文化人類学者レヴィ・ストロースが1930年代にブラジルを旅行し滞在した記録であり、構造主義のバイブルとされている著作。
第一部の表題は「旅の終わり」、その第一章は「出発」、書き出しは「私は旅や探検家が嫌いだ。それなのに、いま私はこうして自分の探検旅行のことを語ろうとしている」。
そして終章では「世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう」と記し、「百合の花の奥に匂う、われわれの書物よりもさらに学殖豊かな香りのうちに。あるいはまた、ふと心が通い合って、折々一匹の猫とのあいだにも交わすことがある、忍耐と、静穏と、互いの赦しの思い瞬きのうちに」と結んでいる。
これはフィールドワークの美しい報告であり、同時に洗練された文学だ。それゆえに、あるいは、にもかかわらず、読みにくいものだった。途中で他の本も読んでいたことがあったにしても、読み通すのに2カ月ほどもかかってしまった。
文化人類学にも構造主義にも特段の興味をひかれていた訳でなく、ましてやブラジル先住民の生活に関心を持ったわけでもなかった。
この書に初めて出会ったのは、おそらく西早稲田の古書店「大観堂」だったと思う。特に目的もなく入り棚を眺めまわしていた時に目についたのがオレンジ色の「悲しき熱帯」だった。書名と表紙がなぜか気にかかった。通りから店に入って店内を左右に二分する中央の書棚、左手に回って右の奥から三分の一ほどの、目の高さより少し下にあった。そして少なくとも数カ月はそこにありつづけた。しかし手に取ることはなかった。内容を知ることもなかった本なのに、なぜそれほどまでに印象に残ったのか。
あれから40年以上経って、国立の古書店でこのオレンジ色を再び目にした。その数週間後に国分寺の古書店で中公クラシックス版を購入。そこにはどんな心の経路があったのだろう。

/images/2021/09/悲しき熱帯-scaled-1024x801.jpg/images/2021/09/悲しき熱帯-scaled-150x150.jpgAndrés書籍・雑誌文化人類学者レヴィ・ストロースが1930年代にブラジルを旅行し滞在した記録であり、構造主義のバイブルとされている著作。第一部の表題は「旅の終わり」、その第一章は「出発」、書き出しは「私は旅や探検家が嫌いだ。それなのに、いま私はこうして自分の探検旅行のことを語ろうとしている」。そして終章では「世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう」と記し、「百合の花の奥に匂う、われわれの書物よりもさらに学殖豊かな香りのうちに。あるいはまた、ふと心が通い合って、折々一匹の猫とのあいだにも交わすことがある、忍耐と、静穏と、互いの赦しの思い瞬きのうちに」と結んでいる。これはフィールドワークの美しい報告であり、同時に洗練された文学だ。それゆえに、あるいは、にもかかわらず、読みにくいものだった。途中で他の本も読んでいたことがあったにしても、読み通すのに2カ月ほどもかかってしまった。文化人類学にも構造主義にも特段の興味をひかれていた訳でなく、ましてやブラジル先住民の生活に関心を持ったわけでもなかった。この書に初めて出会ったのは、おそらく西早稲田の古書店「大観堂」だったと思う。特に目的もなく入り棚を眺めまわしていた時に目についたのがオレンジ色の「悲しき熱帯」だった。書名と表紙がなぜか気にかかった。通りから店に入って店内を左右に二分する中央の書棚、左手に回って右の奥から三分の一ほどの、目の高さより少し下にあった。そして少なくとも数カ月はそこにありつづけた。しかし手に取ることはなかった。内容を知ることもなかった本なのに、なぜそれほどまでに印象に残ったのか。あれから40年以上経って、国立の古書店でこのオレンジ色を再び目にした。その数週間後に国分寺の古書店で中公クラシックス版を購入。そこにはどんな心の経路があったのだろう。退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)