合計距離: 23741 m
最高点の標高: 497 m
最低点の標高: 176 m
累積標高(上り): 1078 m
累積標高(下り): -1191 m
総所要時間: 07:22:08

電車で御堂へ。1本前の電車で行こうと駅へ急いだが、それはいわて沼宮内止まりで、結局9時14分発のになる。御堂で降りたのは私たちだけ。

歩きはじめて2kmほどで国道を離れて間もなく、民家の軒先に見事な大木の幹。

やがて「御堂観音」

境内に北上川の源泉が木の根元から湧き出ている。水量は多くない。

その脇に「岩手町と石巻市を結ぶ記念碑」。ここからはじまる北上川の流れが石巻で太平洋に注ぐ。私たちは北上川の3分の2ほどを歩いたようだ。

御堂観音の向かいに「川の駅‘」という施設がある。冬季閉鎖中だが入ることはできた。休憩所と池や庭以外には何もないが。

田舎道を進むと「御堂・馬羽松一里塚」

形は少し崩れているが、両側とも残っている。

緩やかな坂道を上ったり下ったりを繰り返した先に「奥州街道最高地点」。484mなので大したことはない。日本橋から歩いてきて奥州街道は上りの少ない、歩くのに楽な道なのでこれで最高なのも納得。ここで昼食。と言っても今朝買ってきたあんバターコッペパンとカロリーメイトだけ。御堂駅からの行程には開いている店は1軒もなかった。

そこから今日も岩木山が。

「中山一里塚」は標柱だけで本体はない。

奥州街道随一の難所という「ヨノ坂」。入口に土が積み上げてあり進入禁止かと思ったが、除雪した雪の塊の上に土が載っているのだった。傍から抜けてヨノ坂に進む。地図にはない道だが、幅は狭くない。

しかし両側に水が流れ、草に覆われているように見える部分も半ば湿地帯で、油断すると靴がびしょ濡れになりそう。スペインのCaminoで何度も苦労したことを思い出した。

「小繋一里塚」は片方だけが残っている。

ヨノ坂が砂利混じりの道になって歩きやすくなる。横を清流が走り気持ち良い。

集落に入ったところに「小繋御番所跡」

集落を抜ける所に「小繋事件」の記念碑。山林の入会権をめぐって小繋の人々と地主が、1917年から1975年までの58年間闘ったのことを記念したもの。この史実は知らなかった。

国道4号線に出たが、歩道はなく路肩も狭い。大型トラックは反対車線にはみ出して私たちを避けてくれることが多いが、対向車がいるとそれもできず、風圧で帽子が飛ばされそうになる。

トンネル入口手前の小さな商店の前で一休みさせてもらった。店主の女性が汚れた椅子にダンボールを敷いてくれた。

トンネル内を歩かなければならなかったが、幸い歩道があって危険は感じなかった。

トンネルの出口右に「川底一里塚」への道標。見逃してしまいそう。

トンネルの上を越えて進むと「川底一里塚」が両方とも残っていた。

そのまま山中の道を進むと「高屋敷」の集落。街道沿いにあった井戸が復元されている。

この辺り、一戸町が奥州街道の遺産の維持復元に力を入れているようだ。

小鳥谷の町に着いたが、大きな家が並んでいるものの空き家が目立ち、人通りはない。

小鳥谷(こずや)駅も無人。ここも午前中だけ駅員が詰めるようだ。40分ほど待って盛岡行きの電車に乗ったが、この駅で降りる人はなく、乗り込んだのは私たちだけだった。

盛岡駅に着いたのは7時近かったので、ホテルに戻る前に一昨日も行った「ぴょんぴょん舎」で夕食。一昨日は土曜だったので混んでいたのだと思っていたが、平日の今日も混んでいて少し待たされる。今日は盛岡温麺、カルビクッパ、牛焼肉。美味しく、身体が温まった。

朝は寒く、午前中はダウンを着て歩く。昼過ぎにはダウンなしでちょうど良くなった。快晴の一日。

37,996歩 23.7km

/images/2023/04/773c041f2f75b80b6d0daafef6f6f19f-700x394.jpeg/images/2023/04/773c041f2f75b80b6d0daafef6f6f19f-150x150.jpegAndrés奥州道中ぴょんぴょん舎,ヨノ坂,一戸町,中山一里塚,北上川源泉,奥州街道最高地点,小繋の灯,小繋一里塚,小繋事件,小繋御番所跡,小鳥谷,川の駅,川底一里塚,御堂,御堂・馬羽松一里塚,御堂観音,盛岡温麺,笹目子トンネル,高屋敷電車で御堂へ。1本前の電車で行こうと駅へ急いだが、それはいわて沼宮内止まりで、結局9時14分発のになる。御堂で降りたのは私たちだけ。 歩きはじめて2kmほどで国道を離れて間もなく、民家の軒先に見事な大木の幹。 やがて「御堂観音」 境内に北上川の源泉が木の根元から湧き出ている。水量は多くない。 その脇に「岩手町と石巻市を結ぶ記念碑」。ここからはじまる北上川の流れが石巻で太平洋に注ぐ。私たちは北上川の3分の2ほどを歩いたようだ。 御堂観音の向かいに「川の駅‘」という施設がある。冬季閉鎖中だが入ることはできた。休憩所と池や庭以外には何もないが。 田舎道を進むと「御堂・馬羽松一里塚」 形は少し崩れているが、両側とも残っている。 緩やかな坂道を上ったり下ったりを繰り返した先に「奥州街道最高地点」。484mなので大したことはない。日本橋から歩いてきて奥州街道は上りの少ない、歩くのに楽な道なのでこれで最高なのも納得。ここで昼食。と言っても今朝買ってきたあんバターコッペパンとカロリーメイトだけ。御堂駅からの行程には開いている店は1軒もなかった。 そこから今日も岩木山が。 「中山一里塚」は標柱だけで本体はない。 奥州街道随一の難所という「ヨノ坂」。入口に土が積み上げてあり進入禁止かと思ったが、除雪した雪の塊の上に土が載っているのだった。傍から抜けてヨノ坂に進む。地図にはない道だが、幅は狭くない。 しかし両側に水が流れ、草に覆われているように見える部分も半ば湿地帯で、油断すると靴がびしょ濡れになりそう。スペインのCaminoで何度も苦労したことを思い出した。 「小繋一里塚」は片方だけが残っている。 ヨノ坂が砂利混じりの道になって歩きやすくなる。横を清流が走り気持ち良い。 集落に入ったところに「小繋御番所跡」 集落を抜ける所に「小繋事件」の記念碑。山林の入会権をめぐって小繋の人々と地主が、1917年から1975年までの58年間闘ったのことを記念したもの。この史実は知らなかった。 国道4号線に出たが、歩道はなく路肩も狭い。大型トラックは反対車線にはみ出して私たちを避けてくれることが多いが、対向車がいるとそれもできず、風圧で帽子が飛ばされそうになる。 トンネル入口手前の小さな商店の前で一休みさせてもらった。店主の女性が汚れた椅子にダンボールを敷いてくれた。 トンネル内を歩かなければならなかったが、幸い歩道があって危険は感じなかった。 トンネルの出口右に「川底一里塚」への道標。見逃してしまいそう。 トンネルの上を越えて進むと「川底一里塚」が両方とも残っていた。 そのまま山中の道を進むと「高屋敷」の集落。街道沿いにあった井戸が復元されている。 この辺り、一戸町が奥州街道の遺産の維持復元に力を入れているようだ。 小鳥谷の町に着いたが、大きな家が並んでいるものの空き家が目立ち、人通りはない。 小鳥谷(こずや)駅も無人。ここも午前中だけ駅員が詰めるようだ。40分ほど待って盛岡行きの電車に乗ったが、この駅で降りる人はなく、乗り込んだのは私たちだけだった。 盛岡駅に着いたのは7時近かったので、ホテルに戻る前に一昨日も行った「ぴょんぴょん舎」で夕食。一昨日は土曜だったので混んでいたのだと思っていたが、平日の今日も混んでいて少し待たされる。今日は盛岡温麺、カルビクッパ、牛焼肉。美味しく、身体が温まった。 朝は寒く、午前中はダウンを着て歩く。昼過ぎにはダウンなしでちょうど良くなった。快晴の一日。 37,996歩 23.7km退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)