きにくい程になっていたので、この位の量だと食後も楽。これからは一本フォークか、せめて二本位にしようと決める。(18時10分ビブランブラ広場のカフェにて)
昼食後「アングーロ通り」を地図でさがして行く。レストランからそう遠くはない。ここはガルシーア・ロルカがかくまわれて最後に住んでいたルイス・ロサーレス氏の家があった所。長さ50m程の通りで、古いアパートが並び、おそらく当時のままの姿だろう。通りの両方の入口で写真を撮る。しかしここもすぐ近くで新しいビルの建築が行なわれている。
ビル建築と言えば、スペインでの建築方法が少し変っていて、先ず各階の床と柱を造り(高層の場合は鉄筋コンクリートの柱でその周りにレンガを貼り、低層の時はレンガを積んだ柱らしい)、それが出来上がってからレンガを積んで壁をつくる。だから建築中のものはいくつもの棒の上に板を載せ、それを繰り返している。そして床には壁の為のレンガが山積みになっている。そしてこのレンガだが、質は固目のようで、しかも四角の穴が沢山あいている。
今朝ツーリスモに行く為間違って歩いて行った駅の方向へ通じるグラン・ビアは近代的なビルが立ち並ぶ新市街だが、そのビルの一つ裏側には朽ちかけた小さな家々が残っている。やがてこの国の近代化の進展とともに、あのグラン・ビアの表通りの風景が増殖し、廃屋は一掃されて行くのだろう。
アングーロ通りから再びAVlSのオフィスに戻る。明日の車の予約は簡単に出来る。車は一番安いSEAT127というやつ。明日9時15分に来るようにとのこと。通りのショーウィンドー等を見ながら戻り、カテドラルの方へ行く。カテドラル近くのビブランブラ広場のカフェで休憩。ここのリモナーダはかき氷入りでと言うよりもかき氷をコップ一杯つめてそれにリモナーダを注いだようなもの。
18時10分頃カフェを出て近くのカテドラルへ向かう。カテドラルの壁に大きく「ホセ・アントニオ・プリモ・デ・リベラ」と彫り込んである。どういうことなのかは分からない。入口に向かって行くと、そこは土産物店の沢山並んだ商店街。カテドラルの一部らしいが、先ずレアル・カピージャという教会に入る。
中にカトリック両王の墓やファナ女王の墓などがある。そして例によってムセオには金ピカの十字架、聖衣等々。カテドラルの方はただただだだっ広いもので、見るべきものは何もなし。ここもMuseoは金ピカの十字架、聖衣等々。
大きなパイプ・オルガンのみがいくらか見るに価するもの。閉館時間になり、内側からカギの閉められた出入口から出る。
途中のドラッグ・ストアでシャンプー、歯磨等を買って、又ヌエバ広場の土産店で絵葉書、私の財布を買う。ゴメレス坂の土産店で寄木細工のコースター6枚。
その向かいのギター屋へ入る。ここでは2年前に配偶者が来た時、ギターを弾いてくれコーラを飲ませてくれたそうで、もう一度行きたいと前々から言っていた所。オジサンはしかし覚えておらず、成田で買った小さな小物入れを渡し、片言のフランス語(急にはなかなか出ないらしい)で少し話して早々に引き上げる。
ホテルに帰り休憩。シャワーを浴び、食費節約の為ホテルのレストランで唯一のメニューのプラト・デル・ディアを食べ、外に出て葉書を出し、このヌエバ広場のカフェに来る。グラナダでは昨日宿の前を観光バス三台で登って行った日本人団体以外には日本人をあんまり見ないな、などと話していると、途端に3~4人ずつの日本人グループを幾組か見かける。通行人を見ていると何もせずにカフェに座っていても退屈することはない。この点でも日本の喫茶店より良い。目の前に噴水があるが、先程この噴水の水を男がコーラのビンに入れ、それを小さな子供に与えていた。日本の噴水は循環式だからとても駄目だが、ここのは大丈夫なのだろう。それにしても…。夜12時過ぎてこのカフェも椅子を片付けはじめている。しかし客はまだ帰る気配を見せない。小さな子供達もまだ広場で走り回って遊んでいる。(24時30分グラナダ、ヌエバ広場カフェSlBARlにて)
ヌエバ広場に面した、昨晩ケーキを買った店で明日のドライブの為にケーキとクッキーを買い、アイスクリームを食べながら帰る。アイスクリームを食べるには涼しいのだが。この夜の涼しさは大変気持ちが良い。今日も昼間は暑かったのだが、やはりそれでも過ごしやすい。宿に帰ると又腹の調子が良くない。下痢。整腸剤を飲む。今夜も又1時半になってしまった。(25時30分オスタル・ランダスリの部屋303号室にて)
https://dosperegrinos.net/2021/02/03/%e3%82%b9%e3%83%9a%e3%82%a4%e3%83%b3%e6%97%85%e8%a1%8c%e3%80%801980-08-18/スペイン旅行今朝は8時頃一度目が覚めたが又眠ってしまい、10時頃起床。10時40分に宿を出て先ずツーリスモへ。昨日、駅から来る途中に見かけていたのでそちらへ歩いて行くが、着いてみると工事中のビルに「インフォメーション」の看板は出ているが、売り出し中のマンションらしい。地図を見ると宿の近くにツーリスモはあるではないか。2km近くも無駄に歩いたことになる。配偶者は地図で知っていたが、私が知っているとのことでついて来た、なんぞと言う。全くもう。ツーリスモに行く前に配偶者はTシャツを買う。いつも同じものしか着ていないので先日から買いたい買いたいと言っており、今朝も宿の近くの土産物店でさがしたりしていた。この土産屋では、1050ペセタのを950にまけると言うのを、こちらが700と言うとはじめは「駄目、900だ」などとやりとりをした。私達が首を振って行こうとすると800、更にはついに700と言ったが、それでは宿への帰りに又寄るからと言って店を出たのだった。再びヌエバ広場の方向へ戻り、裏道にあるツーリスモへ。分かりにくい場所にあるが、美しい中庭に面したところで従業員のオジサンも気持ちよく、良い所。ここでグラナダの地図をもらい、レンタカー会社を教えてもらう。中庭をはさんだ反対側の書店でアンダルシア地方の地図を買い、ツーリスモで教えられた中で一番近い、ヌエバ広場に面したレンタカー会社に行く。ところが明日借りたいと言うと、車はないと言って他(AVISとHerts)を教えてくれる。AVlSのある方へ歩いて行く。オフィスに着くと閉まっていて13時から16時は昼休み。近くにあるもう一つのHertsに行くとこちらも閉まっている。昼食をとりに道を戻る。私は昨夕から腹の調子がよくなく、昨日も下痢をして、又この時便意をもよおす。スーパーマーケットがあるので入り、リンゴ2ヶとジュース1缶を買い、近くの銀行の外に腰掛けてジュースを飲む。道行く人々がけげんな顔をして通り過ぎて行く。変な東洋人が銀行の前でジュースを飲んでいるのだから当然だが。三ッ星ホテルに入り込み、トイレを使う。ヨーロッパ到着以来、一番清潔なトイレ。裏通りに入り、一本フォークのレストランで昼食。ここは大衆食堂といった雰囲気で、はじめて相席。同席は二人の中年の男で、ワインをすすめてくれたりする。ここはさすがに安い。量もあまり多くないが、私達にとってはちょうどよい。最近は少し食べ過ぎで、昼食で満腹して動きにくい程になっていたので、この位の量だと食後も楽。これからは一本フォークか、せめて二本位にしようと決める。(18時10分ビブランブラ広場のカフェにて)昼食後「アングーロ通り」を地図でさがして行く。レストランからそう遠くはない。ここはガルシーア・ロルカがかくまわれて最後に住んでいたルイス・ロサーレス氏の家があった所。長さ50m程の通りで、古いアパートが並び、おそらく当時のままの姿だろう。通りの両方の入口で写真を撮る。しかしここもすぐ近くで新しいビルの建築が行なわれている。ビル建築と言えば、スペインでの建築方法が少し変っていて、先ず各階の床と柱を造り(高層の場合は鉄筋コンクリートの柱でその周りにレンガを貼り、低層の時はレンガを積んだ柱らしい)、それが出来上がってからレンガを積んで壁をつくる。だから建築中のものはいくつもの棒の上に板を載せ、それを繰り返している。そして床には壁の為のレンガが山積みになっている。そしてこのレンガだが、質は固目のようで、しかも四角の穴が沢山あいている。今朝ツーリスモに行く為間違って歩いて行った駅の方向へ通じるグラン・ビアは近代的なビルが立ち並ぶ新市街だが、そのビルの一つ裏側には朽ちかけた小さな家々が残っている。やがてこの国の近代化の進展とともに、あのグラン・ビアの表通りの風景が増殖し、廃屋は一掃されて行くのだろう。アングーロ通りから再びAVlSのオフィスに戻る。明日の車の予約は簡単に出来る。車は一番安いSEAT127というやつ。明日9時15分に来るようにとのこと。通りのショーウィンドー等を見ながら戻り、カテドラルの方へ行く。カテドラル近くのビブランブラ広場のカフェで休憩。ここのリモナーダはかき氷入りでと言うよりもかき氷をコップ一杯つめてそれにリモナーダを注いだようなもの。18時10分頃カフェを出て近くのカテドラルへ向かう。カテドラルの壁に大きく「ホセ・アントニオ・プリモ・デ・リベラ」と彫り込んである。どういうことなのかは分からない。入口に向かって行くと、そこは土産物店の沢山並んだ商店街。カテドラルの一部らしいが、先ずレアル・カピージャという教会に入る。中にカトリック両王の墓やファナ女王の墓などがある。そして例によってムセオには金ピカの十字架、聖衣等々。カテドラルの方はただただだだっ広いもので、見るべきものは何もなし。ここもMuseoは金ピカの十字架、聖衣等々。大きなパイプ・オルガンのみがいくらか見るに価するもの。閉館時間になり、内側からカギの閉められた出入口から出る。途中のドラッグ・ストアでシャンプー、歯磨等を買って、又ヌエバ広場の土産店で絵葉書、私の財布を買う。ゴメレス坂の土産店で寄木細工のコースター6枚。その向かいのギター屋へ入る。ここでは2年前に配偶者が来た時、ギターを弾いてくれコーラを飲ませてくれたそうで、もう一度行きたいと前々から言っていた所。オジサンはしかし覚えておらず、成田で買った小さな小物入れを渡し、片言のフランス語(急にはなかなか出ないらしい)で少し話して早々に引き上げる。ホテルに帰り休憩。シャワーを浴び、食費節約の為ホテルのレストランで唯一のメニューのプラト・デル・ディアを食べ、外に出て葉書を出し、このヌエバ広場のカフェに来る。グラナダでは昨日宿の前を観光バス三台で登って行った日本人団体以外には日本人をあんまり見ないな、などと話していると、途端に3~4人ずつの日本人グループを幾組か見かける。通行人を見ていると何もせずにカフェに座っていても退屈することはない。この点でも日本の喫茶店より良い。目の前に噴水があるが、先程この噴水の水を男がコーラのビンに入れ、それを小さな子供に与えていた。日本の噴水は循環式だからとても駄目だが、ここのは大丈夫なのだろう。それにしても…。夜12時過ぎてこのカフェも椅子を片付けはじめている。しかし客はまだ帰る気配を見せない。小さな子供達もまだ広場で走り回って遊んでいる。(24時30分グラナダ、ヌエバ広場カフェSlBARlにて)ヌエバ広場に面した、昨晩ケーキを買った店で明日のドライブの為にケーキとクッキーを買い、アイスクリームを食べながら帰る。アイスクリームを食べるには涼しいのだが。この夜の涼しさは大変気持ちが良い。今日も昼間は暑かったのだが、やはりそれでも過ごしやすい。宿に帰ると又腹の調子が良くない。下痢。整腸剤を飲む。今夜も又1時半になってしまった。(25時30分オスタル・ランダスリの部屋303号室にて)Andrés andres@nifty.comAdministratorDos Peregrinos
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