映画『モンテッソーリ 子どもの家』教育ドキュメンタリー

2017年制作のフランス映画「モンテッソーリ 子どもの家」を観た。この前、映画館に行ったのは昨年の1月22日なので、1年1ヵ月ぶりということになる。月曜昼間の地味な映画なので、館内はガラガラ。コロナ感染の心配はまずないだろう。

作品は、モンテッソーリ・メソッドで運営されているフランスの幼稚園のドキュメンタリー。3歳から6歳の子どもたちの様子が映し出されている。

同感できたのは、異年齢でクラスが組まれていて、年長児が年少児の相手をしながら生活している点と、使われている道具がよく吟味されていること、また先生たちが子どもたちを人間として尊重しながら丁寧に接していること。

映画の場面にはなかったので分からなかったのは、一人一人の子どもがそれぞれにやりたいことをやりたいだけやらせる、という方針のようで、実際に映し出された場面の中で子どもたちはそうしている。しかし先生が本を読み聞かせる場面では子どもたちは先生の周りに集まっているし、園庭で遊ぶときは皆外に出て遊んでいる。やりたいことを中断させられた子供はいなかったのだろうか。また夕方の退園時間になっても「仕事」を続けたがるこどもがいた時にどう対処しているのだろうか。

また、3歳から6歳という年齢で、教室内で大声で叫んだり暴れたりする子どもが一人もいないのだろうか。

異年齢集団は社会生活を学ぶためでもあるだろうが、この映画で最も気になったのは、フランスでありながら園児の中に黒人が一人もいなかったことだ。それが偶然だとすれば、そのような園を作品の対象に選んだ監督の意図を知りたい。

日本ではモンテッソーリ教育はエリート教育として注目されているが、それは創始者のマリア・モンテッソーリの考えだったのだろうか。この映画の公式サイトでもAmazonのジェフ・ベゾス、Googleのラリー・ペイジとセルゲイ・ブリン、英国のウィリアム王子、経営学者のピーター・ドラッカー、将棋の藤井聡太などが・・・と大書されている。ここから判断すると、少なくとも現在の日本のモンテッソーリは、進学塾、進学校の一種という立場をとっていると言わざるを得ない。

良い面ももちろんあるのだが、こんな風に映画で賛美されてしまうと、宗教に接した時のような居心地の悪さ、さらに言えばうさん臭さを感じてしまうのは、私がへそ曲がりだからだろうか。

Andrés映画・テレビ2017年制作のフランス映画「モンテッソーリ 子どもの家」を観た。この前、映画館に行ったのは昨年の1月22日なので、1年1ヵ月ぶりということになる。月曜昼間の地味な映画なので、館内はガラガラ。コロナ感染の心配はまずないだろう。 作品は、モンテッソーリ・メソッドで運営されているフランスの幼稚園のドキュメンタリー。3歳から6歳の子どもたちの様子が映し出されている。 同感できたのは、異年齢でクラスが組まれていて、年長児が年少児の相手をしながら生活している点と、使われている道具がよく吟味されていること、また先生たちが子どもたちを人間として尊重しながら丁寧に接していること。 映画の場面にはなかったので分からなかったのは、一人一人の子どもがそれぞれにやりたいことをやりたいだけやらせる、という方針のようで、実際に映し出された場面の中で子どもたちはそうしている。しかし先生が本を読み聞かせる場面では子どもたちは先生の周りに集まっているし、園庭で遊ぶときは皆外に出て遊んでいる。やりたいことを中断させられた子供はいなかったのだろうか。また夕方の退園時間になっても「仕事」を続けたがるこどもがいた時にどう対処しているのだろうか。 また、3歳から6歳という年齢で、教室内で大声で叫んだり暴れたりする子どもが一人もいないのだろうか。 異年齢集団は社会生活を学ぶためでもあるだろうが、この映画で最も気になったのは、フランスでありながら園児の中に黒人が一人もいなかったことだ。それが偶然だとすれば、そのような園を作品の対象に選んだ監督の意図を知りたい。 日本ではモンテッソーリ教育はエリート教育として注目されているが、それは創始者のマリア・モンテッソーリの考えだったのだろうか。この映画の公式サイトでもAmazonのジェフ・ベゾス、Googleのラリー・ペイジとセルゲイ・ブリン、英国のウィリアム王子、経営学者のピーター・ドラッカー、将棋の藤井聡太などが・・・と大書されている。ここから判断すると、少なくとも現在の日本のモンテッソーリは、進学塾、進学校の一種という立場をとっていると言わざるを得ない。 良い面ももちろんあるのだが、こんな風に映画で賛美されてしまうと、宗教に接した時のような居心地の悪さ、さらに言えばうさん臭さを感じてしまうのは、私がへそ曲がりだからだろうか。退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)