懐かしい人との再会
私が初めてスペイン語を習ったのは40年ほど前。教えてくれたのは国分寺にあった喫茶店のマスター、Tさんだった。Tさんはしばらくスペインに住んでいて、帰国後に国分寺で喫茶店をはじめたところだった。どんな経緯でその喫茶店を訪れたのかは思い出せない。
Ameliaと二人でスペインを2度旅行した後、私は一人でスペインに行ってスペイン語を勉強する必要性を痛感した。そんな頃にその喫茶店を知ったのだ。
TさんはYさんと夫婦二人でその店を経営していて、客はそんなに多くなかったので、暇をぬってカウンター越しにスペイン語だけでなく、スペインでの暮らしや現地の習慣なども教えてくれた。おかげでスペインへの興味を一層引き立てられた。
そこには東京経済大学の先生たちも来ていて、その中に後年『ドン・キホーテ』を訳することになった荻内勝之さんもいて、何度かおしゃべりする機会があった。
やがて喫茶店は閉店となり、その後はTさんのアパートに何度かお邪魔してスペイン語の勉強を続けたが、Tさん夫妻が横浜に引っ越すことになり、年賀状だけの付き合いになってしまった。
先日、Tさんから久しぶりの手紙で、奥さんのYさんの7回忌を開くと知らせてきた。
10月19日(土)に鎌倉で行われた会は、「Yさんについて語り合う集い」と称するものだった。Tさんも89歳、参加者も高齢者が多く、体調を崩したり親族にご不幸があったりして、急に不参加となってしまう方も何人もいたようだ。
直接会うのは40年ぶりくらいになってしまったTさんは、病気がちだと聞いていたが、思いのほか元気で、会の最中も参加者の間を回って会話を交わしていた。
Tさん以外には知り合いのいない会だったが、Tさんが運営に携わっていた横浜スペイン協会でスペイン語を教えている方とその友人は、私たちがずっとスペイン語を習っている先生の大学の先輩で、先生のことをご存知だった。また参加者の一人はCaminoを歩き通した経験のある方で、Caminoの話に花が咲いた。
楽しい会で、TさんもYさんを亡くした悲しみから6年経ってようやく立ち直ることができたと話していたが、それでも話の端々に喪失感がもたげて来ているのが感じ取れた。私たちにも、長年連れ添うとどちらが亡くなっても立ち直るのは大変ですよ、と進言のような警告のようなことをおっしゃった。私たちも今現在は二人とも元気だとは言え、70を越して確かに周りを見回しても急逝する人、外出がままならなくなった人なども出てきて、「その時」に備えなければならないのかと思わされた。
Tさんとは近いうちに国分寺で再会することを約してきた。
https://dosperegrinos.net/2024/10/26/%e6%87%90%e3%81%8b%e3%81%97%e3%81%84%e4%ba%ba%e3%81%a8%e3%81%ae%e5%86%8d%e4%bc%9a//images/2024/10/pexels-elina-sazonova-3099654-2-700x599.webp/images/2024/10/pexels-elina-sazonova-3099654-2-150x150.webp日記・コラム・つぶやきスペイン語私が初めてスペイン語を習ったのは40年ほど前。教えてくれたのは国分寺にあった喫茶店のマスター、Tさんだった。Tさんはしばらくスペインに住んでいて、帰国後に国分寺で喫茶店をはじめたところだった。どんな経緯でその喫茶店を訪れたのかは思い出せない。 Ameliaと二人でスペインを2度旅行した後、私は一人でスペインに行ってスペイン語を勉強する必要性を痛感した。そんな頃にその喫茶店を知ったのだ。 TさんはYさんと夫婦二人でその店を経営していて、客はそんなに多くなかったので、暇をぬってカウンター越しにスペイン語だけでなく、スペインでの暮らしや現地の習慣なども教えてくれた。おかげでスペインへの興味を一層引き立てられた。 そこには東京経済大学の先生たちも来ていて、その中に後年『ドン・キホーテ』を訳することになった荻内勝之さんもいて、何度かおしゃべりする機会があった。 やがて喫茶店は閉店となり、その後はTさんのアパートに何度かお邪魔してスペイン語の勉強を続けたが、Tさん夫妻が横浜に引っ越すことになり、年賀状だけの付き合いになってしまった。 先日、Tさんから久しぶりの手紙で、奥さんのYさんの7回忌を開くと知らせてきた。 10月19日(土)に鎌倉で行われた会は、「Yさんについて語り合う集い」と称するものだった。Tさんも89歳、参加者も高齢者が多く、体調を崩したり親族にご不幸があったりして、急に不参加となってしまう方も何人もいたようだ。 直接会うのは40年ぶりくらいになってしまったTさんは、病気がちだと聞いていたが、思いのほか元気で、会の最中も参加者の間を回って会話を交わしていた。 Tさん以外には知り合いのいない会だったが、Tさんが運営に携わっていた横浜スペイン協会でスペイン語を教えている方とその友人は、私たちがずっとスペイン語を習っている先生の大学の先輩で、先生のことをご存知だった。また参加者の一人はCaminoを歩き通した経験のある方で、Caminoの話に花が咲いた。 楽しい会で、TさんもYさんを亡くした悲しみから6年経ってようやく立ち直ることができたと話していたが、それでも話の端々に喪失感がもたげて来ているのが感じ取れた。私たちにも、長年連れ添うとどちらが亡くなっても立ち直るのは大変ですよ、と進言のような警告のようなことをおっしゃった。私たちも今現在は二人とも元気だとは言え、70を越して確かに周りを見回しても急逝する人、外出がままならなくなった人なども出てきて、「その時」に備えなければならないのかと思わされた。 Tさんとは近いうちに国分寺で再会することを約してきた。Andrés andres@nifty.comAdministratorDos Peregrinos
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