ウクライナ出身のバンドゥーラ奏者で歌手のカテリーナさんのコンサートを聴いてきた。

バンドゥーラはウクライナの民族楽器で、60弦ほど。高音を右手で、低音を左手で弾く。初めて見聞きした楽器。音色はチェンバロに似ていた。
カテリーナさんは弾き語りでウクライナの歌を唄ってくれた。ロシア軍の侵攻で戦禍に見舞われているウクライナのことを訴えるために開かれたコンサートということもあって、歌は悲しげなものが多く、演歌に似た曲調に思えた。
後半は母親のマリアさんも交えた話と歌のステージになった。マリアさんも何曲か歌ったが、無伴奏でも音程がしっかりしていてなかなか聴かせるものだった。
 
カテリーナさんやマリアさんは、故郷が戦禍に見舞われ、今も家族や友人が危険にさらされている中で、ウクライナの現状を知ってもらいたい、ウクライナを忘れないでほしいとの思いで歌い語ったのだろう。確かに春の頃と比べるとメディアでのウクライナの扱いは減ってきているようだ。参議院選挙、コロナ、安倍元首相殺害、統一教会と次々に生起する出来事を追わなければならないメディアにとって、ウクライナの比重が下がるのは避けようがないのかも知れない。しかし私たちがどう向き合うかは別問題だ。
ロシアのウクライナ侵攻は許されない行為だ。同様にイスラエルのパレスチナ侵略やそれを許容・支持・支援している米国や英国の行為も許されない。香港の自治を奪い去った中国も許されない。ミャンマー軍兵士の留学生を受け入れ教育している自衛隊や日本政府の行為も許されない。これらの許されざる行為の間には軽重の差はない。意味もなく、あるいは自国との関わりで差をつけ、例えばウクライナには注目するがミャンマーには触れないとすれば、プーチンの発想と変わるところはないし、ウクライナの平和を願うふりをしながら次の戦争を用意していることになるだろう。
平和を願うだけで戦争がなくなるわけではない。ボスニア・ヘルツェゴビナ内戦では、昨日まで平穏に暮らしていた隣人同士が殺し合いを始めてしまった。穏やかに生活していた私たちの親や祖父母の世代も、鬼畜米英を叫びアジア各地で人々を殺していった。人間どころか犬猫一匹さえ殺すことのできない人々が、なぜ戦争をはじめてしまうのか。つまるところ国家の存在に行き当たってしまうのではないか。
/images/2022/08/D7BCABE3-0AC2-4A02-9BEB-A0D3E3BC9778-700x990.jpeg/images/2022/08/D7BCABE3-0AC2-4A02-9BEB-A0D3E3BC9778-150x150.jpegAndrés政治・経済・国際音楽ウクライナ,ロシア,国家,戦争  ウクライナ出身のバンドゥーラ奏者で歌手のカテリーナさんのコンサートを聴いてきた。 バンドゥーラはウクライナの民族楽器で、60弦ほど。高音を右手で、低音を左手で弾く。初めて見聞きした楽器。音色はチェンバロに似ていた。 カテリーナさんは弾き語りでウクライナの歌を唄ってくれた。ロシア軍の侵攻で戦禍に見舞われているウクライナのことを訴えるために開かれたコンサートということもあって、歌は悲しげなものが多く、演歌に似た曲調に思えた。 後半は母親のマリアさんも交えた話と歌のステージになった。マリアさんも何曲か歌ったが、無伴奏でも音程がしっかりしていてなかなか聴かせるものだった。   カテリーナさんやマリアさんは、故郷が戦禍に見舞われ、今も家族や友人が危険にさらされている中で、ウクライナの現状を知ってもらいたい、ウクライナを忘れないでほしいとの思いで歌い語ったのだろう。確かに春の頃と比べるとメディアでのウクライナの扱いは減ってきているようだ。参議院選挙、コロナ、安倍元首相殺害、統一教会と次々に生起する出来事を追わなければならないメディアにとって、ウクライナの比重が下がるのは避けようがないのかも知れない。しかし私たちがどう向き合うかは別問題だ。 ロシアのウクライナ侵攻は許されない行為だ。同様にイスラエルのパレスチナ侵略やそれを許容・支持・支援している米国や英国の行為も許されない。香港の自治を奪い去った中国も許されない。ミャンマー軍兵士の留学生を受け入れ教育している自衛隊や日本政府の行為も許されない。これらの許されざる行為の間には軽重の差はない。意味もなく、あるいは自国との関わりで差をつけ、例えばウクライナには注目するがミャンマーには触れないとすれば、プーチンの発想と変わるところはないし、ウクライナの平和を願うふりをしながら次の戦争を用意していることになるだろう。 平和を願うだけで戦争がなくなるわけではない。ボスニア・ヘルツェゴビナ内戦では、昨日まで平穏に暮らしていた隣人同士が殺し合いを始めてしまった。穏やかに生活していた私たちの親や祖父母の世代も、鬼畜米英を叫びアジア各地で人々を殺していった。人間どころか犬猫一匹さえ殺すことのできない人々が、なぜ戦争をはじめてしまうのか。つまるところ国家の存在に行き当たってしまうのではないか。退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)