「カクレキリシタン」という言葉が誰を、何を指すものなのかをものなのかを説くことを通して、キリシタンの歴史を明らかにしている。

著者が示す歴史は以下の通りである。

1543年のキリスト教伝来から1614年の禁教令を経て、1644年に最後まで日本に生き残っていた宣教師小西マンショが殉教するまでを「キリシタン時代」。以後は日本にはキリスト教の指導者(宣教師や神父など)はいなくなり、信徒だけが残された。

1644年から1873年(明治6年)のキリスト教禁教令撤廃までを「潜伏キリシタン時代」。

1873年から現在に至るまでを「カクレキリシタン時代」。

1873年以後、潜伏キリシタンだった人々は3つの系統に分かれて行った。つまり「カクレキリシタン」と呼ぶ、「潜伏キリシタン」(一般に「隠れキリシタン」とも呼ばれる)時代の信仰を持ち続ける人々。「復活キリシタン」と呼ぶ「カトリック」に戻った人々。その他、仏教や神道、プロテスタント、新興宗教、無宗教など大多数の日本人の信仰形態に移行した人々。

本書で扱われているのは「カクレキリシタン」と、その信仰が形成された禁教時代、つまり「潜伏キリシタン」あるいは「隠れキリシタン」時代のことである。禁教時代にはキリシタンたちは外見上は仏教徒として暮らし、キリシタンとしての信仰や儀礼は地理的にも人間関係上も狭く限られた範囲でのみ共有されていた。そのためカトリックと切り離されてからの長年月で信仰や儀式は次第に変容し、仏教や神道の要素が溶け込んできた。また同時に地域ごとに差異も生じてきた。

こうしたことから「カクレキリシタン」の信仰はキリスト教とは異なるもので、それゆえにカトリックに「復帰」する人々がいた一方、「カクレ」の信仰を保持し続ける人々もいた。

「カクレ」は家の宗教習俗であり、個人の信仰ではない。それゆえ長崎県のごく一部の地域に残ってるだけとも言える「カクレ」は、過疎化現代化の中で後継者がいなくなり、集団としても急激に消えて行っている。

「カクレキリシタン」という特異な信仰の歴史を知ることのできる貴重な著書だ。

/images/2024/07/image-700x1135.webp/images/2024/07/image-150x150.webpAndrés書籍・雑誌オラショ,カクレキリシタン,キリシタン,宮崎賢太郎,潜伏キリシタン,禁教,長崎新聞,隠れキリシタン,魂の通奏低音「カクレキリシタン」という言葉が誰を、何を指すものなのかをものなのかを説くことを通して、キリシタンの歴史を明らかにしている。 著者が示す歴史は以下の通りである。 1543年のキリスト教伝来から1614年の禁教令を経て、1644年に最後まで日本に生き残っていた宣教師小西マンショが殉教するまでを「キリシタン時代」。以後は日本にはキリスト教の指導者(宣教師や神父など)はいなくなり、信徒だけが残された。 1644年から1873年(明治6年)のキリスト教禁教令撤廃までを「潜伏キリシタン時代」。 1873年から現在に至るまでを「カクレキリシタン時代」。 1873年以後、潜伏キリシタンだった人々は3つの系統に分かれて行った。つまり「カクレキリシタン」と呼ぶ、「潜伏キリシタン」(一般に「隠れキリシタン」とも呼ばれる)時代の信仰を持ち続ける人々。「復活キリシタン」と呼ぶ「カトリック」に戻った人々。その他、仏教や神道、プロテスタント、新興宗教、無宗教など大多数の日本人の信仰形態に移行した人々。 本書で扱われているのは「カクレキリシタン」と、その信仰が形成された禁教時代、つまり「潜伏キリシタン」あるいは「隠れキリシタン」時代のことである。禁教時代にはキリシタンたちは外見上は仏教徒として暮らし、キリシタンとしての信仰や儀礼は地理的にも人間関係上も狭く限られた範囲でのみ共有されていた。そのためカトリックと切り離されてからの長年月で信仰や儀式は次第に変容し、仏教や神道の要素が溶け込んできた。また同時に地域ごとに差異も生じてきた。 こうしたことから「カクレキリシタン」の信仰はキリスト教とは異なるもので、それゆえにカトリックに「復帰」する人々がいた一方、「カクレ」の信仰を保持し続ける人々もいた。 「カクレ」は家の宗教習俗であり、個人の信仰ではない。それゆえ長崎県のごく一部の地域に残ってるだけとも言える「カクレ」は、過疎化現代化の中で後継者がいなくなり、集団としても急激に消えて行っている。 「カクレキリシタン」という特異な信仰の歴史を知ることのできる貴重な著書だ。退職者夫婦の旅と日常(スペイン・旅・留学・巡礼・映画・思索・本・・・)