東京オリンピック開会まで40日を切った。この間の動きは、あらゆる面で「オリンピックは特別」という姿勢で貫かれている。IOCやJOCはもちろんのこと、東京都、日本政府、オリンピック協賛企業等々のオリンピック村の面々はもちろんのこと、日本人の半数近くまでがオリンピックが近づくにつれてその渦に近づいて行っている。

私の考えは2月に記したことから基本的に変わっていない。あらためてまとめると、オリンピックの開催はもちろんのこと、延期や中止を主張するものではなく、オリンピックの廃止を唱えるものだ。

2月にも書いたように、現在のオリンピックがオリンピック憲章からかけ離れたものになっているのが理由の一つだが、もうひとつある。

様々な批判に対してオリンピック村の連中も、その他のオリンピックを支持する人たちも言い出すのが「アスリート・ファースト」だ。オリンピックを目標にあんなに頑張ってきた選手たちからオリンピックの舞台を奪うなんて・・・」という類のセンチメンタルなことば。センチメンタルが悪いというのではないが、ここには明らかな嘘が隠されている。今回の東京オリンピックを招致するにあたって東京都や日本政府は誰がどう見ても明らかな嘘を吐いた。7月下旬から8月の東京は競技に理想的な気候だ、などと。しかもIOC関係者をはじめオリンピック村の連中は、これが明白な嘘であることを十分承知の上で東京開催を決定し、大手マスメディアもそれに賛同し、大企業も協賛し、多くの日本人も追認し、大多数のアスリートは東京オリンピックに向けて走りはじめた。さすがに猛暑の東京でのマラソンと競歩は死者も出かねないということで札幌に会場を移すことになったが、こんな対応のどこが「アスリート・ファースト」と言えるのだろうか。これこそ嘘の上塗りの典型だ。

「震災からの復興」「コンパクトな五輪」「コロナに打ち勝った証」そして「世界が新型コロナという大きな困難に立ち向かい、世界が団結して乗り越えることができた」。これほどまでの場当たり的で軽薄な虚言を繰り出し続ける東京都・日本政府・JOC・IOC、それを支持する半数の日本人。

最近はオリンピックに突き進む現状を太平洋戦争に向かった当時になぞらえる論調が多くなってきている。明らかに違っているのは、現在はオリンピックで莫大な利益を得ている大手建設会社、大手広告代理店などがあり、彼らは損失のリスクを負っていないということだ。一方、共通しているのは誰も責任を負うことはないということだ。開催強行によって新型コロナ感染が拡大しても、だれも責任を取らないだろうし、死者が出ても責任の取りようがないだろう。万が一中止したとしても損失は都民や日本国民が負担させられるだけで、責任を取るオリンピック関係者はいないだろう。オリンピックの経費が招致時に招致推進派が言っていた金額の2倍以上へ膨張していても、膨張させたことの責任も過少に見せかけていたことの責任も誰一人負わない。「責任は私にある」と言って見せるだけの者は出るかもしれないが、口先だけ以上ではないのも明らかだ。

敗戦後、戦争責任の追及を自らは行わなかった日本国民が、その後も権力者の責任を不問にし続けた歴史を再び繰り返している。

菅氏などが盛んに繰り返している「安全安心な大会」という言葉だが、いったい誰の安全安心なのだろうか。オリンピック村の連中のか、参加競技者のか。彼らの視野に入っているのは最大でも都民や日本国民のであって、アフリカ、南アジア、中南米の民衆などのことなど考えたこともないのは確かだ。

日本政府は先日のG7サミットでオリンピックへの支持を得られたと喜んでいるが、ほとんどの国にとってオリンピックは関心外というのが実情だろう。スペインの主要紙であるEl Paísが報じているG7サミットの記事にはオリンピック、日本、東京、菅のどれも登場していなかった。(すべての記事に目を通したわけではないので不正確かもしれないが)

同じ結論にしかならないが、何度考えてもオリンピックは廃止(中止ではない)すべきだし、日本人は権力者の責任をあらためて問いなおすべきだ。

/images/2021/06/pexels-photo-720467-1024x680.jpeg/images/2021/06/pexels-photo-720467-150x150.jpegAndrés日記・コラム・つぶやき東京オリンピック開会まで40日を切った。この間の動きは、あらゆる面で「オリンピックは特別」という姿勢で貫かれている。IOCやJOCはもちろんのこと、東京都、日本政府、オリンピック協賛企業等々のオリンピック村の面々はもちろんのこと、日本人の半数近くまでがオリンピックが近づくにつれてその渦に近づいて行っている。 私の考えは2月に記したことから基本的に変わっていない。あらためてまとめると、オリンピックの開催はもちろんのこと、延期や中止を主張するものではなく、オリンピックの廃止を唱えるものだ。 2月にも書いたように、現在のオリンピックがオリンピック憲章からかけ離れたものになっているのが理由の一つだが、もうひとつある。 様々な批判に対してオリンピック村の連中も、その他のオリンピックを支持する人たちも言い出すのが「アスリート・ファースト」だ。オリンピックを目標にあんなに頑張ってきた選手たちからオリンピックの舞台を奪うなんて・・・」という類のセンチメンタルなことば。センチメンタルが悪いというのではないが、ここには明らかな嘘が隠されている。今回の東京オリンピックを招致するにあたって東京都や日本政府は誰がどう見ても明らかな嘘を吐いた。7月下旬から8月の東京は競技に理想的な気候だ、などと。しかもIOC関係者をはじめオリンピック村の連中は、これが明白な嘘であることを十分承知の上で東京開催を決定し、大手マスメディアもそれに賛同し、大企業も協賛し、多くの日本人も追認し、大多数のアスリートは東京オリンピックに向けて走りはじめた。さすがに猛暑の東京でのマラソンと競歩は死者も出かねないということで札幌に会場を移すことになったが、こんな対応のどこが「アスリート・ファースト」と言えるのだろうか。これこそ嘘の上塗りの典型だ。 「震災からの復興」「コンパクトな五輪」「コロナに打ち勝った証」そして「世界が新型コロナという大きな困難に立ち向かい、世界が団結して乗り越えることができた」。これほどまでの場当たり的で軽薄な虚言を繰り出し続ける東京都・日本政府・JOC・IOC、それを支持する半数の日本人。 最近はオリンピックに突き進む現状を太平洋戦争に向かった当時になぞらえる論調が多くなってきている。明らかに違っているのは、現在はオリンピックで莫大な利益を得ている大手建設会社、大手広告代理店などがあり、彼らは損失のリスクを負っていないということだ。一方、共通しているのは誰も責任を負うことはないということだ。開催強行によって新型コロナ感染が拡大しても、だれも責任を取らないだろうし、死者が出ても責任の取りようがないだろう。万が一中止したとしても損失は都民や日本国民が負担させられるだけで、責任を取るオリンピック関係者はいないだろう。オリンピックの経費が招致時に招致推進派が言っていた金額の2倍以上へ膨張していても、膨張させたことの責任も過少に見せかけていたことの責任も誰一人負わない。「責任は私にある」と言って見せるだけの者は出るかもしれないが、口先だけ以上ではないのも明らかだ。 敗戦後、戦争責任の追及を自らは行わなかった日本国民が、その後も権力者の責任を不問にし続けた歴史を再び繰り返している。 菅氏などが盛んに繰り返している「安全安心な大会」という言葉だが、いったい誰の安全安心なのだろうか。オリンピック村の連中のか、参加競技者のか。彼らの視野に入っているのは最大でも都民や日本国民のであって、アフリカ、南アジア、中南米の民衆などのことなど考えたこともないのは確かだ。 日本政府は先日のG7サミットでオリンピックへの支持を得られたと喜んでいるが、ほとんどの国にとってオリンピックは関心外というのが実情だろう。スペインの主要紙であるEl Paísが報じているG7サミットの記事にはオリンピック、日本、東京、菅のどれも登場していなかった。(すべての記事に目を通したわけではないので不正確かもしれないが) 同じ結論にしかならないが、何度考えてもオリンピックは廃止(中止ではない)すべきだし、日本人は権力者の責任をあらためて問いなおすべきだ。退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)