7時過ぎに起き、頭髪を洗い洗面。8時に宿を出てバスで駅へ。9時05分発の列車でバレンシアへ向かう。最初3泊の予定だったのが私の病気で4泊と今までの最長滞在地になった。列車は二両編成。一両が二等、一両が一等にバル。全座席。私達は一等に。ここは電化されていない為、ディーゼル車。車両は新しいので、あの昔よく乗った日本のディーゼル・カーとは違って騒音はそんなに大きくないのだが、小刻みの振動が続いて非常に日記が書きにくい。この振動が時々止まるのが又不思議。クーラーが効いてその点は良いのだが、この列車出発して1時間半程前に進み、モレダからは逆に後ろに向かって進み、更に30分走ってグアディクスから又前に進みはじめた。スペインの国鉄の線路の敷き方でこうなったのだろうが。それにしてもこの列車、やたらとのろい。平均40~50km/hで走っているのではと思える程。昼食は列車のバルで買ったボカディージョとサンドイッチ(私)。それに朝、駅の近くで買ったパイ。

1980-08-22 遠くの白い村車窓の風景は今は緑も随分増えたが、先程まではそれこそ本当に砂漠。山の斜面にはほんのわずかの草がへばりつき、サボテンが生える。向日葵は昨日、車の中から見た時もそうだったが、太陽に向かって顔を上げるのではなく、完全に頭を垂れてしまい、ひどい所では茶色く枯れて乾燥してしまっているものまである。

1980-08-21 洞窟住居グアディクスの近くで洞窟住居を多数見掛ける。草木のない岩山に四角い穴があけられ、所によってはその前にレンガ造りの家が建って家と洞窟が続いているのもあるが、多くはポッカリとあいた穴だけ。今はもう住む人も少ないのだろうが、その穴の数はおびただしい。

砂漠には多くの涸川・涸谷。人の頭大の石ころに覆われた所。どう仕様もないパサパサのパンの様な土くれの土地。そんな土地でも人々は作物を育てようとしている。それにしても何と荒れた土地。

1980-08-22 車窓風景今、左手の平地は緑に覆われているが、その向こうの山はハゲ山で、緑の横縞が見える。たぶんオリーブか何かが植えられているのだろう。これから北に向かうに従い土地は豊かになっていくはずだが。(8月21日15時10分グラナダ→バレンシア車内にて)

その後列車は再び後ろ向きに走り、又前に走ったと思ったら一駅で又後ろ向きになる。その間、地中海岸をほんの短い距離だが走る。そしてしばらく後ろ向きに走り、又々前向きに走る。しばらくヤムをやって遊び、持参のメロンを食べ、そしてシェスタ。バレンシア近郊で目覚め。バレンシア郊外ではさすがに名産のオレンジ畑が目立つ。それにブドウ畑。ブドウは日本のように棚状になっているのではなく、背の低い一本一本の木が1~2mの間隔で植えられている。そして何よりもアンダルシアやカスティーリャといった今まで過ごして来た地方と違って土の色が赤く、レンガ色をしている。土自体が豊かになっているのだろう。

定刻20時05分バレンシア到着近くで宿をさがす。一ッ星ホテルがあったので試しに入ってみるが高いのでやめる。一ッ星でも三ッ星オスタル並の値段。一本裏道のオスタルに入る。この日は朝から冷房の効いた列車に乗っていただけなので汗もかいていない。オスタルの部屋に入って荷物を置くとすぐに外出。駅前の道をまっすぐ歩き、広場から少し入ったレストランで夕食。ここも冷房が効いている。バレンシアはパエーリャとオレンジ。共和国政府がマドリーがフランコ派に包囲された為移転して来たところだが、それに関するものは見付けようもない。レストランでは、少し高いが海産物のみのパエーリャを頼む。作るのに30分待てとのこと。出来て来たパエーリャは大き目のエビ・ザリガニが一人二匹ずつ、小エビ多数、イカ、ムール貝が入っていて、米は少し芯が残っている程度で旨い。しかし私はまだ調子が悪く、その油気に当てられて三分の二程しか食べられない。ところが配偶者はもりもり食べ、私が食べ切れなかった分まで食べる。腹八分などというどころか腹十分を越えて腹十二分位食べている。

レストランを出てカテドラルの前まで散歩。この町はスペイン第三の大都市で、しかも夜はまだ10時を過ぎたばかりなのに人通りが大変少ない。カフェも道に出したテーブルや椅子を片付けはじめている店があるほど。町に着いた時、シロッコのせいか空がどんよりしていたが、その為かどうか蒸し暑い。ゆっくり歩いてカテドラルの前から引き返し、途中の広場のカフェでオレンジの生ジュースを飲む。ところがこの生ジュース、そのままで充分甘いのにこれに砂糖が二袋もついてくるのだ。いくら甘党の人が多い国とはいえ、これには改めて驚かされる。又ゆっくり歩いて宿に戻る。途中、ショーウィンドー等をのぞくが、この町には今まで以上にお菓子屋が多いような気がする。それにこことグラナダは赤ん坊用品店(服・オモチャ等)が大変目立つ。これは何か理由があるのだろうか。それともたまたま私達がそういう店の集った通りを歩いただけなのだろうか。もう一つはバレンシアに来て食料品の値段がぐっと高くなったことだ。これではこの先が少し心配になってくる。

宿に着いてシャワーを浴び、寝るが、やはり蒸し暑くて寝苦しい。この宿の部屋は長めで、入口のすぐ横が洗面とシャワー。シャワーは天井固定で60~70cm四方程の狭い所。しかも床は、勿論タイルだが、掃除が行き届いていないのか少しヌルッとして滑りやすい。私が先にシャワーを浴び、「滑りやすいから注意しろよ」と言ったにもかかわらず、配偶者はシャワーに入ってすぐ滑って転んでシリモチをついたらしい。クッション持参の為けがはなかったようだが。

Andrésスペイン旅行7時過ぎに起き、頭髪を洗い洗面。8時に宿を出てバスで駅へ。9時05分発の列車でバレンシアへ向かう。最初3泊の予定だったのが私の病気で4泊と今までの最長滞在地になった。列車は二両編成。一両が二等、一両が一等にバル。全座席。私達は一等に。ここは電化されていない為、ディーゼル車。車両は新しいので、あの昔よく乗った日本のディーゼル・カーとは違って騒音はそんなに大きくないのだが、小刻みの振動が続いて非常に日記が書きにくい。この振動が時々止まるのが又不思議。クーラーが効いてその点は良いのだが、この列車出発して1時間半程前に進み、モレダからは逆に後ろに向かって進み、更に30分走ってグアディクスから又前に進みはじめた。スペインの国鉄の線路の敷き方でこうなったのだろうが。それにしてもこの列車、やたらとのろい。平均40~50km/hで走っているのではと思える程。昼食は列車のバルで買ったボカディージョとサンドイッチ(私)。それに朝、駅の近くで買ったパイ。車窓の風景は今は緑も随分増えたが、先程まではそれこそ本当に砂漠。山の斜面にはほんのわずかの草がへばりつき、サボテンが生える。向日葵は昨日、車の中から見た時もそうだったが、太陽に向かって顔を上げるのではなく、完全に頭を垂れてしまい、ひどい所では茶色く枯れて乾燥してしまっているものまである。グアディクスの近くで洞窟住居を多数見掛ける。草木のない岩山に四角い穴があけられ、所によってはその前にレンガ造りの家が建って家と洞窟が続いているのもあるが、多くはポッカリとあいた穴だけ。今はもう住む人も少ないのだろうが、その穴の数はおびただしい。砂漠には多くの涸川・涸谷。人の頭大の石ころに覆われた所。どう仕様もないパサパサのパンの様な土くれの土地。そんな土地でも人々は作物を育てようとしている。それにしても何と荒れた土地。今、左手の平地は緑に覆われているが、その向こうの山はハゲ山で、緑の横縞が見える。たぶんオリーブか何かが植えられているのだろう。これから北に向かうに従い土地は豊かになっていくはずだが。(8月21日15時10分グラナダ→バレンシア車内にて)その後列車は再び後ろ向きに走り、又前に走ったと思ったら一駅で又後ろ向きになる。その間、地中海岸をほんの短い距離だが走る。そしてしばらく後ろ向きに走り、又々前向きに走る。しばらくヤムをやって遊び、持参のメロンを食べ、そしてシェスタ。バレンシア近郊で目覚め。バレンシア郊外ではさすがに名産のオレンジ畑が目立つ。それにブドウ畑。ブドウは日本のように棚状になっているのではなく、背の低い一本一本の木が1~2mの間隔で植えられている。そして何よりもアンダルシアやカスティーリャといった今まで過ごして来た地方と違って土の色が赤く、レンガ色をしている。土自体が豊かになっているのだろう。定刻20時05分バレンシア到着。駅近くで宿をさがす。一ッ星ホテルがあったので試しに入ってみるが高いのでやめる。一ッ星でも三ッ星オスタル並の値段。一本裏道のオスタルに入る。この日は朝から冷房の効いた列車に乗っていただけなので汗もかいていない。オスタルの部屋に入って荷物を置くとすぐに外出。駅前の道をまっすぐ歩き、広場から少し入ったレストランで夕食。ここも冷房が効いている。バレンシアはパエーリャとオレンジ。共和国政府がマドリーがフランコ派に包囲された為移転して来たところだが、それに関するものは見付けようもない。レストランでは、少し高いが海産物のみのパエーリャを頼む。作るのに30分待てとのこと。出来て来たパエーリャは大き目のエビ・ザリガニが一人二匹ずつ、小エビ多数、イカ、ムール貝が入っていて、米は少し芯が残っている程度で旨い。しかし私はまだ調子が悪く、その油気に当てられて三分の二程しか食べられない。ところが配偶者はもりもり食べ、私が食べ切れなかった分まで食べる。腹八分などというどころか腹十分を越えて腹十二分位食べている。レストランを出てカテドラルの前まで散歩。この町はスペイン第三の大都市で、しかも夜はまだ10時を過ぎたばかりなのに人通りが大変少ない。カフェも道に出したテーブルや椅子を片付けはじめている店があるほど。町に着いた時、シロッコのせいか空がどんよりしていたが、その為かどうか蒸し暑い。ゆっくり歩いてカテドラルの前から引き返し、途中の広場のカフェでオレンジの生ジュースを飲む。ところがこの生ジュース、そのままで充分甘いのにこれに砂糖が二袋もついてくるのだ。いくら甘党の人が多い国とはいえ、これには改めて驚かされる。又ゆっくり歩いて宿に戻る。途中、ショーウィンドー等をのぞくが、この町には今まで以上にお菓子屋が多いような気がする。それにこことグラナダは赤ん坊用品店(服・オモチャ等)が大変目立つ。これは何か理由があるのだろうか。それともたまたま私達がそういう店の集った通りを歩いただけなのだろうか。もう一つはバレンシアに来て食料品の値段がぐっと高くなったことだ。これではこの先が少し心配になってくる。宿に着いてシャワーを浴び、寝るが、やはり蒸し暑くて寝苦しい。この宿の部屋は長めで、入口のすぐ横が洗面とシャワー。シャワーは天井固定で60~70cm四方程の狭い所。しかも床は、勿論タイルだが、掃除が行き届いていないのか少しヌルッとして滑りやすい。私が先にシャワーを浴び、「滑りやすいから注意しろよ」と言ったにもかかわらず、配偶者はシャワーに入ってすぐ滑って転んでシリモチをついたらしい。クッション持参の為けがはなかったようだが。退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)