Sexta Peregrinación 3(20/2/2025)
動画 Córdoba
起床は8時過ぎ。やはり少し疲れているようだ。
身支度を済ませて9時半に出かける。アルカサールに向かう途中のバルで朝食。チョコラーテとチューロ、クロワッサンとカフェコンレーチェ。チューロは揚げてあったものをオーブンで温めたものだが、カリッとしていて悪くない。チョコラーテはちょっと薄め。
城壁の内側に入り、途中にあったCasa de Judíos に入る。受付の男性は少し日本語を話すので理由を訊くと、自分は武道家だからという。柔道なのか空手なのかと尋ねると、忍法だと答える。日本の野田市に行っていたとのこと。忍法はスペインでは武道の一種とされているのか。館内はユダヤ人に関する展示で、興味深いものは少ない。禁書に関する展示で、主要国の禁書リストがあったが、旧ソ連よりもアメリカ合衆国の禁書リストが長かった。また中南米ではチリのリストだけが展示されていたが、ピノチェト時代に多くの著名人が弾圧されたことが理由だろう。
そこし先にシナゴーグが無料で見学できるようになっていた。内部はイスラム時代のスペイン建築の影響が強く、メスキータの超小型版とも言えるようなものだった。
アルカサール。一部修復中や発掘中のところもある。ローマ時代のモザイクが見事。アラブ式の庭園は懐かしい。40年前に訪れたのは真夏だったので、庭園の噴水が涼しかったが、それでも熱気で頭がボーっとした記憶がある。
ローマ橋を渡ってみる。上部は現代に造られたもので、この橋は河岸から眺めるもので渡るものではないと思わされた。向こう岸の小さな公園で一休みしていると、すぐ近くに座った若い女の子たちが歌ったり踊ったりして、やはりここはアンダルシアと感じた。
橋を渡って元に戻ったところにツーリスモがあったので、ためしにクレデンシャルはないかと聞いたみたが、クレデンシャル自体を知らず、カミーノの情報も全くわからないとのことだった。隣接するバルで休憩。
旧市街を進んでポトロ広場へ。その先のBodegas Camposで昼食。サルモレッホ、エンサラディージャのタパス、フラメンキン。味も良く量も多くなかったのだが、フラメンキンというチーズ入りのカツはやはり重かった。ここは40年前にはボデガ兼居酒屋でレストランではなかったのだが、食後に奥に進んでみるとボデガだったところなども見学できた。全体を合わせるとずいぶん大きなレストランになっていた。
ポトロ広場に戻り、旅籠屋ポトロを見学。セルバンテスが泊ったところということだが、現在はフラメンコ博物館になっている。フラメンコの名手たちや歴史の展示、フラメンコのリズムを体験するコーナーや、タブラオなどもあり、フラメンコ好きには良い場所のようだ。
向かいにあるMuseo Julio Romero de Torresを見学。小じんまりした施設だが、ゆっくり見ることができた。有名な作品があるわけでもなく、展示テーマが一貫しているようにも思えなかったが。
疲れたので一旦ホテルに戻り、昼寝。1時間以上眠ってしまった。
18時半に起きて、クレデンシャル入手のために昨夜も行った協会に向かう。少し早かったようなのでまた向かいの教会に入ってみる。今日のミサはCapillaで行われていて、参列者は30〜40人ほどだろうか。昨夜は記念式典があったので参列者が多かったのかもしれない。今日はミサには参加せず、すぐに出て教会裏の広場のベンチで時間を潰す。19時半になったので協会に行ってみるが今日も閉まっている。しばらく待つが誰も来ないのでまた向かいの薬局で訊いてみると、開く時間だがいつ開くかはわからないとのこと。気まぐれでやっているのかもしれない。当てもなく待っていても仕方ないので諦めることにする。
ホテルに戻る途中のスーパーで明朝用にクロワッサンとコーヒーを買い、ホテルの先のケーキ屋でクロワッサンサンドとカフェコンレーチェで軽い夕食。
ホテルに戻って明日からのセビリアのホテルの予約、シャワー、日記。すっかり遅くなってしまい就寝は1時近くになってしまった。
https://dosperegrinos.net/2025/02/21/sexta-peregrinacion-320-2-2025/銀の道 Camino de la PlataCamino,Camino de la Plata,Santiago,サンティアゴ,巡礼動画 Córdoba 起床は8時過ぎ。やはり少し疲れているようだ。 身支度を済ませて9時半に出かける。アルカサールに向かう途中のバルで朝食。チョコラーテとチューロ、クロワッサンとカフェコンレーチェ。チューロは揚げてあったものをオーブンで温めたものだが、カリッとしていて悪くない。チョコラーテはちょっと薄め。 城壁の内側に入り、途中にあったCasa de Judíos に入る。受付の男性は少し日本語を話すので理由を訊くと、自分は武道家だからという。柔道なのか空手なのかと尋ねると、忍法だと答える。日本の野田市に行っていたとのこと。忍法はスペインでは武道の一種とされているのか。館内はユダヤ人に関する展示で、興味深いものは少ない。禁書に関する展示で、主要国の禁書リストがあったが、旧ソ連よりもアメリカ合衆国の禁書リストが長かった。また中南米ではチリのリストだけが展示されていたが、ピノチェト時代に多くの著名人が弾圧されたことが理由だろう。 そこし先にシナゴーグが無料で見学できるようになっていた。内部はイスラム時代のスペイン建築の影響が強く、メスキータの超小型版とも言えるようなものだった。 アルカサール。一部修復中や発掘中のところもある。ローマ時代のモザイクが見事。アラブ式の庭園は懐かしい。40年前に訪れたのは真夏だったので、庭園の噴水が涼しかったが、それでも熱気で頭がボーっとした記憶がある。 ローマ橋を渡ってみる。上部は現代に造られたもので、この橋は河岸から眺めるもので渡るものではないと思わされた。向こう岸の小さな公園で一休みしていると、すぐ近くに座った若い女の子たちが歌ったり踊ったりして、やはりここはアンダルシアと感じた。 橋を渡って元に戻ったところにツーリスモがあったので、ためしにクレデンシャルはないかと聞いたみたが、クレデンシャル自体を知らず、カミーノの情報も全くわからないとのことだった。隣接するバルで休憩。 旧市街を進んでポトロ広場へ。その先のBodegas Camposで昼食。サルモレッホ、エンサラディージャのタパス、フラメンキン。味も良く量も多くなかったのだが、フラメンキンというチーズ入りのカツはやはり重かった。ここは40年前にはボデガ兼居酒屋でレストランではなかったのだが、食後に奥に進んでみるとボデガだったところなども見学できた。全体を合わせるとずいぶん大きなレストランになっていた。 ポトロ広場に戻り、旅籠屋ポトロを見学。セルバンテスが泊ったところということだが、現在はフラメンコ博物館になっている。フラメンコの名手たちや歴史の展示、フラメンコのリズムを体験するコーナーや、タブラオなどもあり、フラメンコ好きには良い場所のようだ。 向かいにあるMuseo Julio Romero de Torresを見学。小じんまりした施設だが、ゆっくり見ることができた。有名な作品があるわけでもなく、展示テーマが一貫しているようにも思えなかったが。 疲れたので一旦ホテルに戻り、昼寝。1時間以上眠ってしまった。 18時半に起きて、クレデンシャル入手のために昨夜も行った協会に向かう。少し早かったようなのでまた向かいの教会に入ってみる。今日のミサはCapillaで行われていて、参列者は30〜40人ほどだろうか。昨夜は記念式典があったので参列者が多かったのかもしれない。今日はミサには参加せず、すぐに出て教会裏の広場のベンチで時間を潰す。19時半になったので協会に行ってみるが今日も閉まっている。しばらく待つが誰も来ないのでまた向かいの薬局で訊いてみると、開く時間だがいつ開くかはわからないとのこと。気まぐれでやっているのかもしれない。当てもなく待っていても仕方ないので諦めることにする。 ホテルに戻る途中のスーパーで明朝用にクロワッサンとコーヒーを買い、ホテルの先のケーキ屋でクロワッサンサンドとカフェコンレーチェで軽い夕食。 ホテルに戻って明日からのセビリアのホテルの予約、シャワー、日記。すっかり遅くなってしまい就寝は1時近くになってしまった。Andrés andres@nifty.comAdministratorDos Peregrinos
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