本書の帯には、次のように記されている。

「生き方マニュアル」として誕生した教えが「宗教」として制度化する中で変質しつつも近代普遍主義理念にたどりついた過程を激動の世界史から読み解く

 

イエスの言動と、それを信じ従った弟子たちのイエス理解だったものが、やがて「宗教」・「教団」となり、世界宗教となって行く過程を記しつつ、「自由・平等・博愛」の起源ともなった歴史を説いている。

イエスの言動に対する評価には田川建三の影響が見て取れ、現在の教団の立場からする見方と違って納得できることが多い。また宗教としてのキリスト教についても、イエスの死や復活がなぜ必要だったかなど腑に落ちることが多かった。

一方、キリスト教が意図していたかどうかは別にしても、果たしてしまった植民地主義の大きな部分を負ってしまったことを、結果として弁護してしまいかねない箇所があることは残念だ。

著者はカトリックだが、宣教活動をしているわけではない。しかし本書はキリスト教への理解を深めるのに貢献し、ある意味で上質な布教の書となっている。

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/images/2023/01/img_63d33ff8130c5-700x1092.jpeg/images/2023/01/img_63d33ff8130c5-150x150.jpegAndrés書籍・雑誌キリスト教は「宗教」ではない,竹下節子本書の帯には、次のように記されている。 「生き方マニュアル」として誕生した教えが「宗教」として制度化する中で変質しつつも近代普遍主義理念にたどりついた過程を激動の世界史から読み解く   イエスの言動と、それを信じ従った弟子たちのイエス理解だったものが、やがて「宗教」・「教団」となり、世界宗教となって行く過程を記しつつ、「自由・平等・博愛」の起源ともなった歴史を説いている。 イエスの言動に対する評価には田川建三の影響が見て取れ、現在の教団の立場からする見方と違って納得できることが多い。また宗教としてのキリスト教についても、イエスの死や復活がなぜ必要だったかなど腑に落ちることが多かった。 一方、キリスト教が意図していたかどうかは別にしても、果たしてしまった植民地主義の大きな部分を負ってしまったことを、結果として弁護してしまいかねない箇所があることは残念だ。 著者はカトリックだが、宣教活動をしているわけではない。しかし本書はキリスト教への理解を深めるのに貢献し、ある意味で上質な布教の書となっている。 < p id='jtCbmvp'> 退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)