映画『太陽と桃の歌』
『太陽と桃の歌』はスペインのカタルーニャ地方で桃農園を営む家族が、ソーラー発電パネルを設置すると言う地主に立ち退きを迫られてから桃果樹園が破壊されるまでの生活を描いた作品。親子3代の家族は、それぞれに対処しようとするのだが、結局は無力なまま。それまでの生活は変わらないまま、家族間のいざこざが増えるだけで日常が繰り返されて行く。
家族から土地の賃貸契約書を探し出すように言われて、お互いに信用していて昔はそんなものはなかったと答えるしかない祖父。地主の裏切りに怒るだけで対応策を考えられない父親。ソーラーパネルの管理を持ちかけられて、農作業よりその方が楽に稼げると考えはじめる母親。金があれば何とかなると、農園の片隅で大麻栽培を始める長男。家族の今後には無関心で、何かと不貞腐れている反抗期の長女。従兄弟たちと遊ぶのに夢中のまだ5歳ぐらいの次女。世界中どこにでもありそうな家族の日常。日本でも似たようなことが起こっているだろうと、容易に想像できる。
太陽光発電などの持続可能なエネルギーの利用を拡大することが、農業や家族といった持続可能な社会に不可欠なものを破壊することにつながっている矛盾。
日本でも、山の斜面の森林を切り開いて太陽光パネルを敷き詰めたり、田畑をつぶして太陽光発電施設に変えたりといった光景が珍しくない。高齢化、過疎化の進む地域ではそうした動きが加速している。それは地球温暖化への対策として二酸化炭素の排出を削減するということと、山林や農地を減らすことで二酸化炭素の吸収が減ってしまうこととの矛盾でもある。
原子力発電を増やすことが温暖化対策の決め手だとする人も多い。考えなければならないのは、私たちが何をどの程度まで許容できるのかなのだ。温暖化をどこまで受け入れられるか、緑の喪失をどこまで許せるか、原子力発電の危険性をどこまで認められるか。
この映画を観ながら、Camino Catalánを歩いた時に通り抜けた果樹園や畑の風景が思い出された。
原題はAlcarrás。Lleida近くの小さな町の名前で、監督のCarla Simónの生まれたところ。この作品の舞台と特定されるような場面はなかったし、作品の内容もある意味ではカタルーニャの、さらには世界のどこの場所であっても成り立つものだ。監督は、自分の故郷を想定しながらも、それが普遍的なものであるという意図を込めたものかもしれない。
全編カタルーニャ語で、物語に大きな起伏もないので退屈な部分もあったが、かえって人々の日常が深く迫ってくるような作品だった。
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