朝食はホテルの自室で昨日買っておいたパンとヨーグルト、ホテルのコーヒーで済ませる。

9時にチェックアウトして宗谷岬に向かう。朝から冷たい曇り空。

宗谷岬は「日本最北端の地」の碑は昔同様にあるが、周囲の店が増えたような気がする。

「宗谷岬」の歌碑があり、スイッチを押すと歌が流れる。竜飛崎と同じ趣向だ。

「白い道」というのがあるとのことだが、表示が曖昧。

岬から丘の上に上ってみると広場に宮沢賢治の文学碑、灯台、花壇があり、芝生では3頭のエゾシカが悠々と草を食んでいる。ようやく「白い道」の方向を示す立札を見つけたので、その方向に行ってみる。

なかなか「白い道」に出ないので、方角を間違えたかと思い始めた頃に道が真っ白になった。

帆立貝の貝殻を砕いたもので舗装した道。

車のタイヤも真っ白になる。

下り道になると、まるで道が海に向かって飛び込んで行くように見える。観光資源としては上出来ではないか。おそらく定期的に貝殻を補充しないと「白い道」は維持できないだろうが。

丘を下り切ったところで国道に出た。そこから稚内に一旦戻り、さらに「日本海オロロンライン」を一路南下する。時々遅い車に行手を塞がれるが、概ね80から90km/hで進む。道の駅以外に食事ができそうな場所がないようなので「道の駅 えんべつ富士見」で昼食にする。案外混んでいる。

タコピラフとミニイクラホタテ丼に芋団子。全体に塩味が濃い。

再び走って「旧花田家番屋」へ。ここも道の駅の一部になっているが、建物は完全に別で、番屋がよく保存されている。

大規模な番屋で、昔のニシン漁の網元の強大な権力と経済力が伝わってきた。

目の前は日本海。かつては鰊の群れが押し寄せていたのだろう。大正時代が最盛期で、昭和30年代に完全に終わったそうだ。

途中から高速道路(無料区間)になり、一層速度が上がる。旭川のホテルには5時前に到着することができ、私は部屋で5時半からスペイン語の授業を受けることができた。しかしこの数日咳がひどく、特に話そうとすると激しい咳で思うように話せない。龍角散のど飴と南天のど飴を舐めても舐めても咳は止まらない。それでもなんとか授業は、予習もできないままだったが、不十分ながらできた。その間、Ameliaはホテルのロビーで過ごしていた。

夕食はジンギスカンを食べに出かけたが、お目当ての店は満員で、入店待ちの客が何組もいたので他の店にする。旭川にはいくらでもジンギスカンの店がある。どこがいいのかわからないので、通りかかりの店に適当に入る。「旭川成吉思汗ひつじ家」で、大きな店ではないが、数組の先客がいた。

ラム肉を4種類。サワーを2杯。スープとご飯。ちょっと多かったかもしれないが、美味しく食べられた。

ホテルに戻るが、寒い。10度未満で風があるので、体感温度は5度ぐらいか。

ホテルのロビーで無料コーヒーを飲み、部屋に戻って明日の予定を立ててホテルを予約。

体調はさらに少し悪化。咳は一層ひどくなり、喉も痛い。夜中も頻繁に目が覚める。なんとか早く治って欲しいものだ。

/images/2024/06/image-90-jpg.webp/images/2024/06/image-90-150x150.webpAndrés国内旅行ジンギスカン,タコピラフ,宗谷岬,宮沢賢治,帆立貝,日本最北端の地,旧花田家番屋,旭川成吉思汗ひつじ家,白い道,芋団子,貝殻,道の駅 えんべつ富士見朝食はホテルの自室で昨日買っておいたパンとヨーグルト、ホテルのコーヒーで済ませる。 9時にチェックアウトして宗谷岬に向かう。朝から冷たい曇り空。 宗谷岬は「日本最北端の地」の碑は昔同様にあるが、周囲の店が増えたような気がする。 「宗谷岬」の歌碑があり、スイッチを押すと歌が流れる。竜飛崎と同じ趣向だ。 「白い道」というのがあるとのことだが、表示が曖昧。 岬から丘の上に上ってみると広場に宮沢賢治の文学碑、灯台、花壇があり、芝生では3頭のエゾシカが悠々と草を食んでいる。ようやく「白い道」の方向を示す立札を見つけたので、その方向に行ってみる。 なかなか「白い道」に出ないので、方角を間違えたかと思い始めた頃に道が真っ白になった。 帆立貝の貝殻を砕いたもので舗装した道。 車のタイヤも真っ白になる。 下り道になると、まるで道が海に向かって飛び込んで行くように見える。観光資源としては上出来ではないか。おそらく定期的に貝殻を補充しないと「白い道」は維持できないだろうが。 丘を下り切ったところで国道に出た。そこから稚内に一旦戻り、さらに「日本海オロロンライン」を一路南下する。時々遅い車に行手を塞がれるが、概ね80から90km/hで進む。道の駅以外に食事ができそうな場所がないようなので「道の駅 えんべつ富士見」で昼食にする。案外混んでいる。 タコピラフとミニイクラホタテ丼に芋団子。全体に塩味が濃い。 再び走って「旧花田家番屋」へ。ここも道の駅の一部になっているが、建物は完全に別で、番屋がよく保存されている。 大規模な番屋で、昔のニシン漁の網元の強大な権力と経済力が伝わってきた。 目の前は日本海。かつては鰊の群れが押し寄せていたのだろう。大正時代が最盛期で、昭和30年代に完全に終わったそうだ。 途中から高速道路(無料区間)になり、一層速度が上がる。旭川のホテルには5時前に到着することができ、私は部屋で5時半からスペイン語の授業を受けることができた。しかしこの数日咳がひどく、特に話そうとすると激しい咳で思うように話せない。龍角散のど飴と南天のど飴を舐めても舐めても咳は止まらない。それでもなんとか授業は、予習もできないままだったが、不十分ながらできた。その間、Ameliaはホテルのロビーで過ごしていた。 夕食はジンギスカンを食べに出かけたが、お目当ての店は満員で、入店待ちの客が何組もいたので他の店にする。旭川にはいくらでもジンギスカンの店がある。どこがいいのかわからないので、通りかかりの店に適当に入る。「旭川成吉思汗ひつじ家」で、大きな店ではないが、数組の先客がいた。 ラム肉を4種類。サワーを2杯。スープとご飯。ちょっと多かったかもしれないが、美味しく食べられた。 ホテルに戻るが、寒い。10度未満で風があるので、体感温度は5度ぐらいか。 ホテルのロビーで無料コーヒーを飲み、部屋に戻って明日の予定を立ててホテルを予約。 体調はさらに少し悪化。咳は一層ひどくなり、喉も痛い。夜中も頻繁に目が覚める。なんとか早く治って欲しいものだ。退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)