8時頃起床。9時頃下に下りて宿の玄関のカウンターにいる宿の人にレンタカー会社に電話してもらう。前夜の話しでは宿まで車を持って来てくれるような雰囲気だったが、こちらから会社まで行かなければならない。メトロで行って駅から少し歩く。宿の人に聞いていたので道には迷わない。ITALという会社。この前と同じSEAT127で、しかも色もと同じ。例によって6000ペセタ前払いする。システムが前回と違い、ガソリンは少ししか入っておらず、自分で入れるようになっていて、又1km走行当たりの料金も安い。11時少し前に出発。すぐ近くのガソリン・スタンドで満タンにして、プリモ・デ・リベラ通りを走って行くといつの間にか目差していた高速道路に入っている。料金所がないので(入口)これは無料かと喜んでいたら、ちゃんとある。この料金所は自動のやつで、ゲートの手前にあるカゴに料金を投げ入れると前の遮断機が開く仕組。この日は本当の曇り空で涼しく、ドライブには大変快適。はじめにあったサービスエリアのカフェでコーヒーとパイを食べ(これが朝食代り)、再び走り出す。暫く走ると今度は日本の高速道路と同じ方式のゲートがあり、ここで券を受け取る。高速道路は大体制限速度が120km/h。私達の車は100km/hまでは良いのだが、100km/hを越えた途端にハンドルが小刻みに震え出す。最初は不安でスピードを抑え目にしていたが、段々慣れて来ると120km/hを維持するようになる。ここでは皆きちんと右側の車線を走り、追い越し車線を走っている車も後方から速い車が近付くとすみやかに右に寄るので、流れがとてもスムーズ。通行量がそれ程多くないことにもよるのだが。内陸部(と言ってもずっと平地)を走ってフィゲーラスで高速道路を下りる。インターチェンジは町の手前。

フィゲーラスは共和国政府がバルセローナから移転して来た所で、それも戦争末期の敗色濃い時期のこと。思っていたよりもずっと大きな都市のように見えた。ここから一般道路を地中海の方向へ走る。一般道と言っても制限が100kn/hになっている所もあり、高速と変わらないスピードが出せる(大部分は80km/h)。地中海岸は砂浜のある所は何処も海水浴場のようで、必ずキャンプ場があったりキャンピングカーがいたり別荘があったりする。

1980-08-25 Barcelona 海岸にてそうした浜辺の一つに下りてみる。曇って涼しいせいか、あるいはバカンスも終わりに近付いているためか、浜に出ている人は少ない。水はそんなに冷たくはなく、塩っぱい(当然)。海岸沿いの道は狭く曲がりくねっていて、左ハンドルには前回のこともあるので随分慣れたとは言っても、まだ右側の車幅感覚がよくつかめていないので、非常に走りにくい。

1980-08-25 Port Bou 湾に面した町スペイン側国境の町ポール・ボー。ここは本当に小さな町で、駅だけが町に不似合いに大きい。国境で列車を乗り換えるためだけにあるような町。町を通り抜けて山に入ると、そこが国境線

1980-08-25 Port Bou フランスとの国境で道路の両端に小さな印があるだけ。記念の写真を撮る。

1980-08-25 Port Bou 国境検問所その少し先に国境監視所。フランス側からの車は長い列をつくっているが、スペイン側からの車は少ない。フランス警官の取り調べ。パスポートは簡単に調べ終わる、と言うよりも表紙だけで中を見もしない。その代りグリーン・カードなるものの提示を求められ、分からないので持っていないと言うと事務所へ行けと言われる。パスポート、免許証、車検証を持って行ってみると、この車検証がグリーン・カード。見てみると確かに緑色をしている。これで簡単に通過。フランス側からの車の中にはトランクの中まで調べられているものもある。

セルベールの町を過ぎ、小さな港町のカフェに入る。ケーキを食べようと思ったが、ないのでサンドイッチにする。サンドイッチと言ってもスペインのボカディージョと同じ形。ただしパンはずっと軟らかく旨い。そして物価もべらぼうに高い。バルセローナに来てこれまでと比べると何でも随分高くなったと思っていたら、フランスに入るとそれどころではない。円との交換レートが狂っているのではないかと思う程。スペインに入る前にパリで交換していて余っていたフランが役立つ。

1980-08-26 ピレネーの谷アンドラを目差して走る。山に入ると、険しい断崖の間を通る。高い崖と崖の間に川と道路だけが走っている。途中、雨が激しく降る。東京を出てから初めての雨らしい雨。川の流れは奥入瀬の様な感じで、秋に訪れるとさぞ美しいだろうと思えるような所。それにしてもスペインからフランスに入ると、どうしてこうも緑が美しいのか。カタルーニャに入って他のスペイン各地より緑が多いと感じていたが、フランスに入ると緑の量も勿論多いのだが、その緑の質が違うのだ。日本の景色に例えてみると、スペインの緑は真夏のあの暑苦しい、触ると硬く厚いような緑。それに対してフランスの緑は春の新緑。あの有名な「ピレネーの向こう側はアフリカ」という言葉が、こうして国境を越えるとまさに実感として迫って来る。これではフランスとスペインの間の経済力の差異はどうやってみても絶対に出るのが当然だと感じられて来る。又町並みも、スペインの何となくうらぶれた様子に対して、フランスは小ぎれいで垢抜けしている。これはどうしても、善し悪しの問題ではなく「ピレネーの向こう側は…」と言いたくなるのだ。勿論スペインも全体を見れば文化として紛れもなくヨーロッパなのだが。

フランス側の詳しい地図を持っていない為、違う道を通ってしまったようで、大分遠回りをしてしまった。景色はやがてなだらかな緑の丘の続く牧場地帯。再びピレネーへ向かう。アンドラが近付くと道がぐっと広くなり、山道ではあるがカーブも緩く、非常に走りやすくなる。空はいつの間にか晴れて来ている。

1980-08-26 アンドラの街夕暮れ時(8時半頃か)にアンドラに入る。国境には検問所さえもなく、全くのノン・ストップで通過。国境の町は又、大変小さな町で、アンドラが無税の国の為、外国から買物客が訪れるので、それを目当ての土産物屋があるだけのような町。中心のアンドーラ・ラ・ベーラの町へ行く。途中、きれいなホテルがポツンポツンとある。スイスの村の様な家の造り。

1980-08-26 アンドラ市街地アンドーラ・ラ・ベーラの町は交通渋滞。これが首都なのだろうが、大通り一本だけの町。町の中心への車があまりに多いので、スペイン方向への脇道に入り、すぐのレストランの駐車場に車を止める。有料駐車場らしいが、誰も何とも言って来ないのでそのままにして、安いレストランを探す。町は観光客(買物客)がぞろぞろ歩き、店には各国の品々が並べられている。無税だから安いことは安いのだろう。そう言えば、止まる前にガソリン・スタンドでガソリンを入れたら、ガソリンがなくなりそうで仕方なく入れたフランスでの値段よりも、又朝入れたスペインでの値段よりも安かった。ガソリンだけはアンドラも税金を課けているとのことだが、率が低いのだろう。

レストランでは値段がフランとペセタの両方で表示してあり、どちらで払うかをたずねられ、ペセタと言うとスペイン語で話しをしてくる。ガソリン・スタンドでも両方の表示。恐らくこの国の人は皆、二ヶ国語を使えるのだろう。

10時頃出発。もう真っ暗な道を走る。大通りからほんの少し離れただけで家はなくなり、道は暗くなる。しかもこの道はアンドラに入る時の道とは逆に、狭い。スペインとの国境では検問がある。私達はパスポートを見られただけで簡単に通過。よくは分からないがどうも名前の欄も見なかったようで、ただ「Republic of …」という北朝群のことを書いた所だけを読んでいた。日本のパスポートが珍しいのだろうか。ところが私達の前にいた車はトランクの中を見られており、又もう一台前の車は全員降ろされて車のトランクは勿論、手荷物の中身まで調べられていた。買物をし過ぎてスペインへの持ち込み制限をオーバーしたのだろうか。

スペインに入ってからも狭い山道が続く。最初は一台で走っていたが、とにかくセンターラインもなくガードレールもないので、カーブがどうなっているのか分かりにくくて走りにくいことおびただしい。そこで後ろから追い付いて来た車が私達を追い越したので、その車の後に付いて行くことにする。地元の車なのか相当のスピードを出して走って行くので、付いて行くのに苦労する。神経があまりにも疲れるのでもうやめて、自分のペースで走ることにする。それでもやはりゆっくり走ると帰りが遅くなるので、いくらかはスピードを出して行く。すると前に比較的ゆっくり走っている車がいてそれに追い付いたので、今度はこの車についてゆくことにする。これは先程のとは違ってゆったりと走っているので、こちらものんびり付いて行くことが出来る。この車、私達を先に行かせたいのか直線に来るとスピードを落としていたが、私が追い抜かないのでやがて安定した走りをするようになる。ところがしばらくすると時々道の真ん中や左側を走るようになってみたり、対向車が来ると必要以上に右端を走ったりするようになり、一度などは舗装のない路側に車輪を入れて走ったりしだした。これはどうも居眠りではないかと思い、しかもノロノロ運転になったので追い越してみると、車はすぐに右端に止まってしまった。たぶん眠気に耐えられなくなったのだろう。

私はそんなに眠くはなかったが、隣で眠られるとこちらも眠くなる可能性があるので、配偶者には歌を唄ってもらうことにして、アイウエオ順で歌を続けてもらう。こうした道をずっと走り、夜中の1時頃名前も知らない町で開いているバルを見付けたので、車を止めて休憩。さすがにスペイン、まだ客が何人かいた。しかし私達が店を出るとすぐに閉店してしまった。その後もあまり広くない山道を走って行く。バルセローナへの近道の為、又狭い山道に入るが、ほとんどすれ違う車もない。さすがの配偶者も時々ウトウトするようになったので、もうバルセローナへの道も分かったことだし、眠ってもらうことにする。道はやっと直線の多い所になってきたので100km/hに近いスピードを出して急ぐ。対向車が来たり家並みが出てくるといくらかスピードを落とすようにしたが。やがて又いつの間にか往路に通った高速道路に入り、例のコインを投げ入れる料金所が見えたので、配偶者を起こす。往路、もし小銭の持ち合せがなかったらどうするのだろうと思っていたが、今度見てみるとちゃんと人のいるゲートもある。

バルセローナの市街地に入り、勘と地図を頼りに走って海岸通りに出、コロンブス記念柱からランブラスに入る。ところが宿への道は一方通行で入れず、適当に脇路に入ったら行き止まりで戻らされたりして、結局はレイエターナ通りに出て逆方向からハイメ1世通りに入り、宿の近くに路上駐車。車が沢山止まっているので大丈夫だろう。

1980-08-26 真夜中に帰り着いたHostal California宿に着くと、宿の人がソファーで居眠りをしながら待っていてくれる。尋ねると朝までは駐車可だとのこと。宿に着いたのは午前3時を過ぎていた。私は顔を洗ってすぐにベッドに入るが、もう4時になっている。

Andrésスペイン旅行8時頃起床。9時頃下に下りて宿の玄関のカウンターにいる宿の人にレンタカー会社に電話してもらう。前夜の話しでは宿まで車を持って来てくれるような雰囲気だったが、こちらから会社まで行かなければならない。メトロで行って駅から少し歩く。宿の人に聞いていたので道には迷わない。ITALという会社。この前と同じSEAT127で、しかも色も赤と同じ。例によって6000ペセタ前払いする。システムが前回と違い、ガソリンは少ししか入っておらず、自分で入れるようになっていて、又1km走行当たりの料金も安い。11時少し前に出発。すぐ近くのガソリン・スタンドで満タンにして、プリモ・デ・リベラ通りを走って行くといつの間にか目差していた高速道路に入っている。料金所がないので(入口)これは無料かと喜んでいたら、ちゃんとある。この料金所は自動のやつで、ゲートの手前にあるカゴに料金を投げ入れると前の遮断機が開く仕組。この日は本当の曇り空で涼しく、ドライブには大変快適。はじめにあったサービスエリアのカフェでコーヒーとパイを食べ(これが朝食代り)、再び走り出す。暫く走ると今度は日本の高速道路と同じ方式のゲートがあり、ここで券を受け取る。高速道路は大体制限速度が120km/h。私達の車は100km/hまでは良いのだが、100km/hを越えた途端にハンドルが小刻みに震え出す。最初は不安でスピードを抑え目にしていたが、段々慣れて来ると120km/hを維持するようになる。ここでは皆きちんと右側の車線を走り、追い越し車線を走っている車も後方から速い車が近付くとすみやかに右に寄るので、流れがとてもスムーズ。通行量がそれ程多くないことにもよるのだが。内陸部(と言ってもずっと平地)を走ってフィゲーラスで高速道路を下りる。インターチェンジは町の手前。フィゲーラスは共和国政府がバルセローナから移転して来た所で、それも戦争末期の敗色濃い時期のこと。思っていたよりもずっと大きな都市のように見えた。ここから一般道路を地中海の方向へ走る。一般道と言っても制限が100kn/hになっている所もあり、高速と変わらないスピードが出せる(大部分は80km/h)。地中海岸は砂浜のある所は何処も海水浴場のようで、必ずキャンプ場があったりキャンピングカーがいたり別荘があったりする。そうした浜辺の一つに下りてみる。曇って涼しいせいか、あるいはバカンスも終わりに近付いているためか、浜に出ている人は少ない。水はそんなに冷たくはなく、塩っぱい(当然)。海岸沿いの道は狭く曲がりくねっていて、左ハンドルには前回のこともあるので随分慣れたとは言っても、まだ右側の車幅感覚がよくつかめていないので、非常に走りにくい。スペイン側国境の町ポール・ボー。ここは本当に小さな町で、駅だけが町に不似合いに大きい。国境で列車を乗り換えるためだけにあるような町。町を通り抜けて山に入ると、そこが国境線。道路の両端に小さな印があるだけ。記念の写真を撮る。その少し先に国境監視所。フランス側からの車は長い列をつくっているが、スペイン側からの車は少ない。フランス警官の取り調べ。パスポートは簡単に調べ終わる、と言うよりも表紙だけで中を見もしない。その代りグリーン・カードなるものの提示を求められ、分からないので持っていないと言うと事務所へ行けと言われる。パスポート、免許証、車検証を持って行ってみると、この車検証がグリーン・カード。見てみると確かに緑色をしている。これで簡単に通過。フランス側からの車の中にはトランクの中まで調べられているものもある。セルベールの町を過ぎ、小さな港町のカフェに入る。ケーキを食べようと思ったが、ないのでサンドイッチにする。サンドイッチと言ってもスペインのボカディージョと同じ形。ただしパンはずっと軟らかく旨い。そして物価もべらぼうに高い。バルセローナに来てこれまでと比べると何でも随分高くなったと思っていたら、フランスに入るとそれどころではない。円との交換レートが狂っているのではないかと思う程。スペインに入る前にパリで交換していて余っていたフランが役立つ。アンドラを目差して走る。山に入ると、険しい断崖の間を通る。高い崖と崖の間に川と道路だけが走っている。途中、雨が激しく降る。東京を出てから初めての雨らしい雨。川の流れは奥入瀬の様な感じで、秋に訪れるとさぞ美しいだろうと思えるような所。それにしてもスペインからフランスに入ると、どうしてこうも緑が美しいのか。カタルーニャに入って他のスペイン各地より緑が多いと感じていたが、フランスに入ると緑の量も勿論多いのだが、その緑の質が違うのだ。日本の景色に例えてみると、スペインの緑は真夏のあの暑苦しい、触ると硬く厚いような緑。それに対してフランスの緑は春の新緑。あの有名な「ピレネーの向こう側はアフリカ」という言葉が、こうして国境を越えるとまさに実感として迫って来る。これではフランスとスペインの間の経済力の差異はどうやってみても絶対に出るのが当然だと感じられて来る。又町並みも、スペインの何となくうらぶれた様子に対して、フランスは小ぎれいで垢抜けしている。これはどうしても、善し悪しの問題ではなく「ピレネーの向こう側は…」と言いたくなるのだ。勿論スペインも全体を見れば文化として紛れもなくヨーロッパなのだが。フランス側の詳しい地図を持っていない為、違う道を通ってしまったようで、大分遠回りをしてしまった。景色はやがてなだらかな緑の丘の続く牧場地帯。再びピレネーへ向かう。アンドラが近付くと道がぐっと広くなり、山道ではあるがカーブも緩く、非常に走りやすくなる。空はいつの間にか晴れて来ている。夕暮れ時(8時半頃か)にアンドラに入る。国境には検問所さえもなく、全くのノン・ストップで通過。国境の町は又、大変小さな町で、アンドラが無税の国の為、外国から買物客が訪れるので、それを目当ての土産物屋があるだけのような町。中心のアンドーラ・ラ・ベーラの町へ行く。途中、きれいなホテルがポツンポツンとある。スイスの村の様な家の造り。アンドーラ・ラ・ベーラの町は交通渋滞。これが首都なのだろうが、大通り一本だけの町。町の中心への車があまりに多いので、スペイン方向への脇道に入り、すぐのレストランの駐車場に車を止める。有料駐車場らしいが、誰も何とも言って来ないのでそのままにして、安いレストランを探す。町は観光客(買物客)がぞろぞろ歩き、店には各国の品々が並べられている。無税だから安いことは安いのだろう。そう言えば、止まる前にガソリン・スタンドでガソリンを入れたら、ガソリンがなくなりそうで仕方なく入れたフランスでの値段よりも、又朝入れたスペインでの値段よりも安かった。ガソリンだけはアンドラも税金を課けているとのことだが、率が低いのだろう。レストランでは値段がフランとペセタの両方で表示してあり、どちらで払うかをたずねられ、ペセタと言うとスペイン語で話しをしてくる。ガソリン・スタンドでも両方の表示。恐らくこの国の人は皆、二ヶ国語を使えるのだろう。10時頃出発。もう真っ暗な道を走る。大通りからほんの少し離れただけで家はなくなり、道は暗くなる。しかもこの道はアンドラに入る時の道とは逆に、狭い。スペインとの国境では検問がある。私達はパスポートを見られただけで簡単に通過。よくは分からないがどうも名前の欄も見なかったようで、ただ「Republic of …」という北朝群のことを書いた所だけを読んでいた。日本のパスポートが珍しいのだろうか。ところが私達の前にいた車はトランクの中を見られており、又もう一台前の車は全員降ろされて車のトランクは勿論、手荷物の中身まで調べられていた。買物をし過ぎてスペインへの持ち込み制限をオーバーしたのだろうか。スペインに入ってからも狭い山道が続く。最初は一台で走っていたが、とにかくセンターラインもなくガードレールもないので、カーブがどうなっているのか分かりにくくて走りにくいことおびただしい。そこで後ろから追い付いて来た車が私達を追い越したので、その車の後に付いて行くことにする。地元の車なのか相当のスピードを出して走って行くので、付いて行くのに苦労する。神経があまりにも疲れるのでもうやめて、自分のペースで走ることにする。それでもやはりゆっくり走ると帰りが遅くなるので、いくらかはスピードを出して行く。すると前に比較的ゆっくり走っている車がいてそれに追い付いたので、今度はこの車についてゆくことにする。これは先程のとは違ってゆったりと走っているので、こちらものんびり付いて行くことが出来る。この車、私達を先に行かせたいのか直線に来るとスピードを落としていたが、私が追い抜かないのでやがて安定した走りをするようになる。ところがしばらくすると時々道の真ん中や左側を走るようになってみたり、対向車が来ると必要以上に右端を走ったりするようになり、一度などは舗装のない路側に車輪を入れて走ったりしだした。これはどうも居眠りではないかと思い、しかもノロノロ運転になったので追い越してみると、車はすぐに右端に止まってしまった。たぶん眠気に耐えられなくなったのだろう。私はそんなに眠くはなかったが、隣で眠られるとこちらも眠くなる可能性があるので、配偶者には歌を唄ってもらうことにして、アイウエオ順で歌を続けてもらう。こうした道をずっと走り、夜中の1時頃名前も知らない町で開いているバルを見付けたので、車を止めて休憩。さすがにスペイン、まだ客が何人かいた。しかし私達が店を出るとすぐに閉店してしまった。その後もあまり広くない山道を走って行く。バルセローナへの近道の為、又狭い山道に入るが、ほとんどすれ違う車もない。さすがの配偶者も時々ウトウトするようになったので、もうバルセローナへの道も分かったことだし、眠ってもらうことにする。道はやっと直線の多い所になってきたので100km/hに近いスピードを出して急ぐ。対向車が来たり家並みが出てくるといくらかスピードを落とすようにしたが。やがて又いつの間にか往路に通った高速道路に入り、例のコインを投げ入れる料金所が見えたので、配偶者を起こす。往路、もし小銭の持ち合せがなかったらどうするのだろうと思っていたが、今度見てみるとちゃんと人のいるゲートもある。バルセローナの市街地に入り、勘と地図を頼りに走って海岸通りに出、コロンブス記念柱からランブラスに入る。ところが宿への道は一方通行で入れず、適当に脇路に入ったら行き止まりで戻らされたりして、結局はレイエターナ通りに出て逆方向からハイメ1世通りに入り、宿の近くに路上駐車。車が沢山止まっているので大丈夫だろう。宿に着くと、宿の人がソファーで居眠りをしながら待っていてくれる。尋ねると朝までは駐車可だとのこと。宿に着いたのは午前3時を過ぎていた。私は顔を洗ってすぐにベッドに入るが、もう4時になっている。退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)