8時前に起床。まだ完全ではないが、気分は相当回復したので出掛けることにする。シャワーを浴びて少しスッキリ。前夜強い風が吹いていたと思ったら、朝空を見るとどんよりした曇り空。スペインに来てはじめての曇天だなどと話していたが、よく見るとこれは雲ではなく砂塵。例のシロッコというやつで、アフリカ・サハラの砂が前夜の強風で運ばれたものらしい。その為いつもの朝のような爽やかな涼しさはなく、空気は地中海の湿り気を含んでジメジメと蒸し暑い。汗もカラッと乾かず、肌もベトつく。

9時頃宿を出てAVlSのオフィスに行く。パスポートと国際免許を見せ、手続を済ませる。

1980-08-20 Granada 駐車したレンタカーと借りたのはSEAT127という赤塗の可愛らしい車。エンジンは快調。しかし例によって左ハンドル、運転席のすぐ左横にサイド・ミラー、右にはミラーなし、四段変速。はじめは右側通行、右側通行と頭の中で唱えながら走る。右ミラーがない為右折するのが一番怖い。一度宿に戻り荷物を積み込んで、先ずシエラ・ネバダへ。この空では何も見えないのは分かっているが、ここはヨーロッパで最も高いところまで自動車道路が登っているところだというので、とにかく行くことにする。

途中の道は通行量も少なく快適。あれだけ高いところへ登るのだから相当な山道を覚悟していたのだが、道は広くカーブもそれ程急ではないので40~50km/hで行ける。こちらの人々は町中では相当スピードを出すのに、山ではゆっくり走る人が多い。登りはじめて一旦暑くなり、それから徐々に涼しくなってゆく。

1980-08-20 Granada シエラネバダ山頂にて山頂は寒い。あまりの寒さにちょっと写真を撮っただけですぐに車の中に戻る。予想通り下界は何も見えない。車の中でクッキーを食べ紅茶を飲む。

1980-08-20 Granada シエラネバダ山頂付近雪渓で少し下ったところにが残っていたので車を降りて写真を撮り、又少し下ったところの高度表示板でも写真を撮る。さらに下り、パラドールがあるがそこは閉まっているので、近くの大学の寮のような建物のバルでコーヒーを飲む。

1980-08-20 Granada ガスったシエラネバダ山頂付近この日はシロッコの吹いた後なのでこんなものかも知れないが、いつもだったらもっと寒く、そしてグラナダの街は勿論アフリカも見えたかも知れないのに残念。配偶者はそのことをしきりに何十回も繰り返している。

1980-08-20 Viznar村入口グラナダの町中を通ってビスナール村へ。少し道に迷ったが、グアディクス方面への国道を通って途中から表示に従って脇道に入り、無事に着ける。ここはガルシーア・ロルカが処刑された村だが、詳しい場所等は分からない。

1980-08-20 Granada郊外のオリーブ畑の丘写真で見ていたように村の周りには起伏の少し激しい丘が続き、オリーブが点々と生えている。こうした景色の中でロルカは殺され、埋められたのだろう。

再びグラナダへ戻り、街をかすめて今度はフエンテ・バケーロス村へ。

1980-08-20 Fyente Vaqueros村入口でここはロルカの生まれた村。今度は少し道に迷うが、無事到着。この村も人通りがほとんどない閑散としたところ。広場を少し過ぎたところで休んでいたオジサンに「詩人通り」の場所をきくと、そばにいた他の男が自転車で先導して連れて行ってくれる。広場から入った通り。

1980-08-20 Fuente Vaqueros ロルカの生家前の通り通りの入口にはまだ新しいプレートで「ガルシーア・ロルカ詩人通り」と記され、そこから数軒目の薄いグリーンに壁を塗ったのがロルカの生家

1980-08-20 Fyente Vaqueros ロルカの生家

1980-08-20 Fyente Vaqueros ロルカの銘板-crop今も誰かが住んでいる模様。広場には記念碑が建っているが、これはロルカのものかどうか不明。村の入口にはロルカの生まれた村という表示。しかしロルカに関するものはそれだけで、記念館の類は一切なし。「詩人通り」のプレートの新しさからも、この国でロルカが一応の市民権を得たのがフランコ以後のことなのが分かる。広場のバルでアグア・コン・ガスと肉のボカディージョ。私はこの肉を何とか食べることが出来た。

これで行く予定の所は全て回ったが、まだ4時前で時間が充分ある。地図を見てみるがこれといって目ぼしい場所もないので、近そうな湖に行くことにする。

1980-08-21 海?湖は人造湖で石灰質の為か湖水が美しいグリーンになっている。水辺まで車で下りると、一家族と一人の男が泳いだり日光浴をしたりしている。水は淡水で結構冷たい。しかしとにかく暑い。それもこれまでのスペインの暑さとは違い、油っぽい汗でベトつく暑さ。これは私の体調のせいもあるだろうが、やはりシロッコのせいだろう。この頃から私は脱水症状のようで、口や唇がカラカラに乾く。途中でファンタをバルで飲むが、すぐに又カラカラになる。

グラナダに戻る道は緩やかな丘の中をほとんど一直線。田舎道だが100km/h近いスピードでとばす。一刻も早くグラナダへ帰り、休みたい。グラナダ駅近くの、前日配偶者が訪ねたオスタルに行く。ところが満員。宿の主人は前日「予約しなくても大丈夫だから」と言って予約させなかったのに、いざ行ってみると満員。これで配偶者、大いにふくれる。近くのもう一軒もあたってみるが、ここも満員。仕方がないので中心街のAVlSのオフィスの方へ行ってさがすことにする。しかし車では駐車も面倒だしさがしにくいので、一度は町中を回ってみたが時間もなくなってきたので、先ず車を返すことにする。AVlSのオフィスはクーラーも効いているので配偶者が返却の手続をしている間に、私は近くのスーパーからジュースを買ってきてオフィスで少し休ませてもらう。それでもオフィスを出るとフラフラ。少し歩いて二ッ星のきれいなオスタル「パリス」に入る。はじめは1375ペセタと言うので高いからやめると言って出ようとすると、1200でよいと言う。迷ったがとにかく早く休みたいので決める。バスなどは今までで一番清潔。湯の出方も良く、気持ち良い。さっそくシャワーを浴び、ベッドに横になる。これでやっと一心地。水とお茶を飲んでいくらか口の乾きも収まる。食欲は相変わらずないが、こんなにフラフラなのもこの二日間ボカディージョ以外にはほとんど食べていないため体力がなくなっているからなのだろうから、とにかく何か食べなくては。9時過ぎに外出し、近くのバル兼レストランへ。カウンターが安いのでカウンターに座る。ここは珍しくクーラーの効いた店で、清潔。今度もガスパッチョにサラダ。前日よりはよく食べられ、サラダも全部食べることが出来る。しかしサラダについているゆで卵はやはり駄目。更にフルーツ・ジュース、プリン。あっさりしたものなら食欲も出てきた。隣に座った中年の男二人、コーヒー一杯にケーキ二個ずつを食べる。夜の10時にケーキ二個とは…。

1980-08-21 CNTのポスター帰りにバス通りの方へ行き、翌朝の駅方面へのバス停を確認。バス停のゴミ箱にCNTのポスターが貼ってある。宿に戻ってすぐに眠る。少し暑い。しかしよく眠れる。

病気になると、特に消化器系の調子の悪い時は、あっさりした物しか食べられなくなる。その点、日本にはあっさりした物が多く、豆腐・蕎麦・その他和食が全体としてあっさりした物の集りの様なもの。ところがここスペインの料理はほとんど全てにオリーブ油が使われていて、油っこい。そんな中でガスパッチョがあったのは今回大いに助かる。それにサラダ。サラダもオリーブ油と酢をかけて食べるのがこちらの食べ方だが、私は調子の悪い間塩だけか、コショウがあれば塩とコショウで食べていた。これもはじめからオリーブ油がかけられて持って来られたら仕方がないが、皿に野菜を盛ってもそれには何もかけず、自分で勝手にかけるようになっているので助かった。とにかくガスパッチョとサラダで大助かり。

Andrésスペイン旅行8時前に起床。まだ完全ではないが、気分は相当回復したので出掛けることにする。シャワーを浴びて少しスッキリ。前夜強い風が吹いていたと思ったら、朝空を見るとどんよりした曇り空。スペインに来てはじめての曇天だなどと話していたが、よく見るとこれは雲ではなく砂塵。例のシロッコというやつで、アフリカ・サハラの砂が前夜の強風で運ばれたものらしい。その為いつもの朝のような爽やかな涼しさはなく、空気は地中海の湿り気を含んでジメジメと蒸し暑い。汗もカラッと乾かず、肌もベトつく。9時頃宿を出てAVlSのオフィスに行く。パスポートと国際免許を見せ、手続を済ませる。借りたのはSEAT127という赤塗の可愛らしい車。エンジンは快調。しかし例によって左ハンドル、運転席のすぐ左横にサイド・ミラー、右にはミラーなし、四段変速。はじめは右側通行、右側通行と頭の中で唱えながら走る。右ミラーがない為右折するのが一番怖い。一度宿に戻り荷物を積み込んで、先ずシエラ・ネバダへ。この空では何も見えないのは分かっているが、ここはヨーロッパで最も高いところまで自動車道路が登っているところだというので、とにかく行くことにする。途中の道は通行量も少なく快適。あれだけ高いところへ登るのだから相当な山道を覚悟していたのだが、道は広くカーブもそれ程急ではないので40~50km/hで行ける。こちらの人々は町中では相当スピードを出すのに、山ではゆっくり走る人が多い。登りはじめて一旦暑くなり、それから徐々に涼しくなってゆく。山頂は寒い。あまりの寒さにちょっと写真を撮っただけですぐに車の中に戻る。予想通り下界は何も見えない。車の中でクッキーを食べ紅茶を飲む。少し下ったところに雪が残っていたので車を降りて写真を撮り、又少し下ったところの高度表示板でも写真を撮る。さらに下り、パラドールがあるがそこは閉まっているので、近くの大学の寮のような建物のバルでコーヒーを飲む。この日はシロッコの吹いた後なのでこんなものかも知れないが、いつもだったらもっと寒く、そしてグラナダの街は勿論アフリカも見えたかも知れないのに残念。配偶者はそのことをしきりに何十回も繰り返している。グラナダの町中を通ってビスナール村へ。少し道に迷ったが、グアディクス方面への国道を通って途中から表示に従って脇道に入り、無事に着ける。ここはガルシーア・ロルカが処刑された村だが、詳しい場所等は分からない。写真で見ていたように村の周りには起伏の少し激しい丘が続き、オリーブや松が点々と生えている。こうした景色の中でロルカは殺され、埋められたのだろう。再びグラナダへ戻り、街をかすめて今度はフエンテ・バケーロス村へ。ここはロルカの生まれた村。今度は少し道に迷うが、無事到着。この村も人通りがほとんどない閑散としたところ。広場を少し過ぎたところで休んでいたオジサンに「詩人通り」の場所をきくと、そばにいた他の男が自転車で先導して連れて行ってくれる。広場から入った通り。通りの入口にはまだ新しいプレートで「ガルシーア・ロルカ詩人通り」と記され、そこから数軒目の薄いグリーンに壁を塗ったのがロルカの生家。今も誰かが住んでいる模様。広場には記念碑が建っているが、これはロルカのものかどうか不明。村の入口にはロルカの生まれた村という表示。しかしロルカに関するものはそれだけで、記念館の類は一切なし。「詩人通り」のプレートの新しさからも、この国でロルカが一応の市民権を得たのがフランコ以後のことなのが分かる。広場のバルでアグア・コン・ガスと肉のボカディージョ。私はこの肉を何とか食べることが出来た。これで行く予定の所は全て回ったが、まだ4時前で時間が充分ある。地図を見てみるがこれといって目ぼしい場所もないので、近そうな湖に行くことにする。湖は人造湖で石灰質の為か湖水が美しいグリーンになっている。水辺まで車で下りると、一家族と一人の男が泳いだり日光浴をしたりしている。水は淡水で結構冷たい。しかしとにかく暑い。それもこれまでのスペインの暑さとは違い、油っぽい汗でベトつく暑さ。これは私の体調のせいもあるだろうが、やはりシロッコのせいだろう。この頃から私は脱水症状のようで、口や唇がカラカラに乾く。途中でファンタをバルで飲むが、すぐに又カラカラになる。グラナダに戻る道は緩やかな丘の中をほとんど一直線。田舎道だが100km/h近いスピードでとばす。一刻も早くグラナダへ帰り、休みたい。グラナダ駅近くの、前日配偶者が訪ねたオスタルに行く。ところが満員。宿の主人は前日「予約しなくても大丈夫だから」と言って予約させなかったのに、いざ行ってみると満員。これで配偶者、大いにふくれる。近くのもう一軒もあたってみるが、ここも満員。仕方がないので中心街のAVlSのオフィスの方へ行ってさがすことにする。しかし車では駐車も面倒だしさがしにくいので、一度は町中を回ってみたが時間もなくなってきたので、先ず車を返すことにする。AVlSのオフィスはクーラーも効いているので配偶者が返却の手続をしている間に、私は近くのスーパーからジュースを買ってきてオフィスで少し休ませてもらう。それでもオフィスを出るとフラフラ。少し歩いて二ッ星のきれいなオスタル「パリス」に入る。はじめは1375ペセタと言うので高いからやめると言って出ようとすると、1200でよいと言う。迷ったがとにかく早く休みたいので決める。バスなどは今までで一番清潔。湯の出方も良く、気持ち良い。さっそくシャワーを浴び、ベッドに横になる。これでやっと一心地。水とお茶を飲んでいくらか口の乾きも収まる。食欲は相変わらずないが、こんなにフラフラなのもこの二日間ボカディージョ以外にはほとんど食べていないため体力がなくなっているからなのだろうから、とにかく何か食べなくては。9時過ぎに外出し、近くのバル兼レストランへ。カウンターが安いのでカウンターに座る。ここは珍しくクーラーの効いた店で、清潔。今度もガスパッチョにサラダ。前日よりはよく食べられ、サラダも全部食べることが出来る。しかしサラダについているゆで卵はやはり駄目。更にフルーツ・ジュース、プリン。あっさりしたものなら食欲も出てきた。隣に座った中年の男二人、コーヒー一杯にケーキ二個ずつを食べる。夜の10時にケーキ二個とは…。帰りにバス通りの方へ行き、翌朝の駅方面へのバス停を確認。バス停のゴミ箱にCNTのポスターが貼ってある。宿に戻ってすぐに眠る。少し暑い。しかしよく眠れる。病気になると、特に消化器系の調子の悪い時は、あっさりした物しか食べられなくなる。その点、日本にはあっさりした物が多く、豆腐・蕎麦・その他和食が全体としてあっさりした物の集りの様なもの。ところがここスペインの料理はほとんど全てにオリーブ油が使われていて、油っこい。そんな中でガスパッチョがあったのは今回大いに助かる。それにサラダ。サラダもオリーブ油と酢をかけて食べるのがこちらの食べ方だが、私は調子の悪い間塩だけか、コショウがあれば塩とコショウで食べていた。これもはじめからオリーブ油がかけられて持って来られたら仕方がないが、皿に野菜を盛ってもそれには何もかけず、自分で勝手にかけるようになっているので助かった。とにかくガスパッチョとサラダで大助かり。退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)