8時過ぎに起床。オスタルの前の通りや向かい側の工事中のビルの騒音でうるさい。宿の勘定を済ませ、荷を宿に預ける。昨日もそうだったが、宿のフロントにはいつも中学生位の男の子が座ってマンガを読んでいたりするが、パスポートを見て書類を書くような仕事も簡単な仕事ではあるがちゃんとやる。今朝はこの子とおそらく兄であろう男の子の二人がフロントにいる。

1980-08-22 Valencia 市場外観9時半に宿を出、先ず交易所に。交易所の前に大きな市場があったので先に市場に入ってみる。

1980-08-22 Valencia 市場内の魚屋市場の中は何十軒もの肉屋、何十軒もの八百屋、果物屋、何十軒もの魚屋。そして数は少ないが缶詰類の店、香辛料店、日用雑貨屋等。魚屋は魚屋だけの一画を占め、他は入り混じっている。肉屋には例の豚の足、モモのハムが多数ブラ下がり、それに鶏の毛をむしったやつも沢山頭を引っ掛けられて並んで下げられている。

1980-08-22 Valencia 市場内の肉屋店によってはこれに兎の肉が加わるのだが、これは後ろ脚から吊り下げられて頭が下になり、そこから血がしたたっているもので、あまり気分の良いものではない。店の陳列棚をよく見ると、鶏の足だけ(モモはなくて本当に足先のみ)とか、頭だけ(これにはトサカのついているのもある)をまとめて売っているのだが、あれは一体どんな料理に使うものなのだろうか。とは言ってもそんな料理を出されたって私は手も付けられないが。又内臓だけを売る店もあり、そしてあれは山羊だろうか仔牛だろうか、頭の皮を剥がれ頭蓋骨に薄く肉と血のついたやつが並べられているのだ。あれもやはり売り物なのだろうが、こんな物が食卓に出て来たら、私はもう即座に席を立たなければならないだろう。八百屋にはあのコブシ二つ分以上もある赤いピーマン、これも大きなそして紫と薄緑の縞模様のナス、サラダ菜、ピーマンやナスと同じ位の大きさのジャガイモ。玉ネギだけは日本並の大きさ。果物屋には小さな洋梨、ブドウ、バナナ、メロン(ウリ)。オレンジが比較的少ない。魚屋にはエビが多数、ムール貝、イカ。メルルーサはあのグロテスクな頭のついたやつは不思議とほとんど見掛けなかった。その他カジキマグロは切り身にして売っていたが、あとは名を知らない魚がほんの数種類で、魚の種類は日本よりずっと少ないようだ。香辛料屋では粉や葉が山積みになっていて、日本のお茶屋のような店頭風景。市場は客も沢山入り活気もあって生活が感じられる。しかし日本のような店員の掛け声や呼び声はなく、売り買いのテンポものんびりしていて、客と店員は世間話しをしながら肉を切ってもらったり果物を量ってもらったりしている。写真を10枚程撮ったが、果たして明るさはどうだったか。最後にオレンジを1kg(4個)買って市場を出る。そういえばスペインではどこでも果物・野菜は1kgいくらで表示してあり、例えば1kg60ペセタなら「60kg」となっている。

1980-08-22 Valencia取引所市場を出て向かい側にある交易所へ。ここは昔絹等の取引が行なわれたところであるが、今はガランとした大きな建物の中に小さな机と小さな椅子(全部木製)2個が1組になって、これが何十あるいば百何十組も並べられているだけ。今でも何かの集会の折には使われるのであろうか。

次はカテドラル。ここは中に入るとど真ん中が工事中で、例の穴あきレンガが積んである。大きいだけで見るべきものはない。中の一画にあるMUSEOだけが入場料を取られ、入ってみるとやはりここもキンキラキン。もうアキアキ。

1980-08-22 Valencia セラミック博物館のタイル展示次は国立陶芸館。陶器とは言っても絵タイルとでも言うのだろうか、何十枚・何百枚で一組になった絵の焼き物が壁に飾られ、その他13世紀頃の素朴な絵皿から、魚・鳥・人物等を描いたもの、そしてアラブ風の文様やアラビア文字を模様にしたものなど多数。そのあまりのおびただしい数量に疲れてしまう。日本の陶器も展示してある。又車輪の直径が背丈程もある馬車や、装飾過剰の机・椅子、そしてどういうわけか絵・マンガの展示してある部屋もある。マンガは現代のものが殆ど。

1980-08-22 Valencia ゴヤのカプリッチョスゴヤの版画も数枚掛けてある。列車の時間もあり疲れてもいたので、最後の方はざっと歩き過ぎるだけになってしまう。

1980-08-22 Valencia 駅前広場宿に戻って荷物を受け取り、駅へ。は正面が大きく立派で、すぐ横にこれも大きな闘牛場がある。そういえば昨日、駅に着く前にバレンシア郊外の広場に仮設闘牛場が造られていたが、こんな大きな闘牛場があっても又仮設でやるものなのか。駅に着くと12時10分。まだ列車の出発ホームの表示は出ていないので、配偶者は昼食用のボカディージョを買い込みに行く。配偶者が戻って来た時、ちょうどバルセローナ方面行の列車がホームに入って来る。乗り込んでみると座席は殆ど全てリザーブ(予約)の札が付けられている。見渡すと比較的空席が多いので札は付いているが構わず座ることにする。昨日駅に着いてすぐ予約をしようといったのだが、配偶者がほんの5時間位のところだから大丈夫と言ってしなかったのが原因。列車は12時43分定刻に出発。ボカディージョを食べはじめたら車掌が来て「ここは~駅から乗ってくる」うんぬんと言う。私達は構わず座って食べ終える。ところが次に停車した駅で大量に乗り込んできて、私達の座った席を予約した人もおり、座席を立たねばならなくなる。一両後ろに空席を見付けたのでそこに座るが、そこもすぐに予約客が来て立たざるを得ない。バルの方に行ってちょうど海岸を走っていたので通路に立って外を見ていると、バルの従業員にそこも追い出される。

1980-08-22 Valencia~Barcelona列車内荷物置き場に入って仕方なくデッキの荷物置場に大きな荷を置いていたので、そこにいることにする。(16時45分バレンシア→バルセローナ列車内にて)

バレンシアから乗った列車はタルゴ(国際特急)で、今までのうちで最高に乗り心地が良くスピードも速い。乗っている時の感覚は新幹線に似ているが、揺れは比較的少ない。一両が非常に短く、座席も十数列しかない。各車両の乗降口に荷物を置く棚がある。これは三段のものが二つ向かい合っているもの。私達が荷物を置いておいた所には他の客一人が最上段を使っていただけで他には何もなかった。そこで大きな荷を最下段に入れ、中段に座ることにする。配偶者はこの棚に座っても頭が上につかえるかどうかというところなのだが、私はかがんで下を向いてしまうかあるいは上体を前に傾けて頭を外に出していなければならないので疲れる。それでも立っていたりあるいは床に座っているよりは楽。ここを通って行き来する乗客達は不思議そうな顔をしたり、あるいは笑ったりしながら行く。配偶者はこの棚の中にすっぽり入り込んでしまって昼寝をしたりするが(そうすると通る人々も配偶者の存在に気付かないことが多い。そして気付くと驚いた顔をするので、それを見るのも面白い)私は仕方ないのでこの日記を書き続けることにする。ちょうど昼食時間だが、日本の列車の様な食堂車ではなく、座席まで食事を運んで来るシステム。それも幕の内弁当やサンドイッチなどではなく、又一皿に盛り合わせるのでもなく、普通のレストランの様に一皿一皿運ぶのだから大変。後片付けのボーイが沢山の皿を抱えて私達の前を通り、又デザートのケーキを盆に一杯載せて行く。時々大きく揺れる列車内でよく落としたり乗客の頭の上にひっくりかえさないものだ。やがてゴミを持って来たボーイが私達の目の前で突然ドアを開け、ゴミをバラバラのまま車外にほっぽり出したのには驚く。ちょうど田舎の、周りは畑と荒地しかないところを走っていたし、列車の窓は開かないようになっているから、線路の周辺が散らかるだけで済むと言えばそれまでだが、それにしても外を確かめるでもなくパッとやってしまうのだ。確かにスペインは道にゴミをポイポイ捨てる国で、どこの道を歩いても紙クズが沢山散れているし、バルの床などは紙クズだらけ。第一、町中にはクズかごが殆どないし、バルでも灰皿一つ置いてないところが殆どなのだから、当然床に捨てざるを得ないのだが。車内販売(これは日本と同じで車カゴに載せて来る)でオレンジ・ジュースとレモネードを買って飲む。ところがレモネードだと思って買ったのが「トニック」というもので、これは飲んだ瞬間にはカナダ・ドライの様な単なる炭酸のような感じなのだが、飲んで少しすると舌の上にザラザラした妙な苦味が残って、とにかく不味い。せっかく買ったのだからと思い無理をして飲むが、とても全部は飲み切れなかった。

列車は海岸沿いを走る。この辺りの海岸は完全なリゾート地で、砂浜にはどこも沢山の海水浴客がおり(といっても日本の湘南などよりははるかに少ないのは言うまでもない)、リゾート・マンションやホテル、別荘らしき建物が並び、空き地や松林の中にはキャンピング・カーが停まっている。フランス、ドイツ、北欧辺りからのバカンス客なのだろう。

定刻16時15分にバルセローナ・セントラル駅に到着。この列車はバルセローナでもう一つの別の駅にも停車するのだが、私達は様子が分からないので、ここで降りて後は地下鉄で行くことにする。列車の乗客はどうせバカンス帰りだろうからフランス辺りまで行くのだろうと思っていたら、このセントラル駅で結構多くの客が降りる。駅は今までで最も新しく、近代的なもの。大きな駅の例に漏れず、大ドームの中にホームが並んでいるのだが、各ホームから下に向かって何本ものエスカレーターがつけられている。いかにも近代工業の発展している都市バルセローナという感じ。そういえばバルセローナが近付くにつれて車窓から工場や石油化学コンビナートが多く見られるようになっていたが。こうした工場を多く見るのは北部のビルバオ以来。

とにかく宿を先ず決めなければならない。ブルーガイドで見付けたオスタルのあるカテドラルへ向かうことにする。地下鉄の路線が全く分からないのでメトロの改札口まで行って尋ねると、駅は「ハイメ一世」だとのことで乗り換え駅も聞いて行く。メトロは駅も含めて非常に蒸し暑い。マドリーは二・三の駅を除けば涼しかったのに。メトロの車両はマドリーよりも新しく、日本式の座席。駅と駅の間隔もマドリーよりもずっと長く、これも日本と似ている。途中一度乗り換えて「ハイメ一世」へ。駅を出るとカテドラルらしき建物が少し見えたのでそちらへ歩いて行くと、オスタルの表示がある。ブルーガイドを見てみるとこれが目的の宿であった。入口には「2階」と表示してある。建物に入ると暗い廊下があり、左手奥に小さなエレベーターがあるのでこれに乗る。ボタンにオスタルのものがあるので押す。上ってみると2階というより3階(日本式には4階)という感じ。フロントでたずねると朝食付700ペセタ。シャワー付の部屋はないとのこと。部屋を見せてもらうと結構広くてきれいだし、窓もありカテドラルも目の前なので、シャワー付ではないのが残念だがここに決めることにする。シャワーは一回50ペセタ。部屋に入って洗面所でタオルを濡らして体を拭き、さっそく出掛けることにする。(8月23日18時35分カタルーニャ広場のカフェにて)

オスタルはレイエターナ。時間がないので先ずツーリスモへ行く。オスタルの人に教えられたのはカタルーニャ広場の地下。ところが行ってみるとそこはメトロの駅と警察があるだけ。警察と言うと広場に行く途中、オスタルに比較的近い所に警察署があるが、そこの警備にあたっている警官が肩から機関銃を下げている。どういった治安状態なのか。町中を巡回している警官は、数は結構多いようだが普通の警棒とピストル程度なのに。ツーリスモがないのでミシュランの地図を見ると、もっと先の方。歩いて10分程度。ここも広く立派なツーリスモ。バルセローナの地図はもらえるが、カタロニア地方の地図はなく、書店で買うようにとのこと。一番大きな書店を配偶者に尋ねてもらうが、教えてくれたのは先程通ったカタルーニャ広場のデパートのことのようで、どうも一番大きな店と感違いしたらしい。配偶者はかなり疲れている。今度は配偶者の腹具合が悪くなってきた模様。

再びカタルーニャ広場に戻り、最上階のレストランへ行く。7時前で時間的には大分早いが昼食をまともに摂っていないので、デパートの食堂ならやっているだろうと思い食事を注文するが、やはりここも他のレストランと同様この時間は食事は出ない。それではと近くのテーブルに座った老女がチューロをチョコレートに付けて美味しそうに食べていたのでチューロとチョコレート、リモナーダを注文。チョコレートはドロッとした濃いもので、これをチューロに付けて食べると確かにチューロの油臭さも和らいで旨い。夕空(と言っても夕焼けはない)に長い広告を引きずった飛行機が飛び、バルセローナ市街が見渡せる窓際の席。すぐ下にはカタルーニャ広場、沢山の鳩と人。遠くにサグラダ・ファミリアの塔。

8時頃出て一階一階下りながら店内を見て回る。日本のデパートとほとんど変わらない光景。ただ化粧品の瓶がみんな大きく、少なくとも700~800ccは入りそうなもの。8時15分頃になると突然店内の照明が次々に消えはじめる。ちょうど私達は地下一階にいたが、商品を照らす明かりを消して店員達が引き上げて行く。客が残っていようがあるいは入って来ようが全くお構いなし。これでは商品を盗もうと思えば簡単に出来るような状態。しかし客としては(私達は異邦人だからかも知れないが)店内が暗くなるとやはり不安なのでどうしても出ざるを得ないから、閉店の方法としては良いのかも知れない。

デパートを出て宿の方へ向かい、チューロを食べてあまり食欲もないので、宿のすぐ隣のカフェでハンバーガーとホットドッグとリモナーダ。しかしこれは不味い。パンはパサパサ。

1980-08-23 Barcelona カテドラル夜景デパートを出て夕食に行く途中、カテドラル広場で休む。縁石に座って広場の人々をながめる。サッカーをしている子供達がいる。全部で10人位だが、下は小学校2・3年生、上は中学生位か。違う年令の子供が一団となって遊んでいる。サッカーのボールさばきはなかなかうまい。サッカーが終わるとしばらく休憩し、やがて近くで遊んでいた女の子達も一緒になって帰って行く。中心になっている中学生位の男の子はいかにもこういう近所の遊び仲間のリーダーといった顔で、おそらくは学校での勉強などはあまり出来ないのだろう。しかしこうした違った年令の子供集団というものは東京ではもうほとんど見なくなってしまった。

1980-08-23 Barcelona 夜の広場で遊ぶ子供たち私達のすぐ側には祖母・両親・子供三人のグループがいる。子供の内一人は赤ん坊で、二人は女の子。二人の女の子は縄跳びをするのに両親に縄を回してもらう。縄が大変短く(一人でやる為のもの)一人ずつしか跳べないので、一人が跳んでいる間もう一人は赤ん坊を乗せた乳母車を押して広場の中を歩き回る。大体広場の端まで行って戻って来ると交代。縄跳びの方はなかなかタイミングが合わず、長続きしない。両親はうまく跳ばせようと思って何とかタイミングを合わせてやろうとするのだが、子供とは勿論父と母ともタイミングが合わず、何となく母親の方がイラ立っている様子。何回か「もう止めた」というような感じで縄を投げ出す。

サッカーが終わった後はもう少し上の年代の子供達が三台位の自転車を広場の中で乗り回す。プカプカ警笛を鳴らし、スピードを出して回るので見ているこちらが冷や冷やする程。やがて広場を出てカテドラルを一周して来るようになる。車輪のスポークに飾りが施してある。他の一画ではゴム跳びをしている子供達。こうした子供達の遊びを周りで大人達が見るでもなく、何となくオシャベリをしながら眺めている。ゴシック地区の住民の古くからのコミュニティがまだ生きているのだろう。

宿に帰り、先ず配偶者、次に私がシャワー。シャワー室は部屋とは違って薄暗く、清潔感がなくて良くない。しかも湯の出が悪く、ほんのチョロチョロ。シャワーが良ければこの宿にずっと居るつもりだったが、これではその気になれないのでここは二泊だけにすることに決める。シャワー後、バルセローナでの大雑把な予定を立てる。窓から向かいの建物の部屋が見える。眠ったのはやはり12時過ぎ。それ程暑くもないはずなのだが、何となく蒸し蒸しする。

Andrésスペイン旅行8時過ぎに起床。オスタルの前の通りや向かい側の工事中のビルの騒音でうるさい。宿の勘定を済ませ、荷を宿に預ける。昨日もそうだったが、宿のフロントにはいつも中学生位の男の子が座ってマンガを読んでいたりするが、パスポートを見て書類を書くような仕事も簡単な仕事ではあるがちゃんとやる。今朝はこの子とおそらく兄であろう男の子の二人がフロントにいる。9時半に宿を出、先ず交易所に。交易所の前に大きな市場があったので先に市場に入ってみる。市場の中は何十軒もの肉屋、何十軒もの八百屋、果物屋、何十軒もの魚屋。そして数は少ないが缶詰類の店、香辛料店、日用雑貨屋等。魚屋は魚屋だけの一画を占め、他は入り混じっている。肉屋には例の豚の足、モモのハムが多数ブラ下がり、それに鶏の毛をむしったやつも沢山頭を引っ掛けられて並んで下げられている。店によってはこれに兎の肉が加わるのだが、これは後ろ脚から吊り下げられて頭が下になり、そこから血がしたたっているもので、あまり気分の良いものではない。店の陳列棚をよく見ると、鶏の足だけ(モモはなくて本当に足先のみ)とか、頭だけ(これにはトサカのついているのもある)をまとめて売っているのだが、あれは一体どんな料理に使うものなのだろうか。とは言ってもそんな料理を出されたって私は手も付けられないが。又内臓だけを売る店もあり、そしてあれは山羊だろうか仔牛だろうか、頭の皮を剥がれ頭蓋骨に薄く肉と血のついたやつが並べられているのだ。あれもやはり売り物なのだろうが、こんな物が食卓に出て来たら、私はもう即座に席を立たなければならないだろう。八百屋にはあのコブシ二つ分以上もある赤いピーマン、これも大きなそして紫と薄緑の縞模様のナス、サラダ菜、ピーマンやナスと同じ位の大きさのジャガイモ。玉ネギだけは日本並の大きさ。果物屋には小さな洋梨、ブドウ、バナナ、メロン(ウリ)。オレンジが比較的少ない。魚屋にはエビが多数、ムール貝、イカ。メルルーサはあのグロテスクな頭のついたやつは不思議とほとんど見掛けなかった。その他カジキマグロは切り身にして売っていたが、あとは名を知らない魚がほんの数種類で、魚の種類は日本よりずっと少ないようだ。香辛料屋では粉や葉が山積みになっていて、日本のお茶屋のような店頭風景。市場は客も沢山入り活気もあって生活が感じられる。しかし日本のような店員の掛け声や呼び声はなく、売り買いのテンポものんびりしていて、客と店員は世間話しをしながら肉を切ってもらったり果物を量ってもらったりしている。写真を10枚程撮ったが、果たして明るさはどうだったか。最後にオレンジを1kg(4個)買って市場を出る。そういえばスペインではどこでも果物・野菜は1kgいくらで表示してあり、例えば1kg60ペセタなら「60kg」となっている。市場を出て向かい側にある交易所へ。ここは昔絹等の取引が行なわれたところであるが、今はガランとした大きな建物の中に小さな机と小さな椅子(全部木製)2個が1組になって、これが何十あるいば百何十組も並べられているだけ。今でも何かの集会の折には使われるのであろうか。次はカテドラル。ここは中に入るとど真ん中が工事中で、例の穴あきレンガが積んである。大きいだけで見るべきものはない。中の一画にあるMUSEOだけが入場料を取られ、入ってみるとやはりここもキンキラキン。もうアキアキ。次は国立陶芸館。陶器とは言っても絵タイルとでも言うのだろうか、何十枚・何百枚で一組になった絵の焼き物が壁に飾られ、その他13世紀頃の素朴な絵皿から、魚・鳥・人物等を描いたもの、そしてアラブ風の文様やアラビア文字を模様にしたものなど多数。そのあまりのおびただしい数量に疲れてしまう。日本の陶器も展示してある。又車輪の直径が背丈程もある馬車や、装飾過剰の机・椅子、そしてどういうわけか絵・マンガの展示してある部屋もある。マンガは現代のものが殆ど。ゴヤの版画も数枚掛けてある。列車の時間もあり疲れてもいたので、最後の方はざっと歩き過ぎるだけになってしまう。宿に戻って荷物を受け取り、駅へ。駅は正面が大きく立派で、すぐ横にこれも大きな闘牛場がある。そういえば昨日、駅に着く前にバレンシア郊外の広場に仮設闘牛場が造られていたが、こんな大きな闘牛場があっても又仮設でやるものなのか。駅に着くと12時10分。まだ列車の出発ホームの表示は出ていないので、配偶者は昼食用のボカディージョを買い込みに行く。配偶者が戻って来た時、ちょうどバルセローナ方面行の列車がホームに入って来る。乗り込んでみると座席は殆ど全てリザーブ(予約)の札が付けられている。見渡すと比較的空席が多いので札は付いているが構わず座ることにする。昨日駅に着いてすぐ予約をしようといったのだが、配偶者がほんの5時間位のところだから大丈夫と言ってしなかったのが原因。列車は12時43分定刻に出発。ボカディージョを食べはじめたら車掌が来て「ここは~駅から乗ってくる」うんぬんと言う。私達は構わず座って食べ終える。ところが次に停車した駅で大量に乗り込んできて、私達の座った席を予約した人もおり、座席を立たねばならなくなる。一両後ろに空席を見付けたのでそこに座るが、そこもすぐに予約客が来て立たざるを得ない。バルの方に行ってちょうど海岸を走っていたので通路に立って外を見ていると、バルの従業員にそこも追い出される。仕方なくデッキの荷物置場に大きな荷を置いていたので、そこにいることにする。(16時45分バレンシア→バルセローナ列車内にて)バレンシアから乗った列車はタルゴ(国際特急)で、今までのうちで最高に乗り心地が良くスピードも速い。乗っている時の感覚は新幹線に似ているが、揺れは比較的少ない。一両が非常に短く、座席も十数列しかない。各車両の乗降口に荷物を置く棚がある。これは三段のものが二つ向かい合っているもの。私達が荷物を置いておいた所には他の客一人が最上段を使っていただけで他には何もなかった。そこで大きな荷を最下段に入れ、中段に座ることにする。配偶者はこの棚に座っても頭が上につかえるかどうかというところなのだが、私はかがんで下を向いてしまうかあるいは上体を前に傾けて頭を外に出していなければならないので疲れる。それでも立っていたりあるいは床に座っているよりは楽。ここを通って行き来する乗客達は不思議そうな顔をしたり、あるいは笑ったりしながら行く。配偶者はこの棚の中にすっぽり入り込んでしまって昼寝をしたりするが(そうすると通る人々も配偶者の存在に気付かないことが多い。そして気付くと驚いた顔をするので、それを見るのも面白い)私は仕方ないのでこの日記を書き続けることにする。ちょうど昼食時間だが、日本の列車の様な食堂車ではなく、座席まで食事を運んで来るシステム。それも幕の内弁当やサンドイッチなどではなく、又一皿に盛り合わせるのでもなく、普通のレストランの様に一皿一皿運ぶのだから大変。後片付けのボーイが沢山の皿を抱えて私達の前を通り、又デザートのケーキを盆に一杯載せて行く。時々大きく揺れる列車内でよく落としたり乗客の頭の上にひっくりかえさないものだ。やがてゴミを持って来たボーイが私達の目の前で突然ドアを開け、ゴミをバラバラのまま車外にほっぽり出したのには驚く。ちょうど田舎の、周りは畑と荒地しかないところを走っていたし、列車の窓は開かないようになっているから、線路の周辺が散らかるだけで済むと言えばそれまでだが、それにしても外を確かめるでもなくパッとやってしまうのだ。確かにスペインは道にゴミをポイポイ捨てる国で、どこの道を歩いても紙クズが沢山散れているし、バルの床などは紙クズだらけ。第一、町中にはクズかごが殆どないし、バルでも灰皿一つ置いてないところが殆どなのだから、当然床に捨てざるを得ないのだが。車内販売(これは日本と同じで車カゴに載せて来る)でオレンジ・ジュースとレモネードを買って飲む。ところがレモネードだと思って買ったのが「トニック」というもので、これは飲んだ瞬間にはカナダ・ドライの様な単なる炭酸のような感じなのだが、飲んで少しすると舌の上にザラザラした妙な苦味が残って、とにかく不味い。せっかく買ったのだからと思い無理をして飲むが、とても全部は飲み切れなかった。列車は海岸沿いを走る。この辺りの海岸は完全なリゾート地で、砂浜にはどこも沢山の海水浴客がおり(といっても日本の湘南などよりははるかに少ないのは言うまでもない)、リゾート・マンションやホテル、別荘らしき建物が並び、空き地や松林の中にはキャンピング・カーが停まっている。フランス、ドイツ、北欧辺りからのバカンス客なのだろう。定刻16時15分にバルセローナ・セントラル駅に到着。この列車はバルセローナでもう一つの別の駅にも停車するのだが、私達は様子が分からないので、ここで降りて後は地下鉄で行くことにする。列車の乗客はどうせバカンス帰りだろうからフランス辺りまで行くのだろうと思っていたら、このセントラル駅で結構多くの客が降りる。駅は今までで最も新しく、近代的なもの。大きな駅の例に漏れず、大ドームの中にホームが並んでいるのだが、各ホームから下に向かって何本ものエスカレーターがつけられている。いかにも近代工業の発展している都市バルセローナという感じ。そういえばバルセローナが近付くにつれて車窓から工場や石油化学コンビナートが多く見られるようになっていたが。こうした工場を多く見るのは北部のビルバオ以来。とにかく宿を先ず決めなければならない。ブルーガイドで見付けたオスタルのあるカテドラルへ向かうことにする。地下鉄の路線が全く分からないのでメトロの改札口まで行って尋ねると、駅は「ハイメ一世」だとのことで乗り換え駅も聞いて行く。メトロは駅も含めて非常に蒸し暑い。マドリーは二・三の駅を除けば涼しかったのに。メトロの車両はマドリーよりも新しく、日本式の座席。駅と駅の間隔もマドリーよりもずっと長く、これも日本と似ている。途中一度乗り換えて「ハイメ一世」へ。駅を出るとカテドラルらしき建物が少し見えたのでそちらへ歩いて行くと、オスタルの表示がある。ブルーガイドを見てみるとこれが目的の宿であった。入口には「2階」と表示してある。建物に入ると暗い廊下があり、左手奥に小さなエレベーターがあるのでこれに乗る。ボタンにオスタルのものがあるので押す。上ってみると2階というより3階(日本式には4階)という感じ。フロントでたずねると朝食付700ペセタ。シャワー付の部屋はないとのこと。部屋を見せてもらうと結構広くてきれいだし、窓もありカテドラルも目の前なので、シャワー付ではないのが残念だがここに決めることにする。シャワーは一回50ペセタ。部屋に入って洗面所でタオルを濡らして体を拭き、さっそく出掛けることにする。(8月23日18時35分カタルーニャ広場のカフェにて)オスタルはレイエターナ。時間がないので先ずツーリスモへ行く。オスタルの人に教えられたのはカタルーニャ広場の地下。ところが行ってみるとそこはメトロの駅と警察があるだけ。警察と言うと広場に行く途中、オスタルに比較的近い所に警察署があるが、そこの警備にあたっている警官が肩から機関銃を下げている。どういった治安状態なのか。町中を巡回している警官は、数は結構多いようだが普通の警棒とピストル程度なのに。ツーリスモがないのでミシュランの地図を見ると、もっと先の方。歩いて10分程度。ここも広く立派なツーリスモ。バルセローナの地図はもらえるが、カタロニア地方の地図はなく、書店で買うようにとのこと。一番大きな書店を配偶者に尋ねてもらうが、教えてくれたのは先程通ったカタルーニャ広場のデパートのことのようで、どうも一番大きな店と感違いしたらしい。配偶者はかなり疲れている。今度は配偶者の腹具合が悪くなってきた模様。再びカタルーニャ広場に戻り、最上階のレストランへ行く。7時前で時間的には大分早いが昼食をまともに摂っていないので、デパートの食堂ならやっているだろうと思い食事を注文するが、やはりここも他のレストランと同様この時間は食事は出ない。それではと近くのテーブルに座った老女がチューロをチョコレートに付けて美味しそうに食べていたのでチューロとチョコレート、リモナーダを注文。チョコレートはドロッとした濃いもので、これをチューロに付けて食べると確かにチューロの油臭さも和らいで旨い。夕空(と言っても夕焼けはない)に長い広告を引きずった飛行機が飛び、バルセローナ市街が見渡せる窓際の席。すぐ下にはカタルーニャ広場、沢山の鳩と人。遠くにサグラダ・ファミリアの塔。8時頃出て一階一階下りながら店内を見て回る。日本のデパートとほとんど変わらない光景。ただ化粧品の瓶がみんな大きく、少なくとも700~800ccは入りそうなもの。8時15分頃になると突然店内の照明が次々に消えはじめる。ちょうど私達は地下一階にいたが、商品を照らす明かりを消して店員達が引き上げて行く。客が残っていようがあるいは入って来ようが全くお構いなし。これでは商品を盗もうと思えば簡単に出来るような状態。しかし客としては(私達は異邦人だからかも知れないが)店内が暗くなるとやはり不安なのでどうしても出ざるを得ないから、閉店の方法としては良いのかも知れない。デパートを出て宿の方へ向かい、チューロを食べてあまり食欲もないので、宿のすぐ隣のカフェでハンバーガーとホットドッグとリモナーダ。しかしこれは不味い。パンはパサパサ。デパートを出て夕食に行く途中、カテドラル広場で休む。縁石に座って広場の人々をながめる。サッカーをしている子供達がいる。全部で10人位だが、下は小学校2・3年生、上は中学生位か。違う年令の子供が一団となって遊んでいる。サッカーのボールさばきはなかなかうまい。サッカーが終わるとしばらく休憩し、やがて近くで遊んでいた女の子達も一緒になって帰って行く。中心になっている中学生位の男の子はいかにもこういう近所の遊び仲間のリーダーといった顔で、おそらくは学校での勉強などはあまり出来ないのだろう。しかしこうした違った年令の子供集団というものは東京ではもうほとんど見なくなってしまった。私達のすぐ側には祖母・両親・子供三人のグループがいる。子供の内一人は赤ん坊で、二人は女の子。二人の女の子は縄跳びをするのに両親に縄を回してもらう。縄が大変短く(一人でやる為のもの)一人ずつしか跳べないので、一人が跳んでいる間もう一人は赤ん坊を乗せた乳母車を押して広場の中を歩き回る。大体広場の端まで行って戻って来ると交代。縄跳びの方はなかなかタイミングが合わず、長続きしない。両親はうまく跳ばせようと思って何とかタイミングを合わせてやろうとするのだが、子供とは勿論父と母ともタイミングが合わず、何となく母親の方がイラ立っている様子。何回か「もう止めた」というような感じで縄を投げ出す。サッカーが終わった後はもう少し上の年代の子供達が三台位の自転車を広場の中で乗り回す。プカプカ警笛を鳴らし、スピードを出して回るので見ているこちらが冷や冷やする程。やがて広場を出てカテドラルを一周して来るようになる。車輪のスポークに飾りが施してある。他の一画ではゴム跳びをしている子供達。こうした子供達の遊びを周りで大人達が見るでもなく、何となくオシャベリをしながら眺めている。ゴシック地区の住民の古くからのコミュニティがまだ生きているのだろう。宿に帰り、先ず配偶者、次に私がシャワー。シャワー室は部屋とは違って薄暗く、清潔感がなくて良くない。しかも湯の出が悪く、ほんのチョロチョロ。シャワーが良ければこの宿にずっと居るつもりだったが、これではその気になれないのでここは二泊だけにすることに決める。シャワー後、バルセローナでの大雑把な予定を立てる。窓から向かいの建物の部屋が見える。眠ったのはやはり12時過ぎ。それ程暑くもないはずなのだが、何となく蒸し蒸しする。退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)