起床後、私が荷物を詰めでいる間に配偶者は近くの両替所に行ってトラベラーズ・チェックを現金に換えて来る。そのついでに宿近くのパン屋でパンを買って来たので、部屋でそれを食べて朝食にする。スペインでは珍しく柔らかいパンで、しかも比較的うまい。下に降りて宿代を支払い、大きなバッグとデパートで買った黒のバッグを預け、私はショルダー・バッグ、配偶者はハンド・バッグだけを持って出掛ける。

1980-08-27 Barcelona Pl. Espanaメトロでスペイン広場まで行き、そこからバスに乗る。ところがバスに乗ってみるとほんの3・4分坂を登った所がスペイン村。運転手の「プエブロ・エスパーニャ」と言う声でバスを降りる。降りた所に案内表示が出ているが、それには「プエブロ…」とは書いていないので歩き始めようとすると、バスの運転手が指差して教えてくれる。やはり最初に思った通り、それはバス停の道路を隔てた反対側。

1980-08-27 Barcelona スペイン村プエブロ・エスパーニャ(スペイン村)に入場料を払って入ってみると、すぐに土産物屋があり、入ってみると木製品が色々あるのでサラダ用のフォークとスプーンを買う。広場に出てみるとちょうどカフェが営業を始めたばかりの様子なので座ってカフェ・コン・イェロを飲む。入場客はあまり多くはないようだ。カフェを出て見物をはじめる。

1980-08-27 Barcelona スペイン村の通りの人々このスペイン村はブルーガイドには「スペインの明治村」と書いてあるが、有名な建物があるわけではなく、各地の家並みを再現したもので、中で全国各地の土産物を売っているというので、私達は主にこの土産物目当てで来た次第。歩き回ってみると確かに土産物店が多い。店をのぞきながら見物する。土産は何がいいかと探し回る。例の白い素焼きの壺もあるにはあったが、いざ見てみると何かピンと来ないのでやめて、これは昨日スーパーで見たやつを買うことにする。色ガラスのきれいな花瓶があったので一番小さなのを買う。それに姪のKちゃんへの布の手提げも買う。カスタネットがあったので買おうと思ってその店に戻るが、もうシェスタの時間なのか閉店してしまっていて買えない。

スペイン村を出て今度は歩いてメトロの駅(スペイン広場)まで行く。歩いてみると下りのせいもあるのだろうが大変近い。

1980-08-27 Barcelona 広場の噴水メトロをカタルーニャ広場で降り、ランブラスを歩いて昨日行ったスーパーマーケットに向う。

1980-08-27 Barcelona ランブラス途中のカフェで立ったまま昼食を済ませる。スーパーマーケット茶色の焼き物の水差しとコップのセットを買い、土産物屋(シェスタの時間でも土産店は開いている店がある)でカスタネットを買って宿に戻る。

宿で預けていた荷物を受け取り、ハイメ1世通りを歩き、ピカソ美術館の近くを通り過ぎてテルミノ駅へ行く。宿から駅までタクシーを使おうかと思っていたが、タクシーだと遠回りだが、歩けばそんなに遠くはないし、それ程疲れてもいなかったので歩くことにした。

駅に着くともうホームに列車が入っているのですぐに乗り込み、その後配偶者はジュースと水を買いに行って来る。同室は親子なのだろうか初老の女性と若い男で、彼らは窓際に座ってよく喋っている。この列車も一等車だが、例によってオンボロ。テルミノ発15時50分(定刻)。カタルーニャ・エクスプレスという名にもかかわらず、あちこちの駅に停車する。しかもどういう訳か、はじめの内は特に駅でもない所でもしょっ中停車する。

見るべき所を沢山残し、探さなければならない所もまだまだあるバルセローナ。長年、外国旅行をするならバルセローナと思っていた街も、何だか早く過ぎてしまった。この旅行中では最も長く滞在した街だったのだが。

バルセローナを出て間もなく、一昨日通った高速道路や休んだサービスエリアが車窓の右手に見える。カタロニアは緑が多い。それも列車が進むに従ってあの新緑色に変化して行く。所々に別荘の様な家が見られる。バルセローナでは晴れて陽光が差していたのが、やがて薄日になり、更に曇ってポツポツと雨が降りはじめる。本降りの時間は短かったが。列車内ではほとんど日記を書いて過ごすが、数日間書いていなかったので、23日の分を書いたところで眠くなってしまい、しばらく昼寝。配偶者も同様。

目が覚めてみると雨は止んで時々陽も差すようになっている。しかしバルセローナでは日向は暑くて仕方なかったのが、もう陽光をまともに浴びても暑くはない。列車からは地中海はほんの少ししか見られない。海の色は今日も真っ青。夏も終わりなのか海岸の人出も少なく感じられる。

1980-08-27 Barcelona 駅構内国境の町ポート・ボーには、ごく普通の田舎の駅という感じで停車。ポート・ボーを出てすぐのトンネルを抜けると、もうそこはフランス。これでもうスペインともお別れ。又このスペインを、カタルーニャを、バルセローナを訪れることはあるのだろうか。そして例え訪れることがあるにしても、それは一体何時のことなのだろうか。去るとなると一層このスペインにもう一ヶ月、いやもう一日でもいいから居たい気持ちになってくる。

トンネルを出るとすぐにセルベールの駅。18時40分着の予定が50分遅れて19時30分に着。荷物を下すのなどに手間取り、列車を降りたのは一番後の方。並んで税関検査。例によって私達はパスポートを見せるだけで通過。駅の売店で弁当(パン・チーズ・ハム・チキン・ポテトチップ・オレンジ)を買おうとするが、手持ちのフランでは二人分には不足。両替所で残ったわずかのペセタをフランに交換して来て買う。売店にはちゃんと日本語のメニュー(弁当の内容を記してあるもの)が置いてある。ここでテルミノ駅で買って来た水を落し、プラスチック容器が少し破れたらしく水がしたたりはじめる。地下道を通ってホームに行き、もう入っている列車に乗り込む。反対側にもパリ行の寝台列車が入っている。はじめて(この旅で唯一)の寝台車。一等寝台だが、二段式で一室に四人。ベッドは巾もいくらか広く長さも長いが、全体の設備は日本の二等寝台車の方が良く、洗面所もない。この時の同室は学生風の若い男性で、彼の仲間が隣室に二人程いる模様。上段ベッドの側(入口の上)の棚に大きな荷物を載せようと、私がベッドに登り配偶者に荷を持ち上げようとしてもらうが、重くて苦労していると、この男性がいとも軽々と持ち上げでくれる。体の大きさが違うが、力の強いこと。混んで来ない内にと思い、さっそく弁当を食べはじめる。値段の割にはあまり美味しくない。やはりフランスは物価がべらぼうに高い。水が漏れるので水もこの食事で全部飲んでしまう。

列車は定刻20時23分を少し遅れて出発。もう薄暗くなっている。列車はほとんど各駅停車のようにあちこちの駅に止まり、その度に乗客が増えてくる。私達の部屋にもやがて中年の女性が乗り込んできたが、この人の荷物もあの男性が軽々と棚に載せてあげる。ある駅に停車中、ホームに救急車が入って来たので急病人でも出たのかと思って見ていると、その反対で救急車に乗せて来た病人を列車に乗せ換えている。全く身体の動かせない病人らしく、毛布の様なものに病人をくるんで二人で抱え、列車に乗せている。それは私達の隣の車両だったようだ。列車のステップが高いので苦労していたよう。救急車がホームに入れるのもホームが低いためだろうが、その分ステップが高くなるので、この場合はホームが低いのも一長一短である。しばらくたって又別の駅でホームに救急車が止まっているので、先程の病人を降ろすのかと思っていると、今度も又病人が乗り込んでいる。よくは分からないが恐らく停車時間を延長しているのだろうが、病人が列車に乗れるのはやはりのんびりした国なのであろう。

22時40分に進行方向を逆にしてナルボンヌ駅を出発。まだ早いが同室の二人が眠る準備をしてしまったのでいつまでも起きて日記を書き続けるわけには行かないので、私達も眠ることにする。切符の手配の仕方がどうなっているのか、私達のベッドは入口を入って左上と右下。左下が中年の女性だし上に登るのも大変なので、私が上に行き、配偶者が下。ベッドには袋状になった消毒済(ビニール袋に入っている)シーツと枕と毛布。これまでの夜行列車と違ってやはり寝台車は楽に眠れる。窓のカーテンを閉め忘れたので駅を通過する時に明かりが少し気になるが、すぐに眠り込んでしまい、とうとうパリまで一度も目を覚まさないで行ってしまう。

Andrésスペイン旅行起床後、私が荷物を詰めでいる間に配偶者は近くの両替所に行ってトラベラーズ・チェックを現金に換えて来る。そのついでに宿近くのパン屋でパンを買って来たので、部屋でそれを食べて朝食にする。スペインでは珍しく柔らかいパンで、しかも比較的うまい。下に降りて宿代を支払い、大きなバッグとデパートで買った黒のバッグを預け、私はショルダー・バッグ、配偶者はハンド・バッグだけを持って出掛ける。メトロでスペイン広場まで行き、そこからバスに乗る。ところがバスに乗ってみるとほんの3・4分坂を登った所がスペイン村。運転手の「プエブロ・エスパーニャ」と言う声でバスを降りる。降りた所に案内表示が出ているが、それには「プエブロ…」とは書いていないので歩き始めようとすると、バスの運転手が指差して教えてくれる。やはり最初に思った通り、それはバス停の道路を隔てた反対側。プエブロ・エスパーニャ(スペイン村)に入場料を払って入ってみると、すぐに土産物屋があり、入ってみると木製品が色々あるのでサラダ用のフォークとスプーンを買う。広場に出てみるとちょうどカフェが営業を始めたばかりの様子なので座ってカフェ・コン・イェロを飲む。入場客はあまり多くはないようだ。カフェを出て見物をはじめる。このスペイン村はブルーガイドには「スペインの明治村」と書いてあるが、有名な建物があるわけではなく、各地の家並みを再現したもので、中で全国各地の土産物を売っているというので、私達は主にこの土産物目当てで来た次第。歩き回ってみると確かに土産物店が多い。店をのぞきながら見物する。土産は何がいいかと探し回る。例の白い素焼きの壺もあるにはあったが、いざ見てみると何かピンと来ないのでやめて、これは昨日スーパーで見たやつを買うことにする。色ガラスのきれいな花瓶があったので一番小さなのを買う。それに姪のKちゃんへの布の手提げも買う。カスタネットがあったので買おうと思ってその店に戻るが、もうシェスタの時間なのか閉店してしまっていて買えない。スペイン村を出て今度は歩いてメトロの駅(スペイン広場)まで行く。歩いてみると下りのせいもあるのだろうが大変近い。メトロをカタルーニャ広場で降り、ランブラスを歩いて昨日行ったスーパーマーケットに向う。途中のカフェで立ったまま昼食を済ませる。スーパーマーケットで茶色の焼き物の水差しとコップのセットを買い、土産物屋(シェスタの時間でも土産店は開いている店がある)でカスタネットを買って宿に戻る。宿で預けていた荷物を受け取り、ハイメ1世通りを歩き、ピカソ美術館の近くを通り過ぎてテルミノ駅へ行く。宿から駅までタクシーを使おうかと思っていたが、タクシーだと遠回りだが、歩けばそんなに遠くはないし、それ程疲れてもいなかったので歩くことにした。駅に着くともうホームに列車が入っているのですぐに乗り込み、その後配偶者はジュースと水を買いに行って来る。同室は親子なのだろうか初老の女性と若い男で、彼らは窓際に座ってよく喋っている。この列車も一等車だが、例によってオンボロ。テルミノ発15時50分(定刻)。カタルーニャ・エクスプレスという名にもかかわらず、あちこちの駅に停車する。しかもどういう訳か、はじめの内は特に駅でもない所でもしょっ中停車する。見るべき所を沢山残し、探さなければならない所もまだまだあるバルセローナ。長年、外国旅行をするならバルセローナと思っていた街も、何だか早く過ぎてしまった。この旅行中では最も長く滞在した街だったのだが。バルセローナを出て間もなく、一昨日通った高速道路や休んだサービスエリアが車窓の右手に見える。カタロニアは緑が多い。それも列車が進むに従ってあの新緑色に変化して行く。所々に別荘の様な家が見られる。バルセローナでは晴れて陽光が差していたのが、やがて薄日になり、更に曇ってポツポツと雨が降りはじめる。本降りの時間は短かったが。列車内ではほとんど日記を書いて過ごすが、数日間書いていなかったので、23日の分を書いたところで眠くなってしまい、しばらく昼寝。配偶者も同様。目が覚めてみると雨は止んで時々陽も差すようになっている。しかしバルセローナでは日向は暑くて仕方なかったのが、もう陽光をまともに浴びても暑くはない。列車からは地中海はほんの少ししか見られない。海の色は今日も真っ青。夏も終わりなのか海岸の人出も少なく感じられる。国境の町ポート・ボーには、ごく普通の田舎の駅という感じで停車。ポート・ボーを出てすぐのトンネルを抜けると、もうそこはフランス。これでもうスペインともお別れ。又このスペインを、カタルーニャを、バルセローナを訪れることはあるのだろうか。そして例え訪れることがあるにしても、それは一体何時のことなのだろうか。去るとなると一層このスペインにもう一ヶ月、いやもう一日でもいいから居たい気持ちになってくる。トンネルを出るとすぐにセルベールの駅。18時40分着の予定が50分遅れて19時30分に着。荷物を下すのなどに手間取り、列車を降りたのは一番後の方。並んで税関検査。例によって私達はパスポートを見せるだけで通過。駅の売店で弁当(パン・チーズ・ハム・チキン・ポテトチップ・オレンジ)を買おうとするが、手持ちのフランでは二人分には不足。両替所で残ったわずかのペセタをフランに交換して来て買う。売店にはちゃんと日本語のメニュー(弁当の内容を記してあるもの)が置いてある。ここでテルミノ駅で買って来た水を落し、プラスチック容器が少し破れたらしく水がしたたりはじめる。地下道を通ってホームに行き、もう入っている列車に乗り込む。反対側にもパリ行の寝台列車が入っている。はじめて(この旅で唯一)の寝台車。一等寝台だが、二段式で一室に四人。ベッドは巾もいくらか広く長さも長いが、全体の設備は日本の二等寝台車の方が良く、洗面所もない。この時の同室は学生風の若い男性で、彼の仲間が隣室に二人程いる模様。上段ベッドの側(入口の上)の棚に大きな荷物を載せようと、私がベッドに登り配偶者に荷を持ち上げようとしてもらうが、重くて苦労していると、この男性がいとも軽々と持ち上げでくれる。体の大きさが違うが、力の強いこと。混んで来ない内にと思い、さっそく弁当を食べはじめる。値段の割にはあまり美味しくない。やはりフランスは物価がべらぼうに高い。水が漏れるので水もこの食事で全部飲んでしまう。列車は定刻20時23分を少し遅れて出発。もう薄暗くなっている。列車はほとんど各駅停車のようにあちこちの駅に止まり、その度に乗客が増えてくる。私達の部屋にもやがて中年の女性が乗り込んできたが、この人の荷物もあの男性が軽々と棚に載せてあげる。ある駅に停車中、ホームに救急車が入って来たので急病人でも出たのかと思って見ていると、その反対で救急車に乗せて来た病人を列車に乗せ換えている。全く身体の動かせない病人らしく、毛布の様なものに病人をくるんで二人で抱え、列車に乗せている。それは私達の隣の車両だったようだ。列車のステップが高いので苦労していたよう。救急車がホームに入れるのもホームが低いためだろうが、その分ステップが高くなるので、この場合はホームが低いのも一長一短である。しばらくたって又別の駅でホームに救急車が止まっているので、先程の病人を降ろすのかと思っていると、今度も又病人が乗り込んでいる。よくは分からないが恐らく停車時間を延長しているのだろうが、病人が列車に乗れるのはやはりのんびりした国なのであろう。22時40分に進行方向を逆にしてナルボンヌ駅を出発。まだ早いが同室の二人が眠る準備をしてしまったのでいつまでも起きて日記を書き続けるわけには行かないので、私達も眠ることにする。切符の手配の仕方がどうなっているのか、私達のベッドは入口を入って左上と右下。左下が中年の女性だし上に登るのも大変なので、私が上に行き、配偶者が下。ベッドには袋状になった消毒済(ビニール袋に入っている)シーツと枕と毛布。これまでの夜行列車と違ってやはり寝台車は楽に眠れる。窓のカーテンを閉め忘れたので駅を通過する時に明かりが少し気になるが、すぐに眠り込んでしまい、とうとうパリまで一度も目を覚まさないで行ってしまう。退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)